沖縄県知事選直前インタビュー

宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」

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宮台真司オフィシャルサイト「MIYADAI.com」より

 11月16日に投開票を控える沖縄県知事選挙。現職・仲井眞弘多知事による、米軍普天間基地の辺野古移設を目的とした埋め立て承認の是非が最大の焦点だ。この推進・反対をめぐり県内保守勢力が分裂。国内米軍基地の7割以上(面積比)が集中する沖縄で、基地返還への熱気が近年最大の盛り上がりを見せている。

 一方で「問題は基地が還ったその後にこそあります」と指摘するのは、社会学者の宮台真司だ。10月には作家・仲村清司との対談本『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)を上梓し、従来とは別の角度から沖縄を論じている。琉球諸島へ何度も足を運び、元知事・大田昌秀氏とも議論するなど、深い場所から沖縄の考察を試みる宮台にインタビューを敢行した。話題は沖縄だけに留まらず、地方の〈ヤンキー〉、ネット右翼問題、そして〈劣化〉問題へと発展。前・後編にわたってお届けする。

………………………………………………

──まずは今回の沖縄県知事選についてお聞かせください。今度の選挙は、保革を超えて「基地反対」でつながったことで、沖縄のアイデンティティを取り戻す戦いだという機運が高まっていると思うのですが。

宮台真司(以下、宮台) まず強調しておきたいのは、今回の知事選における翁長雄志氏の「オール沖縄」運動は、根本的な問題を沖縄の人たちが共有する従来にないチャンスだということです。しかし、左右対立を超える「オール沖縄」は良いが、沖縄アイデンティティを持ち出すのは違う。たとえば、沖縄タイムスと琉球新報は話題になったスコットランド独立運動を沖縄に引きつけて「アイデンティティかカネか」と紹介していましたが、今日アイデンティティ・ベースの独立運動はあり得ない。スコットランドにはゲール人系もいればケルト人系もいればイングランド系もいるわけで、アイデンティティを持ち出すと差別と抑圧が隠蔽される。そこで、スコットランドはアイデンティティではなく価値を独立の理由にした。スコットランドは気候が厳しく工場労働者が多いので、一貫して議会選挙で労働党議員を送り出してきたんですが、独立に際しても、新自由主義をイングライド的な価値として否定したわけです。沖縄も同じで、アイデンティティに頼ったら宮古差別・八重山差別・奄美差別が隠蔽される。沖縄も〈価値のシェア〉をベースに「オール沖縄」を展開すべきなんですよ。

──沖縄における〈価値のシェア〉とは何なんでしょう?

宮台 保守すべき沖縄社会の価値に合意することが〈価値のシェア〉に相当します。そもそも保守には、かつての亜細亜主義者のような〈社会保守〉、安倍晋三推しの経済界の如き〈経済保守〉、反共主義者や反韓主義者みたいな〈政治保守〉、アメリカの福音諸派のような〈宗教保守〉がありますよね。たとえば、安倍の場合は〈経済保守〉で財界が喜ぶように経済を回そうとする。政権維持を図って『戦後レジーム』を終らせるというように〈政治保守〉としてもふるまっているけど、その部分は馬鹿なネトウヨしか共感しないから、〈経済保守〉の側面だけを注視すればいい。他方、翁長氏はしまくとぅば普及運動を推進する〈社会保守〉です。戦間期の和辻哲郎の『風土を守る』『習俗を守る』の発想に近い。〈社会保守〉の特徴は国境にこだわらないこと。戦間期の北九州にいた亜細亜主義者たちが典型です。カネにこだわる内地の〈経済保守〉は浅ましく、国境にこだわる内地の〈政治保守〉は頓珍漢で、どちらも沖縄の道じゃない。むろん〈社会保守〉を貫徹すれば観光価値を長期的に保全できる。つまり、翁長氏が自民党と袂を分かって戦う理由は、内地の〈経済保守〉と沖縄の〈社会保守〉が両立しないからだ、と宣言すべきなのです。

──たしかに、内地の〈経済保守〉にひっぱられるかたちで、沖縄が基地を甘んじて受け入れてきたという側面はあると思います。ですが、そこでひとつ疑問が生じます。なぜ沖縄はこれまで内地の〈経済保守〉に対抗しきれなかったのでしょうか?

宮台 それを理解するためには、今からいう前提を知っておく必要がある。内地と違い、血縁主義による分厚い家族・親族ネットワークがある沖縄では、顔見知り範囲の〈社交〉はあっても、国民共同体みたいに見ず知らずの範囲に及ぶ〈社会〉の観念がない。〈社交〉を越える〈社会〉の観念がないと、広域をガバナンスできません。たとえば、基地返還が毎度カネで片付けられるのは、血縁に軍用地地主がいたり交付金による土木事業に関わる者がいて、声を挙げづらいからです。基地依存経済だからという単純な話じゃない。でも〈社会〉観念の不在は、古層まで遡ればどこでも同じです。〈見ず知らずからなる我々〉の意識は、19世紀に戦争への共同防衛の意識から欧州に国民意識が醸成されるまで、歴史上ありませんでした。日本も19世紀末に天皇を使って〈見ず知らずからなる我々〉の意識をやっと醸成した。見ず知らずの人を名指して敵だ味方だといきり立つネトウヨのような馬鹿は、19世紀になるまで世界のどこにも存在しなかったわけです。ところが沖縄では、聖性を水平に観念するニライカナイ信仰が象徴するように、古層が残り、〈社交〉の外に〈社会〉を中抜きして直接〈聖なる世界〉が拡がっている。実際、離島を含めた琉球王国の範域を覆う〈我々意識〉は、今に至るまで存在しません。ちなみに〈見ず知らずからなる我々〉を背景とした国民国家(主権国家)は2段階で成立しました。第1段階は17世紀前半の30年戦争。新教と旧教の諸侯間のこの宗教戦争を、各諸侯に信仰の自由があるとする形で手打ちしたのがウェストファリア条約です。本来は「神が人を選ぶ」以上、「人が神を選ぶ」とする手打ちは、敢えてする虚構です。実際当初は、主権sovereigntyの概念の元になるsovereignも「諸侯」を意味しました。第2段階は、フランス革命後の王朝弱体化を背景とした「皆で武器をとらないと掠奪される」との危機感。そこから〈諸侯にとって代わる我々=見ず知らずの我々〉という国民意識が生まれたのです。〈社交〉と区別される〈社会〉の誕生です。

──つまり、沖縄には〈社会〉がないが、内地の人々が想定している〈社会〉もそもそもは虚構から成立したものだった、と。そしてその虚構を信じることで、内地の私たちは日常を生きることができていた。では、沖縄のように〈社会〉ではなく〈社交〉のうちに生きるということは、内地とどのような違いがあるのでしょうか?

宮台 ひとつは、沖縄には〈社会〉の概念がないので広域ガバナンスがなかなかできません。ゆえに、基地返還の実現には〈社会〉を持たずに広域ガバナンスをする戦略を編み出す必要があります。しかし、柳田國男がそうでしたが、僕には〈社会〉の虚構を信じない沖縄が魅力的に見える。昨今ではグローバル化で中間層が分解した結果、どこでも国民意識が風前の灯になり、〈感情の劣化〉を被った全体主義者が出てきています。国境を否定するイスラム国に先進国の若者が大挙参加する背景にも、中間層の分解による殺伐化と、国民意識の崩壊がある。〈見ず知らずからなる我々〉の虚構は意外に寿命が短く、ガバナンスができなくなって各国は混乱しているというわけです。つまり〈社会〉を欠くがゆえの広域ガバナンスの困難は、沖縄だけの問題じゃない。グローバル化を含めて副作用だらけの〈社会〉の虚構に依存することなく、広域ガバナンスを達成するという課題に、沖縄がどこよりも早く直面しているということなんです。だからこそ、翁長氏の「オール沖縄」運動は、ここで紹介してきたような問題を沖縄の人たちが共有する、類例のないチャンスだと思う。チャンスを利用して、沖縄が抱える構造的問題を解決する具体策につなげてほしいんです。

──沖縄が抱える構造的問題とはどういうものでしょう?

宮台 基地をネタにカネを引きだそうとした結果、基地に依存する経済体質になって抜けられなくなる。自己決定的な敢えてする依存が、余儀なくされた依存に頽落する。これが構造的であるという意味です。こうした〈自律的依存から他律的依存への頽落〉はフクシマも同じですが、沖縄の場合、内地からカネを引き出すのが〈復讐〉だとする共通了解があった。でも、霞が関官僚にとってそんなことはどうでもよく、カネで片がつく話だから沖縄が何を言っても取り合う必要はないと〈軽蔑〉される。こうした〈復讐〉と〈軽蔑〉のカップリングが沖縄の尊厳を自己破壊しているんだけれど、基地返還跡地が「どこにでもあるショッピングモール」になることも、内地の役人連中から「所詮はカネか、くっくっく」という〈軽蔑〉を招きます。

──そうなると基地問題は完全に固定化しているように感じますが、それを解決することはできるのですか?

宮台 方法が3つあります。第1に、米軍施設の各々について隣接市町村が基地存置の是非をめぐる住民投票を行う。過去20年で米国外に置かれた米軍基地の数は3分の1に減りましたが、それは独裁政権崩壊後の住民投票が背景にあります。第2に、住民投票に際して跡地利用計画をめぐる地域住民の熟議を興す。そのことで、日本政府と米国政府の双方に対し「本気を示す」と同時に、分断されがちな地域で〈我々〉を取り戻すのです。第3は、基地に関係する外交アクション。基地について日米両政府が合意する際、先行して沖縄の合意をとりつけることを必須条件とするよう両政府に要求する。沖縄が日本の米軍用地の74パーセントを引き受ける以上、当然です。今は(1)沖縄を蚊帳の外に置いて日米合意し、(2)『丁寧なご説明』と称して沖縄に押しつけ、(3)納得しなければカネで手打ちする、という順番になっていますが、実は、沖縄には日本政府の頭越しにアメリカ政府と交渉する力が今もある。辺野古で、防衛庁が珊瑚礁を守れるシュワブ内陸案で行こうとしたら、土建屋からなる民間親睦団体の沖縄県防衛協会北部支部が大量の砂利とコンクリを使うV字型滑走路案にアメリカ政府と密かに合意、引っくり返してしまいました。この親睦団体代表が仲井眞知事なのだから笑える。彼が『珊瑚礁を守る県外移設』なんて本気で考えるはずがないじゃないか。なのに琉球民族独立総合研究学会の知念ウシなどが『仲井眞さん頑張って』と叫んでいたのだから、呆れるわけ。

──なぜこれまで沖縄は、宮台さんのいうような方法をとれなかったのでしょうか。

宮台 実は1990年~98年の大田昌秀県政がこれらを実行しようとしたけど、第1については、96年に県民投票が1度行われただけ。それ以降1度もない。今度の知事選では下地幹郎候補がこれを主張しているけど、有効な戦略です。第2については、41箇所あった米軍施設毎に跡地利用計画を立てる「基地返還アクションプログラム」が、県内マンパワーの不足から中央のコンサルに丸投げして終わった。普段から内地を含めた知的ネットワークを動かす必要があります。関連する「国際都市形成構想」も、フリートレードゾーンの経済話に終始したのが失敗でした。二重冊封体制や内地による周辺化の歴史を踏まえ、日本を敵視する国が参加する国際会議の場所にこそ相応しいと押し出すべきだったのです。そして、長期のルネサンスを目差す大田構想が失敗した理由を反省して巻き直すことなく、霞が関の一部役人が馬鹿にするように短期のキャッシュに目が眩んだ結果が、北谷やおもろまちの基地跡地にできた大型ショッピングモールです。

──しかし、公共事業は、閉じた地域経済に経済波及効果をもたらすものという理解が一般にはありますよね。事実、北谷のショッピングモール・ハンビータウンは基地跡地利用の成功例として語られる場合が多い。

宮台 間違ってるね。第1に、どこにでもある娯楽施設は、観光地としての付加価値を増大どころか減少させる。第2に、共同売店に代表される自立的経済圏を破壊、出資の多くが内地だから相対的に僅かな雇用とカネしか沖縄に落ちない。第3が大問題で、これが内地なら単なる愚昧な自業自得という話で終わるけど、沖縄の場合はこうした政策的不作為が帰結する「本土並み化」で、風土から生活形式まで含めて〈社会保守〉が不可能になり、沖縄は沖縄でなくなる。

──それは沖縄の人たちがのぞむことではない、と。実際、本書のなかでも宮台さんの周辺にいる沖縄から内地へ出てきた若い世代のなかで、「沖縄が嫌いだ」という人が増えてきたという話がありましたね。

宮台 社会が空洞化すると埋め合わせとして奇妙な観念が跋扈する、とするヨアヒム・リッターの埋め合わせ理論があります。沖縄が空洞化すると、元に戻す代わりに、しまくとぅばやアイデンティティや歴史の説教が持ち出される。これらは〈社会保守〉に見えて、実はそれにつながらない弥縫に過ぎない。気休めに過ぎないものが押しつけられると、年長世代と記憶を共有しない若者が反発します。過去の悲劇を持ち出すことで、むしろ共同体が世代的に分断されるのです。内地でもそれが起こっています。「〈恨みベース〉から〈希望ベース〉へ」と僕が言うのはそれに関係する。1985年のヴァイツゼッカー西独大統領演説じゃないけど、〈過去〉の罪体験や被害体験は人それぞれで、皆を一つにしない。〈未来〉への価値を共有し、希望を実現する責任を共有することだけが、共同の未来を切り開く。どんな〈未来〉に価値を認めるかで一つになろうとせず、〈過去〉の怨念で一つになろうとしても社会構想につながりません。スコットランド独立運動が、人頭税の怨念よりも、ネオリベ(経済保守)否定を前面に掲げる理由です。

──地域社会に注目すると、本書でなされている議論は沖縄に限ったことだけではない気もします。一部では里山資本主義的な動きもありますが、結局地方は、土建屋的なものに頼らざるをえない。地方にいくと、いわゆる〈ヤンキー〉が地域社会をまわしている。例えば日本JC(日本青年会議所)はその象徴のような印象がありますが。

宮台 内地は地縁社会で、沖縄のような血縁による家族・親族ネットワークではない。同じ釜の飯で地元の小中学校を一緒に過ごした連中の共同意識が強く、その範囲での相互扶助は東京から想像もできない。それがJC的なものです。しかしそれが必ずしも自立的共同体を意味しない。維新政府以来の伝統で、これら地域団体は自民党的中央行政のガバナンス下にあり、選挙の際には戦前的動員システムがそのまま使われる。その結果、昨今の沖縄と違って〈社会保守〉と〈経済保守〉と〈政治保守〉の差異に気づかず、日の丸万歳≒安倍晋三万歳みたいな思考停止に陥り、地域空洞化の墓穴を掘る。戦前からの歴史を知る者からすれば、これは保守ならぬ劣化にすぎない。こうした地域団体は、欧米では中央行政と距離をとるためのものですが、日本では明治5年以降の行政村による自然村の置き換えに見られるように、地域団体が中央行政のツールとして再編されてきた。ヤンキーやJC的なものが地域を回すというのは、そのことです。柳田國男が定住的農民ならぬ非定住的山人を価値の準拠点にしたのも、江戸時代このかた地方が内発的に積極性を発揮したことがないという歴史を慨嘆してのこと。さらに戦後を見ると、60年代まで地方出身者やブルーカラーは見ただけで分かった。地方は劣等感を抱き、それゆえに上昇欲求を抱いた。それを背景に、ムラは地域一丸で神童を中央に送り出し、神童は故郷に錦を飾ろうとした。それゆえに帝国官僚は「立派になる」という言葉に象徴されるように、公共心を持つことがありえたのです。やがて時が経って「立派になる」よりも「うまくやる」ことが優位になり、今ではもう中央の役人に公共心を期待するなどありえなくなっている。にもかかわらず、内地の一部は日本人という〈見ず知らずからなる我々〉を信じ込み、中央行政に思考停止で依存する。こうした劣化を、地縁集団の共同意識と両立させているのが、ヤンキー的なものだと言えるでしょう。巷の見方と違い、これにはまったく可能性がない。

──一方、沖縄はまだかろうじて内地の霞が関を追随するヤンキー的地方行政に絡めとられていない、ということでしょうか?

宮台 米軍基地があり、反対闘争があり、内地への抗いを意識できる間は、ヤンキー的地方行政にはならない。でも、それは永久には続きません。現に基地が還ったらどうするんだと意識してほしい。それを意識しないから、のんきな反対運動に終始しているんですよ。

──話を沖縄のアイデンティティに戻します。仮にこれが、あくまで問題を共有するための道具立てであるとしても、他方、石垣などでは、中央的な中国脅威論に引きずられるかたちで右傾化が進んでいるという話も聞きます。こういったものが基地維持派の支持母体になるのでは、と推測しているのですが。そうした沖縄の人々のなかには、親米保守の本土的感覚で、米軍駐在もやむなし、とする気持ちもあるのではないか。

宮台 自力で物事を考えられない輩は内地にも沖縄にもいます。メディア情報の適切な解釈は、マスコミでもネットでも「こういうことは旦那に聞かなきゃわかんねえ」という対人ネットワーク抜きにありえないとするのが学問的伝統です。それゆえに、対人ネットワークを支える中間層や共同体が空洞化すれば、必ず〈教養の劣化〉が始まる。こうした個人化的な分断による〈教養の劣化〉にメディアリテラシー教育で抗うことはできません。トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が言う通り、第2次大戦後の20年間ほどは、重化学工業化と郊外化を背景に分厚い中間層が育ち、それが民主制を健全に回せる公民の存在を信頼可能にした。でも、それは歴史的な例外です。社会学の伝統には大衆社会論があり、人々が個人化的に分断されれば必ず〈教養の劣化〉に加えて〈感情の劣化〉を招くと考えてきた。大衆社会論は、〈社会〉の劣化が「埋め合わせ」としての全体主義を呼び寄せると見ます。それは時代や文化で変わらない普遍テーゼです。資本移動自由化(グローバル化)を伴う資本主義が〈社会〉を劣化させるとするのも、同じく普遍テーゼです。これら2つの普遍テーゼを組み合わせれば、昨今の先進各国における民主主義の危機を簡単に説明できます。

──〈教養の劣化〉はまだ何となく分かりますし、実感もあります。そこに加え〈感情の劣化〉が現代には見られると宮台さんは言いますが、なぜ知識の不足やリテラシーのなさではなく、とりわけ感情の問題になるのですか?

宮台 昨今は、コミュニタリアニズム・進化生物学・徳倫理学・道徳心理学・プラグマティズムを貫通して、感情プログラムが注目されています。とりわけ損得勘定の〈自発性〉を越える、湧き上がる貢献心としての〈内発性〉への注目。僕が書籍版『白熱教室』(『これからの「正義」の話をしよう』早川書房)のオビを書いたマイケル・サンデルが引用する、マーク・ハウザーのトロッコ問題は、僕たちが〈感情の越えられない壁〉によって制約されることなしに、共同体を営めないことを証明するものです。この〈感情の越えられない壁〉には進化生物学的な継承もありますが、大半は共同体での育ち上がりによってインストールされるプログラムです。感情プログラムの適切性を横に置いて制度論を展開しても無意味だ、とサンデルは言います。2ちゃんねるYouTubeなどでネトウヨやヘイトのキモい佇まいを見てください。ああした愚昧な恥さらしが社会成員の大半になったとき、妥当な制度があれば社会が回せるなんて思えますか。日本に限らず諸分野で感情が注目される理由です。

──たしかに今、ネット上は酷いことになっていますね。中傷、差別、嫌悪。正義も、品格もない言葉が乱れ飛んでいます。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

宮台 中間層が分解した現在、〈見ず知らずからなる我々〉の意識は逆に危険で、実際その種の輩たちは、見も知らない人々を一括して敵だ味方だとホザいて回っている。この点、沖縄は〈見ず知らずからなる我々〉をネタ以上には信じないのでアドバンテージがあります。残念ながら、〈感情の劣化〉を示す連中に理屈を説いてもムダです。これを佐藤優氏は「反知性主義の時代」と呼んでいる。理屈を説いてもムダな連中が増殖する中、どうすればいいのか。それを今から説明します。

 後編へ続く。

(語り手=宮台真司〈敬称略〉/聞き手=HK・吉岡命)


■宮台真司プロフィール
1959年生まれ。社会学者。映画評論家。首都大学東京教授。権力論、国家論、宗教論などに通じ、なかでも女子高生のブルセラや援助交際の実態などをフィールドワークにより明らかにするなど、性愛論や文化論に関する著作で若者たちから熱狂的な支持を集める。近著に、作家・仲村清司と沖縄問題について対談した『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)がある。

最終更新:2014.11.04 12:17

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