右派論壇誌“ヘイトスピーチ”広告の20年間を検証! 彼らは敵の設定と愛国話法をどう変化させてきたのか

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左・『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌韓・嫌中」の系譜」(合同出版)/右・1938年刊行、講談社の絵本『日本よい国』大日本雄弁会講談社(『神国日本のトンデモ決戦生活』合同出版より)


「本当に日本人として誇りに思います」

 日本時間10月5日、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授の記者会見中、電話口からそう喋りかけたのはご存知、安倍晋三首相。翌6日にも梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長にノーベル物理学賞が贈られ、連日の日本人受賞のニュースに、テレビが伝える町の声もネット上も、こんな言葉で溢れかえっている。

「ノーベル賞すげえw日本人の底力を感じるなw」「日本人の誇りですよね」「日本人は凄いなぁ」「日本人の模範やモデルとなる」

 ちなみに最後のセリフは辞任した下村博文元文科相による一言だが、気がかりなのはこんな見出しのマスコミ記事まで登場していることだ。

〈【ソウルからヨボセヨ】ノーベル賞でもため息の連続…「日本人は何人受賞したのか?」〉

 産経新聞が6日付ウェブ版で配信した外信コラムのタイトルである。ノーベル賞の話題ですら韓国に対する優越感に結びつけるその性根が差別意識と紙一重なのは、産経新聞社刊行の保守論壇誌「正論」の見出しを一目すればおわかりだろう。

〈韓国よ、いいかげんにせんか!〉(12年10月)
〈総力特集 韓国という厄災〉〈韓国は叩け、さもなければつけ上がる〉(12年11月号)
〈特集 韓国につける薬はあるのか〉(13年10月号)

 こうしたヘイトまがいの悪辣な韓国バッシングを新聞広告や電車の中吊りで目にするようになってから久しいが、しかし、右派による“嫌韓キャンペーン”の濃度はずっと均一だったわけではない。むしろ時代とともに、彼らが設定する“敵の姿形”や“愛国の話法”は微妙に変容してきた。

 それを教えてくれるのが、9月に刊行された『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)だ。同書は1994年からの20年間で日刊全国紙に掲載された右派論壇誌の“広告”をとりあげ、その変化やメッセージを考察した一冊。引用されている図版の総数は実に140点以上、めくるめく“愛国、反中、嫌韓”の惹句を解読するのは、右派の世界観における歴史修正主義やヘイトスピーチの位置付けを研究する能川元一氏と、戦前・戦中日本の翼賛型図版の蒐集・分析などで知られる早川タダノリ氏のふたりだ。

 たとえば、雑誌媒体で「反日嫌韓」というフレーズが用いられた初期の90年代半ば、「SAPIO」(小学館)94年2月24日号の広告では、〈見えない「日韓大戦争」〉という見出しこそ突飛だが同時に〈「アジアの時代」になぜ憎しみあい、侮辱しあわねばならないのか?〉とあって、日韓関係が相互的な問題を孕んでいることを示唆している。ところが2000年代に入ると、同じ「SAPIO」でも〈韓国「反日症候群」の正体〉(01年9月26日号)と一方的に“反日”を問題視するように。

 そして、第二次安倍政権誕生の翌年、「ヘイトスピーチ」がユーキャン新語・流行語大賞トップ10に入った13年には、差別的侮蔑〈日本人が知っておくべき「嘘つき韓国の正体」連動大特集〉(同年5月号)や、錯乱した“勝利宣言”〈韓国がついに日本にギブアップ!〉(同年7月号)まで登場。どんどん扇情的かつ下劣になっていったことがわかる。

 だが、15年に入ると、あれだけの賑わいを見せた“嫌韓ヘイト見出し”も右派論壇誌でやや控えめになり、同じく出版ラッシュだった嫌韓反中本の勢いが下火になっていることも事実。その代わりに隆盛を極めているのが、テレビ番組や雑誌・ムックで溢れる「日本(人)はスゴイ!」なる“日本礼賛言説”だ。しかし、実はこのふたつ、右派論壇ではさながら“双子”のような間柄だったのである。

「嫌韓本の売り上げが落ちているのは、すでに市場を食い尽くしたからでしょう。いま、社会全体としては『日本スゴイ!』的な言説のほうに注目が移っていますが、『憎悪の広告』の制作過程で、その出発点が1997年ごろにあったことが見えてきました」

 そう語るのは著者のひとり、早川タダノリ氏。2010年に戦前・戦中日本の戦意高揚に一役買った雑誌等を集めた『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版)を上梓、以降も精力的に翼賛アジテーション型広告チラシの物語構造を分析する著書を発表してきた。全体の構成と一部コメントを担当した本作『憎悪の広告』でも、右派論壇誌の「日本スゴイ!」的自画自賛広告の歴史に一章を割いている。

「愛国心というのは、単に『私は日本を愛しています』という表明ではなくて、『愛国心を持て!』と、必ず命令形で語られる。これは人に何かをやらせるための大義名分、政治的な言葉であって、実は個人的な愛情の告白でも好き嫌いの話でもないのです。この愛国心の宣揚を歴史的に追跡してみると、嫌韓嫌中、つまり“敵”への憎悪と常に一体なのではないか、と思うんです」

 たとえば、同書で取り上げられている右派論壇誌広告を見てみると、〈「愛国心」はタブーではない〉(「SAPIO」98年2月4日号)という“戦後教育が日本人から「愛国心」を剥奪した”と言いたげな被害者的感覚が見当たる一方、ほぼ同時期には〈世界からはこんな声も だから、日本が好きだ〉(「SAPIO」99年10月27日号)なる、昨今の外国人を登場させ日本を褒め称えるテレビ番組を彷彿とさせる惹句があらわれている。そして同じ号には〈「反日感情」は日本のメディアが作っている〉という“一部の日本人も敵だ!”との宣言も。

「今、みなが一斉に身構えるのが、『愛国』の裏側としての『反日日本人』『自虐的』というキーワードです。そのひとつの転機となったのが97年前後に『自虐史観』という言葉を作りだした『新しい歴史教科書をつくる会』による『自虐史観教科書』『日教組の反日教育』バッシングでした。国会図書館で調べてみると、最初に『反日日本人』という言葉が登場したのは、83、84年ごろ。現在『つくる会』の教科書を出版している自由社が出していた『自由』という雑誌に、当時の右派論壇人、小堀桂一郎らが書いていたぐらいで、じつは『反日』という言葉は狭い右派のセクトだけで使われていたんです。それが今ではワイドショーなどでも日常的に聞くようになりましたよね。新しい概念や言葉を作ることによって、社会的な意識が形成されていくというのは、出版業界に身を置いているとよくわかります」

 自分の言い分に納得しない者に「反日日本人」のスティグマを刻印するのは、まるで先の戦争での「非国民」の呼び名と同じではないか。早川氏に、戦前・戦中の広告と、現在の広告の類似点、あるいは差異について尋ねてみた。

「そうですね、戦前は今よりも出版・言論は国家の統制下におかれていたことは確かですけれど、じつは、銃後の読者たちは意外とのんびりしていた。当時の新聞記事の広告を見ていくと、たとえば『暴支膺懲』を煽る総合誌のとなりに『松坂屋 夏のお中元セール』みたいなのが載っているわけですよ(笑)。夏の海水浴や水着の広告なんかも普通に掲載されていた。戦争は日常生活の中に併存していたわけです。これは山中恒さんがお書きになっていますけど、昭和19年の春に空襲が始まるまで銃後は「平和」だったんです。もちろん、大東亜戦争に入ると、物資も本当に逼迫してきますから、必然的に新聞や雑誌のページ数が少なくなってくる。集まる広告もギュッと濃縮されて、国策動員型の広告ばかりになりますから、雰囲気は殺伐としていきます」

 早川氏は、茶色がかった薄い冊子のようなものを取り出す。昭和20年3月11日号の経済誌「ダイヤモンド」。発売日は東京大空襲の前日だ。

「東京が灰燼に帰したなかで発売されたわけですが、本のつくりをよく見てください。断裁すらできず、一枚の大きな紙を折っただけなんです。これに〈空爆下の出勤向上 決戦勤労観の把握〉という特集記事が載っています。当時は、警戒警報が朝から鳴っているわけですよ。だから、みんな工場に出てこない。しかし記事はこのように始まります。『今や生産即戦場──職場は戦場となった。空に敵機の爆音を聞き乍ら勤労者はその持ち場の仕事と取組ねばならぬ』。ようするに、危なくても出勤しろ! サイレンが鳴っても帰らず夕方まで会社にいろ!と。いや、もうやられたらアウトじゃないですか。しかも『職場安全感の確保』なんて小見出しもありますが“安全”じゃなくて安全“感”ってところがすごい。見つけたときは衝撃的でしたね(笑)」

 太平洋戦争末期で生活もどん詰まり。大空襲の後の焼け野原にて「安全“感”の確保」を指南された庶民は何を思っただろうか……。一方、7年ほど時代を遡って、支那事変勃発の翌年、昭和13年。まだ余裕のある国内で、国家総動員法が公布されたこの年に発行された一冊の絵本を早川氏は見せてくれた。表紙には、富士山を背景に日の丸の旗を担ぐ幼顔の少年少女たち。タイトルは、“子供が良くなる講談社の繪本”『日本よい国』、とある。

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『日本よい国』より。アメリカ人を投げ飛ばす日本人。海老反りっぷりが尋常じゃない勢いを物語る。「柔道が強くなれば体の大きい力のつよい外国人としあいをしてもけっしてまけません。柔道というものはえらいものです」と。さすが日本人は腰がつよい!?


「この絵本はようするに、この国がどれだけ偉大かという『日本スゴイ!』コンテンツの元祖ですね。まず日本神話のイラストから、つまり日本は『神の国』であるというところから始まり、国史をひととおり解説します。そして戦線の勇ましい日本兵の図説。次のページには戦闘機がドンッときます。『飛行機もりっぱですが将兵がすぐれているからです』と書いてありますね。ページをめくると靖国神社へ。おお!この自然な流れ。続いて靖国刀があり、剣道が盛んで柔道も盛んな国だと……この絵をみてください。日本人がアメリカ人を一本背負いで盛大に投げ飛ばしています。『柔道というものはえらいものです』と書かれていますね」

 そして絵本は、巨大な日の丸がはためく国民学校の朝礼の模様へと続く。背景にはモダンな鉄筋コンクリート風の3階建て。なお、校舎はガラス張りでサンルームのようになっているのだが、それは当時、教育現場で日光浴が奨励されていたからだ。美しい日本、強い日本、モダンな日本、神の国日本……『日本よい国』を読んだ子どもたちは、さぞ「日本ってスゴイ!」と思ったことだろう。

「恐ろしいのは、今から77年前に出版されたこの絵本が、現在の『日本スゴイ!』コンテンツの構造と似ていることです。もちろん“日本国内にはこんなすごいものがあるよ”という番組は昔からありました。グルメ番組や旅行番組もある意味そうですよね。しかし、それらはみな、知的関心を満たすだけで終わる。一方、現在の『日本スゴイ!』的な番組は、日本人としての“誇り”や“自信”“元気がでる”など、ある種、非常にソフトなナショナリズムに回収するような番組の作り方がされています。じつは、この絵本のタイトルである『日本よい国』というのは、当時の修身教科書にも載っているフレーズなんです。そして冒頭にはこう記されています。『(本書は)この非常時局に臨んで、児童の脳裏に国家意識を植付けようとする意図の下に編纂されて居る』と」

 もともと、“日本的なもの”ってなんなんだろう?という素朴な疑問から、戦前・戦中日本の大衆印刷や雑誌などを読みだしたという早川氏。

「たぶん戦前・敗戦までは“古きよき日本”があったのだろう、と漠然と思っていました。中学生ぐらいの頃、自分の頭を“戦前脳”にすると、昔の日本のことがわかるんじゃないかなと考えつき、図書館で古い雑誌などを読み始めたんです。つまり最初はユートピアだと思っていた。でも、実際にはものすごくディストピアだった(笑)」

 SF好きもあいまって、どんどんのめりこんでいったという早川氏だが、そうして当時の雑誌や大衆広告に触れるなかで、“ひょっとして、これは過去のことではなくて、じつは未来のことではないのか?”と感じていたという。

「たぶん、『憎悪の広告』を中学生の頃の僕が読むと、うわ!やっぱり未来はこうなったか!と感じるだろうな」

 現在だけを切り取って「日本は凄い」「日本人として誇りに思う」と語るとき、視界から外れるものがある。『憎悪の広告』から「愛国」の系譜をたどっていくと、そんな風に思えてならない。

「ひょっとすると、すでに時代が過去の総動員体制を追い越してしまったのかもしれません。戦前・戦中の広告は僕にとってのディストピア的な未来だったんです。それが、今は、もう追いつかれ、さらには追い越されようとしているんじゃないかって」
(梶田陽介)

最終更新:2018.10.18 05:06

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