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宇多田ヒカルの復帰アルバムを後押ししたのは「自死遺族の会への参加」だった! 母の死を超えた先にあるもの
宇多田ヒカルのオフィシャルサイトより
「人間活動」から復帰した宇多田ヒカルの、8年半ぶりとなるフルアルバム『Fantôme』が、オリコン週間ランキングで堂々の1位を獲得した。現在のCD業界は、AKB48をはじめ特典商法頼みになっており、同日発売のEXILEのベストアルバムも複数枚購入をさせるための露骨な特典商法を仕掛けていた。それを抑えての1位というのは大きな意味がある。
ただ、そのこと自体は宇多田ヒカルというアーティストの唯一無二性を考えればそう驚く話ではないのかもしれない。むしろ、私たちがびっくりしたのは、このアルバムの楽曲の中身。彼女が亡くなった母親への思いを想像以上にストレートに現していたことだ。
今年4月に先行発表されていたNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」、『NEWS ZERO』 のテーマソング「真夏の通り雨」、そして、〈私の心の中にあなたがいる いつ如何なる時も 一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった〉と力強く歌い上げたアルバム1曲目の「道」。これらはどう聴いても、母・藤圭子へのレクイエムとしか思えないものだった。
しかも、そのことは、宇多田自身も様々なインタビューではっきり認めている。「SWITCH Vol.34 No.10」(スイッチ・パブリッシング)のインタビューではこう語っていた。
「母に向けて歌うことを選ぶとか避けるというよりも、そこに向かう以外に自分の中で選択肢そのものがなかった。だからアルバムを作ること自体に責任のようなものを強く感じていました。母に捧げるという意識で作る以上、『下手なモンは作れないぞ』と、どこか張り詰めていましたね」
さらに「ぴあMUSIC COMPLEX Vol.6」(ぴあ)ではこんなエピソードも公開していた。
「実は、自死遺族の会合に一時期通ったんですよ。「花束を君に」を書いたあとだったから、その時点ではもう落ち着いていた時期だったんですけど、時々ガクっと落ちてしまう時があって、マズいなって思って通い出したんですが、そこで「亡くなった人に手紙を書くと気持ちが整理できて、伝えられた気持ちになるし、スッキリするからいよ」って言っている方がいて。ああ、それは私、「花束を君に」で思いっきりやったじゃんってことに気づいて」(前掲「ぴあMUSIC COMPLEX Vol.6」)
宇多田が自死遺族の会合に通っていたことに驚かれた読者も多いかもしれないが、「女性自身」(光文社)2016年10月11日号によれば、宇多田は自死遺族の会合に参加するのみならず、自死遺族の支援団体や、自死で親を亡くした子どもたちのためのサポート団体に匿名で多額の寄付も行っているという。
それはともかく、宇多田にとって、この『Fantôme』は母に捧げた手紙だったのだ。
ただ、宇多田にとって「母に捧げる」「レクイエムを歌う」という意味は、 単に肉親の死を悼む、というだけのことではない。母・藤圭子の存在は、宿痾のようにその死の瞬間まで常に宇多田をふり回してきたものであり、同時にその母との関係こそが宇多田ヒカルを形作ってきたものでもある。
たとえば、宇多田は09年に出版した著作『点―ten―』(EMI Music Japan Inc./U3music Inc.)のなかで、0〜8才までにできあがった自らの基本として、幼少期の原風景をこんなふうに綴っている。
〈ママ大好き、ママこわい、お父さん大好き、お父さん嘘つき〉
〈ママの公演をステージのそでからずっと見てる、すごい音、光、闇、集中力、熱、ママ泣いてるみたい、お客さんの方を向いている、私の方は見てない――。〉
〈だんだん、悔しい時も悲しい時も、泣かない子になった。母の前で泣くと、ひどく怒られたから。悲しくて泣いてるのは私なのに、なぜか彼女の方が傷ついて、泣いて、私を責めた。すると私は泣く気が失せた。泣くよりももっと深い悲しみを知った。彼女に悪気は無いんだ、って分かってしまう自分が、体の芯からひんやりしていくようで、こわかった。
それは子供にはとても辛い、母親からの拒絶、というものだった。でも彼女にはそんなつもりはない。彼女は本当に純粋で美しい人だ。私をとても愛してる。私が勝手に拒絶された気になってるだけかもしれない。〉
また、藤圭子の死から1ヵ月弱たった頃には、こんなツイートもしている。
〈光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど、どんな時も私を愛してくれて、良い母親であろうといつも頑張ってくれてたんだなと今になって分かる。今後、精神障害に苦しむ人やその家族のサポートになることを何かしたい。〉(2013年9月19日ツイート)
藤のアーティスト気質や繊細さ、何かしらの精神的な病などの理由があったにせよ、宇多田の回想する藤圭子の自分に対する言動は、無力な子どもから見れば、ある種の“毒親”的なものだった。宇多田は、泣かない、感情を表に出さない子ども、典型的なアダルトチルドレン(AC)になっていった。
そして宇多田は、自分の内側の世界で、自由に、想像と思考を無限にはたらかせ、音楽をつくった。
「9才の時、怒りとか不満とかいった感情が完全になくなっていることに気付いた。外界になにも求めなくなっていた。」
「自分の内側の世界のほうが大事だった。そこには自由があった。想像と思考は無限で、最強だと思った。」(『点―ten―』より)
宇多田の「自分の内側の世界」は強固なもので、前夫・紀里谷和明との離婚理由について当時「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」と語っており、一度目の結婚でもその殻が破られることはなかった。
「密室系で、ひとりでないと作れないタイプだったんです。「決して見てはなりませぬ」という鶴が機を織ってるみたいな感じで(笑)」(ぴあ)
しかし、今回の『Fantôme』を聴くと、その密室は完全に開かれていた。彼女は前出「SWITCH」のインタビューでこのように語っている。
「私は自分の考えを正直に音楽にしてきた方だと思うんですが、母は一番のメッセージポイントなんだけど、結局、赤裸々には出せず、どこかで隠しながら必死に暗号を出し続けるようなやり方でした。でも彼女が亡くなって、これまで自分に課していた、最も大きなセンサーシップが取り払われた。もう音楽なんて作れないと思ったのに、意を決して書き始めたら、羽ばたくぐらい自由に言葉を選ぶことができた。言葉との関係性であり、世間と自分の関係性が大きく変わりました」
ただし、宇多田はその自由を手に入れるために、まずは母親のことを書かなければならなかった。
「まず、それを書かないと、それ以外が書けなかった。最初に書いた3、4曲は母のことで、そのあとは男女の恋愛がテーマの『俺の彼女』みたいな歌詞がどんどん出てくるようになって」(「ぴあ」)
ようするに、宇多田は母の死の悲しみを乗り越えたというより、むしろ母親が亡くなったことで、はじめて母親と真正面から向き合うことができた。そのことによって呪縛を乗り越え、独立したひとりの人間になれた。そういうことなのではないか。
9月22日に放送された『SONGSスペシャル 宇多田ヒカル〜人間・宇多田ヒカル 今「母」を歌う〜』(NHK)での糸井重里との対談のなかで、復帰してから歌詞が変わったとの糸井の指摘に、宇多田はこう返していた。
「詞が一番違うと思います。まわりの制作のスタッフにも、ずっと同じチームでやってるんですけど、すごく言われました。リアリティみたいなものが増したと思います。今までの曲はどこか空想の雰囲気があったと思うんですね。最近いただいた感想のなかで一番嬉しかったのが、「あなたの音楽はより肉体的になった」と。すごく受け入れられた気がして。私が勇気を出して全裸でワーっと行ったからなんですけど、開いて、ちゃんとそれを受け止めてもらえたっていう」
宇多田は8年半前、活動を休止する際に「人間活動」宣言をしたが、まさに肉体性と強さをもった「人間」として私たちの前に戻ってきた。
ただ、この肉体性の獲得は、同時にかつての宇多田がもっていたそれこそAC的な「不安定さ」や「儚さ」の魅力との決別でもある。もちろん、人は成長していくものであり、同じところにとどまることはできないが、それがある種の保守化のようなものにつながってはいかないか。そんな懸念が頭をもたげるのだ。
実際、子供を産み、肉体性とリアリティを獲得した代わりに、保守化してベタになってしまうというのは、これまで多くのアーティストが陥ってきたパターンでもある。
しかし、今回のアルバムで、宇多田は「子を思う母の心」のようなわかりやすい母性のようなものは一切歌っていない。『Fantôme』の最後の曲「桜流し」には〈あなたが守った街のどこかで今日も響く 健やかな産声を聞けたなら きっと喜ぶでしょう 私たちの続きの足音〉というフレーズもあるが、これは逆に唯一、母が死ぬ前、子供を産む前に作った曲だ。
むしろ、インタビューで、宇多田は子供を産んだことによって、「自分」の奥底のあるものを発見したことを明かしている。
「自分が親になって子供を見ていておもしろいなと思ったのは、生まれて最初の体験とか、人格のいちばん基礎となるものとか、世界観とか、形成されていくじゃないですか。なのに、その時期のこと自分では、完全に記憶がない。つまり全て無意識の中にある、闇の中にあるみたいな。それをみんな抱えて生きてて、そこからいろんな不安とか悩みとか苦しみが出てくると思うんですよね。なぜ、私はこうなんだ? なんでこんなことをしてしまうんだ? とか。自分が親になって自分の子供見てると、その最初の、自分の空白の2、3年が見えて来るっていう。(略)自分がどこにいるのかふわって見えた瞬間っていう感じが、ずっと苦しんでいた理由みたいな、闇の、わからないっていう苦しみ、何でこうなんだっていう苦しみがふわってなくなった気がして、それこそいろんなものが腑に落ちるというか……。」(NHK『SONGS』糸井重里との対談で)
母の死を乗り越えた宇多田ヒカルが表現しようとしているのは、儚さでもなく、ベタな保守化でもない、わたしたちが気づいていないまったく新しい世界なのかもしれない。
(酒井まど)
最終更新:2017.11.12 02:39
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