はあちゅうのセクハラ告発がなぜ女性から批判されるのか? はあちゅう自身の過去のセクハラ冷笑から考える構造的問題

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『はあちゅうの 20代で「なりたい自分」になる77の方法』(PHP研究所)

 はあちゅうこと伊藤春香氏がネットメディア「BuzzFeed Japan」で告白した電通在籍時の先輩クリエイター・岸勇希氏によるセクハラ被害。ところが、このはあちゅうの勇気ある告発について、評価する声の一方で、批判の声が巻き起こっている。

「ちょうど新刊を出したから売名じゃないか」というお決まりの攻撃に加えて、「そもそも女を売りにしてるからそんな目にあうんだ」「お前も岸氏に女の子を紹介してるんだから加害者だ」「自分もさんざんコラムでセクハラ的なことを語っていたくせに」……。

 さらに、はあちゅうが過去に童貞をいじるような文章を書いていたことが発覚、「おまえもセクハラをしていたじゃないか」と炎上が広がっている。

 もっとも、こうした批判のほとんどは、セクハラする側の男たちによる告発無化のための話のすり替えでしかない。勇気ある告発をした人間に対して、力を持っている側がこうした吊るし上げ攻撃をする日本の社会の問題については、別稿で指摘したいと思うが、ただ、はあちゅうへの批判については、もうひとつ気になることがある。

 それは、同じセクハラの被害者であるはずの女性の側から「さんざんおいしい目をしていたくせに、いまごろ何を言ってるの」といったような冷ややかな意見が多数混じっていることだ。

 実は、はあちゅう自身が以前はそうだった。本サイトでは、2015年3月にはあちゅうがセクハラ批判を揶揄する発言をしたことを取り上げ、そのことを検証する記事を掲載したことがある。

 当時、JR東日本の子会社が運営するファッションビル「ルミネ」が公式映像としてアップしていた「ルミネが働く女性たちを応援するスペシャルムービー」がセクハラだとして炎上。しかしこのとき、はあちゅうはセクハラCMに対する批判の声を冷笑するようなツイートをしていた。

〈好きな人にやられたら嬉しいことを嫌いな人がやったらセクハラになるって言葉思い出した。〉

セクハラ批判を冷笑するようなはあちゅうの過去の発言

 断っておくが、本サイトはいま、はあちゅうを攻撃しているセクハラ男たちのように「前はこんなこと言っていたくせに」とあげつらっているわけではない。

 自分がかつて、セクハラ告発を抑圧する側にいたことは、はあちゅう自身が前述のBuzzFeed Japanの記事のなかできちんと認めている。

「私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」
「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」

 本サイトがこの問題をもちだしたのは、このはあちゅうの過去の発言がセクハラ告発を冷笑する女性たちに共通するものであり、それを生み出しているのもまた、男社会の歪んだ構造であると考えるからだ。

 だから、本サイトはこの機会に、かつてはあちゅうを批判的に検証したこの記事をあえて再録したいと思う。はあちゅうを攻撃しているセクハラ男でなく、はあちゅうに冷ややか視線を投げかけている女性にぜひ、読んでもらいたい。そして、このときのはあちゅうの姿が、いまの自分たちの姿と地続きにあることを感じ取ってもらいたいと思う。
(編集部)

********************

 先週、JR東日本の子会社が運営するファッションビル「ルミネ」が公式映像としてアップしていた「ルミネが働く女性たちを応援するスペシャルムービー」が大炎上した。

 動画を見ていない人のために、動画内で描かれた物語を紹介しよう。

 まず、ボーダー服+パンツ+トレンチコートという出で立ちで出勤するひっつめ髪の女子が、会社近くで先輩と思しき男性と遭遇する。「なんか顔疲れてんなー、残業?」と声をかけられ、女子が「普通に寝ましたけど」と答えると、男性は「寝てそれ?」と言って笑いはじめる。そのとき、ふたりの同僚である、もうひとりの女子が登場。そのビジュー付きカーディガン+パステル系ふんわりワンピの巻き髪女子を見て、男性は「やっぱかわいいな、あの子」と言い、ボーダー女子に対し「大丈夫だよー、吉野とは需要が違うんだから」と述べる。そこに〈需要〉というテロップがかかり、〈求められること。この場合、「単なる仕事仲間」であり「職場の華」ではないという揶揄。〉と解説されるのだ。
 ……「需要のある女」と「需要のない女」を男性目線で分断・区別する。これだけで十分“アウト”なストーリーだが、問題はこのあと、当のボーダー女子が「最近サボってた?」と自問自答しはじめる点。そこで「変わりたい? 変わらなきゃ」というルミネのメッセージが流れるのだ。そう、男性目線で「需要がない」と断罪された女性が、その言葉をまんま内面化してしまうのである。

 ご存じの通り、このスペシャルムービーには非難の声が殺到し、すぐさまルミネも謝罪し動画は公開中止となった。だが、この騒動に対して、人気ブロガーの“はあちゅう”こと伊藤春香がTwitterにさらなる一石を投じ、そちらも話題になっている。

はあちゅう「イケメンだったら炎上しなかった」「嫌いな人がやったらセクハラになる」

 はあちゅうの主張は、こうだ。

〈ルミネのCM、上司がイケメンだったら炎上しなかったと思うんだけどな〜。好きな人のためなら頑張れるけど、冴えない上司に言われるのはムカつくってだけで、好きな人にやられたら嬉しいことを嫌いな人がやったらセクハラになるって言葉思い出した。〉

 はあちゅうは「イケメンだったら」というが、世の中はイケメンなら何を言っても許せるほど寛容な女ばかりであるはずがなく、このツイートも案の定、炎上。しかし問題は、“セクハラ行為も好きな人ならOKで、嫌いな人はNG”というコメントのほう。こうした女性の“矛盾”をつき、男性側から「好きな男に許すのならセクハラと騒ぐな」と批判が起こることは少なくないからだ。

 だが、このような言説に抗うように、声高に叫んだ女性がいる。

「嫌いな男が胸を触ってくるのに怒り、好きな男が触りたいと思うお尻が欲しい」

 言葉にしたのは、70年代に巻き起こったウーマン・リブを先導した、伝説の運動家・田中美津である。嫌いな男には触られたくないと拒否するし、だからといって好きな男に欲望される存在でありたいと思うことを否定する必要はない──田中はそう主張したのだ。

 田中がこのような言葉を口にしたのは、彼女自身が矛盾を抱える存在だったからだ。たとえば、田中の著書『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会)では、〈私自身の卑屈な例〉として、胡座をかいていたところに好きな男性がやってきて、とっさに足を正座に組み直したエピソードが紹介されている。

〈意識では、「女が、胡座をかいたっていいじゃないか」と100%思っている。ところが、好きな男が入ってきたらしい気配を感じただけで、考えるまでもなくからだが勝手に動いて正座になってしまった。女への抑圧って、かように身体化しているのか、いやぁ驚いたって思いました〉

 田中の世代の女たちは、男に好かれる女になること、男に選ばれる女になること、すなわち女らしい女になることを幼いころから徹底的に叩き込まれてきた。そうした男性の視線、男性の考える一方的な価値のなかでしか生きられなかった時代に、田中たちは自由に生きたいと立ち上がった。だからといって、男性に好かれたいという思いを、すぐさま消去できるほど人間は器用ではない。矛盾はさまざまな場面で立ち現れる。もちろん、男からだけでなく女からも、その矛盾は追及されてきた。

 しかし、田中はその矛盾を肯定した。矛盾し、引き裂かれる自分こそが、いつわらざる“いま、ここにいる私”だからだ。

〈あぐらから正座に変えた、そのとり乱しの中にあるあたしの本音とは〈女らしさ〉を否定するあたしと、男は女らしい女が好きなのだ、というその昔叩き込まれた思い込みが消しがたくあるあたしの、その二人のあたしがつくる「現在」にほかならない〉(『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』現代書館)

 田中はこの文章を約45年前に書き付けているが、いま、この時代にも、自分の矛盾にとり乱している女性はいるだろう。あるいはとり乱さないために、はあちゅうのように、消費される女性性を担保にして男社会の論理のなかでうまく立ち回りつつ、自分の価値を見出したほうがかしこいと考える女性もいるだろう。

はあちゅうは自らがうけた屈辱的セクハラをどう表現していたか

 でも、田中が述べたように、とり乱していていいのだ。一貫性がないと罵られても、いま〈ここにいる女〉として、セクハラにはノーと言えばいい。

 だからこそ気になるのは、はあちゅうが今回の騒動にかんして、こんなふうにつぶやいていることだ。

〈は~。なんかセクハラの話で私につっかかってくる人いまだに多いけどあんなのがセクハラって言ってる人に、私がクライアントに音読させられた「ハルカ・リーチ・オーガズム」っていう創作短編小説を読ませてあげたい!(引っ越しの荷物の中から今出てきた)〉

 そのクライアントに音読させられたという創作小説がどんなものなのかはわからないが、タイトルから察するに、よほど屈辱的な内容だったと思われる。それを声に出して読まされるという、耐えがたいセクハラを、彼女は受けたのだろう。ならば、いま一度、はあちゅうは考えてみてほしい。そのクライアントがイケメンだったら、自分はその屈辱を許せたのか?と。

 たぶん、はあちゅうは自分が受けたセクハラに比べたら、男に「需要/非需要」と分けられることくらいたいしたことではないからガマンしろとでも思っているのかもしれないが、セクハラの中身や程度の差は天秤にかけて計る必要などないものだ。そして、セクハラ小説を女性社員に読ませるという暴力的な行為は、女を「需要/非需要」に分けるという思考から発生している、ということを、ぜひ知ってほしいと思う。

 最後に、はあちゅうには田中美津のこんな言葉を贈りたい。

〈「なぜ私はそれを選ぶの、何で私はこんなふうに行動してしまうの?」という疑問や気付きと一緒に、世の中を変えていくということをやらない限りは、人も世の中も本当には変わらないと私は思います〉
(田岡 尼)

最終更新:2017.12.23 11:37

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