老人ホーム暴行致死事件にひそむ承認欲求と介護業界の闇

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『承認欲求 「認められたい」をどう活かすか』(東洋経済新報社)

 埼玉県春日部市の特別養護老人ホームで女性入所者が次々に死亡する事件で傷害致死の罪などに問われた大吉崇紘被告(30)の裁判員裁判がさいたま地裁で結審し、7月28日に判決が下された。

 大吉被告が今回罪に問われているのは、2010年2月18日に女性入所者Aさん(95=当時)を殴り、肋骨骨折などを負わせて死亡させたという傷害致死のみ。2013年5月に逮捕されたときの容疑は、2010年2月17日に84歳の女性入所者Bさんを殴ってケガを負わせたという傷害罪。Aさんと他の入所者2名が死亡し、Bさんが大けがを負ったが、結局起訴されているのはAさんへの傷害致死、一件のみである。大吉被告は逮捕当時、Bさんへの傷害を認めていて、その他は「知らない」などと否認していたが、こちらとは嫌疑不十分で不起訴となっている。同年2月16日に死亡した女性Cさん(78=当時)についての傷害致死も同様に不起訴となっているが、遺族が検察審査会に審査を申し立てており、現在も審査中だ。大吉被告が同施設で働き始めたのは同年2月13日であり、1週間もしない間に次々と入所者に暴行を働いていた。

 公判では大吉被告がAさんをなぜ殴ったかという動機について、検察側の冒頭陳述でこう語られた。

「2月15日に、具合の悪い入所者にいち早く気づいたことで施設長から褒められた。また褒められたかった」

 なんと、ただ単に“褒められたい”、それだけで犯罪に走っていたのである。弁護側は「16日と17日にも寝たきりの入所者をたたいたがほめてもらえなかったため、18日に犯行に至った。過度のストレスによる適応障害だった」として減刑を主張した。

 大吉被告のように“褒められたい”欲を暴走させ犯罪に走ることはなくとも、人間誰しも褒められたい欲はある。『承認欲求—「認められたい」をどう活かすか』(太田肇/東洋経済新報社)は、社会で働く人間がいかに他者からの承認を必要としているかについて触れている。それによれば「近年、就職しても短期間で辞める若者の増加が社会問題になっている」が、その背後には「承認の不足が隠れていることが多い」のだという。簡単なアンケート調査では離職した理由について「給与や労働時間などの労働条件がよくないこと」や「仕事が自分に合わない」とか「成長できない」といったことを挙げていても「それは表向きの理由であることが少なくない」。典型的なパターンとしては「周りから認めてもらえない→仕事が楽しくない/孤独を感じる/自信がもてない→離職する」といったものだ。しかも「本人自身、それが承認の不足だということに気づいていないケースもある」ため、実際よりも承認の不足に関する問題が過小評価されているというのだ。

 また、GPTWという国際機関が世界29カ国においてアンケート調査をもとに「働きがいのある会社」リストを作成しているが、同機関が発表した日本における「最も働きがいのある会社」ランキングで、上位5位の中に入った日本企業は「リクルートエージェントだけで、他は全て外資系企業」だった。上位に入った企業とともに記載されていた社員の主なコメントは「チャレンジが奨励される」「業績が正しく評価され、業績に見合った報酬や地位が確保されている」といった「承認に関するコメントの多い」ことが目についている。日本企業は社員の承認欲求を満たすのが上手ではないため、モチベーションを維持することが出来ないという問題も潜んでいるのである。

 大吉被告のケースに関しては、こうした日本企業特有の問題に加え、介護の業界特有の問題もはらんでいるという意見もある。『崩壊する介護現場』(中村淳彦/ベストセラーズ)では介護業界における大きな問題のひとつとして、現場で働く介護職員について「ホームヘルパー二級や無資格未経験の人を中心に、世間のイメージから大きく乖離した『異常な人』が多すぎる」と指摘している。著者によれば「介護現場の現実は、決められた時間を社会人として責任を持って働くという最低限の意識のある人が比較的少なく、どこの社会からも弾かれた異常な人材の最後の受け皿として機能してもいる」のだという。大吉被告の起こした事件についても触れられているが、「すべての第一発見者が大吉ということから大きな問題になったが、表沙汰にならない加害者不明の小さな虐待の疑いは全国各地の介護施設で無数に存在している」ともある。

 実際の介護現場では低賃金で真面目に働く人たちが大半なのに、「『異常な人』が多すぎる」という表現はあまりに一面的すぎるとは思うが、少なくとも大吉被告がある種の“異常性”をもっていたはたしかだろう。

 前出の『崩壊する介護現場』では大吉被告が「おそらく虚言癖があり、サイコパスまたは類似した人格障害を抱えているはず」という見解を示しているが、弁護人は“適応障害で病院に通っていた”ことを明らかにしている。一方で、自分に関心を集めるために他者を傷つけるという動機だけを考えると、代理ミュンヒハウゼン症候群に共通している部分もある(同症候群は親が子を傷つけるケースが大半であるため、現実にこの病名をあてはめるのは無理があるが)。

 だが、いずれにしても、問題なのは介護施設がなぜ、大吉被告のような入所者にとって危険きわまりない人材を採用してしまったのか、だろう。その背景にはやはり“人材不足”の問題がある。 

 厚生労働省所管の公益財団法人「介護労働安定センター」が8月に発表した2013年度の介護労働実態調査でも、職員の離職率は16.6%と、全産業平均よりも高いものだ。しかも、実態はこの数字よりもはるかにひどいといわれ、『崩壊する介護現場』によると、“3年で職員の半分以上、5年で全職員が辞める計算”で、多くの施設が安定した運営をできていないという。

 先の「介護労働安定センター」が施設に対して行った従業員の過不足状況に関する調査でも「大いに不足」「不足」「やや不足」の合計が56.5%。職員の悩みや不安のにかんする質問でも、回答の1位は「人手が足りない」(45%)ことだった。

 人材不足によって、明らかに採用のハードルが低くなり、問題のある人物だと思っても、簡単に不採用の判断を下せなくなっているのだ。この負の構造をなんとかしないかぎり、第2、第3の暴行事件が起こることになるだろう。

 ちなみに、大吉被告には懲役8年の判決が言い渡された。
(寺西京子)

最終更新:2014.09.16 07:59

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