手塚治虫が描いた戦争をいま読み直す「飲まず食わずで、こんがり焼けた赤ん坊の手を…」そして30年前に警告していたこと

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

過酷な飢えの果てにある人肉食への欲求まで描いていた手塚治虫

 ただ、その避難所に多くの人が逃げ込んでしまったというのが悲劇だった。その橋が爆撃の標的になってしまったからだ。『どついたれ』で登場する、爆弾で壊された橋や死体の山は、この状況を描いているのだと思われる。

〈ところが、その堤防めがけて無差別の何トン爆弾というやつが落ちたのです。避難した人たちはひとたまりもありません。ぼくが堤防に駆けあがると、死体の山です。ウシもたくさん死んでいました。淀川の堤防で食料増産のために、牧場の代わりに、ウシを飼っていたのです。そこへ爆弾が落ちて、人間もウシもいっしょくたに死んでいる。ウシは黒こげになって煙がぶうっと出ている。ビフテキみたいな臭いがぷーんとただよっています。上流のほうにある淀川大橋にも直撃弾が当たりました。だから、大橋の下に逃げ込んだ人たちがひとたまりもなくやられてしまった。
 大阪の方向や、阪神沿線を見ると、まっ暗な雲の下が赤く光っています。それもふつうの赤ではありません。ちょっと形容のしがたい赤色なのです。赤いイルミネーションのようです。それを見ているうちに、現実の世界ではないのではないか、もしかしたら夢を見ているのではないか、あるいはぼくはもう死んでしまって、地獄なのではないかという気が一瞬したのです。そのくらい恐ろしい光景でした〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)

 こういった壮絶な体験をした数カ月後、日本は終戦を迎えることになる。そのときに感じた思いを手塚はこのように綴っている。

〈八月十五日の夜、阪急百貨店のシャンデリアがパーッとついている。外に出てみると、一面の焼け野原なのに、どこに電灯が残っていたかと思えるほど、こうこうと街灯がつき、ネオンまでついているのです。それを見てぼくは立ち往生してしまいました。
「ああ、生きていてよかった」と、そのときはじめて思いました。ひじょうにひもじかったり、空襲などで何回か、「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし、八月十五日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。
 そしてその体験をいまもありありと覚えています。それがこの四十年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。ぼくのマンガでは、いろいろなものを描いていますが、基本的なテーマはそれなのです。
 つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまうのです。そのくらいショックだったわけです。ぼくなりにそれが人生の最大の体験で、これを一生描きつづけようと心に決めたわけではありませんが、とにかく描いているかぎりどうしても出てきてしまうのです〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

この記事に関する本・雑誌

新着芸能・エンタメスキャンダルビジネス社会カルチャーくらし

手塚治虫が描いた戦争をいま読み直す「飲まず食わずで、こんがり焼けた赤ん坊の手を…」そして30年前に警告していたことのページです。LITERA政治マスコミジャーナリズムオピニオン社会問題芸能(エンタメ)スキャンダルカルチャーなど社会で話題のニュースを本や雑誌から掘り起こすサイトです。手塚治虫編集部の記事ならリテラへ。

マガジン9

人気連載

アベを倒したい!

アベを倒したい!

室井佑月

ブラ弁は見た!

ブラ弁は見た!

ブラック企業被害対策弁護団

ニッポン抑圧と腐敗の現場

ニッポン抑圧と腐敗の現場

横田 一

メディア定点観測

メディア定点観測

編集部

ネット右翼の15年

ネット右翼の15年

野間易通

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

赤井 歪

政治からテレビを守れ!

政治からテレビを守れ!

水島宏明

「売れてる本」の取扱説明書

「売れてる本」の取扱説明書

武田砂鉄