マスコミが触れない村上春樹『騎士団長殺し』の核心部分(後編)

村上春樹自身が「歴史修正主義と闘う」と宣言していたのに…マスコミはなぜ『騎士団長殺し』の核心にふれないのか

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『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』(新潮社)

『騎士団長殺し』(新潮社)は歴史修正主義と対決する小説だったーー。本稿の前編では、村上春樹の7年ぶりの長編小説がナチス高官暗殺未遂事件と南京大虐殺という2つの戦争体験を核にした物語であること、作品全体に先の侵略戦争における加害責任を問う視点が貫かれていることを指摘し、こう断じた。

 これは筆者の恣意的解釈でも誤読でもない。ほかでもない春樹自身が、歴史修正主義と闘う覚悟をスピーチやインタビューで語っている。

 後編では、そうした春樹の発言を紹介しながら、その背景を掘り下げ、なぜマスコミや文芸批評がそのことにふれようとしないのかについても分析してみたい。

『騎士団長殺し』が発表される少し前の昨年10月30日、デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、スピーチに立った村上春樹はアンデルセンの『影』という小説のことを話し始めた。

〈アンデルセンが生きた19世紀、そしていま私たちが生きる21世紀でも、必要なときに、自分の影と向き合い、立ち向かい、ときには協力だってしなければいけません。それには“正しい”知恵と勇気が必要です。もちろん、簡単なことではありません。ときには危険が生じることもあるでしょう。でも、それを避けていたら、人は正しく成長し成熟することはできません。最悪の場合、『影』の物語の学者のように、自らの影に滅ぼされて終わってしまうかもしれない。〉(編集部訳)

 この『影』という作品は、美しい女の住んでいる向かいの家を覗き見るため、自分の影を切り離して覗きに行かせた主人公が、数年後、そのまま主人公のもとに帰ってこないで、いつしか人間としての実体を手に入れた、かつての自分の影の奴隷にされ殺されるという物語だ。

 村上はこの物語を取り上げることで、自らの「影」、すなわちネガティブな側面と対峙し受け入れることの重要性を説き、さらにそれは個人の問題のみならず、社会や国家に関する問題でもあると語った。

アンデルセン賞で語ったスピーチと『騎士団長殺し』のリンク

〈影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。ポジティブな部分があれば、その裏側には必ずネガティブな部分があるでしょう。
 ときに、私たちはその影やネガティブな部分から目を背けがちです。あるいはこうした面を無理やり排除しようとします。なぜなら人は、自らのダークサイドやネガティブな性質を、できるだけ見ないようにしたいものだからです。しかし彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません。影を生み出さない光は、本物の光ではありません。
 どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合にいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません。ときには暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合わなければなりません。もしそうしなければ、やがて、あなたの影はもっと大きく強くなり、ある夜、あなたの家のドアをノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやきながら。
 傑出した物語は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超えて学ぶべきことを。〉(同)

 具体的に名指しはしていないものの、この春樹のスピーチは、排外主義を標榜するドナルド・トランプ大統領(当時は候補)の登場、歴史修正主義を貫く安倍晋三首相、そして彼らを支持する人々をあきらかに意識したものだった。

 同時に、その言葉はそのあとに発表することになる『騎士団長殺し』の内容とあきらかにリンクしていた。

 たとえば〈彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません〉というのは、『騎士団長殺し』の主人公である肖像画家の〈私〉が物語のなかで獲得した、それまでの肖像画の描き方とはちがう新しい絵の描き方に通じるものだし、〈暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合〉う場面も、物語後半に登場する。つまり、春樹はこのときすでにほぼ書き上げていたであろう次回作で歴史修正主義と対決する姿勢を示唆していたのだ。

朝日と毎日のインタビューで語っていた春樹自身の「闘争宣言」

 しかも、この姿勢は、『騎士団長殺し』出版後にさらに鮮明になる。『騎士団長殺し』発売から1ヵ月ほど経った4月2日、春樹は朝日新聞、毎日新聞などのインタビューに同時に登場し、こう語った。

「歴史というのは国にとっての集合的記憶だから、それを過去のものとして忘れたり、すり替えたりすることは非常に間違ったことだと思う。(歴史修正主義的な動きとは)闘っていかなくてはいけない。小説家にできることは限られているけれど、物語という形で闘っていくことは可能だ」(毎日新聞)

「歴史は集合的な記憶だから、過去のものとして忘れたり、作り替えたりすることは間違ったこと。責任を持って、すべての人が背負っていかなければならないと思う」(朝日新聞)
 
 歴史修正主義の動きと、物語という形で闘っていく――。春樹自身が、ハッキリとそう宣言したのだ。その“闘うための物語”がこの『騎士団長殺し』であることは、言うまでもない。

 しかし、このインタビューが出た後も、マスコミはこの春樹の真意を無視し続けている。すでにいくつかの評論が出ているが、この作品で問われた歴史修正主義や戦争責任に関する問題を明確に語る評論家はほとんどいない。この物語が歴史修正主義に抵抗する小説だと、誰も言わない。戦争責任を引き継いでいかなければならないという示唆に触れる者もいない。上述の毎日や朝日のインタビュー記事ですら、これだけ重要な発言をしているにもかかわらず、タイトルは「震災、再生への転換 一人称に戻る」「物語の与える力、信じる」と、歴史修正主義批判とは関係のないものだった。

マスコミが春樹の真意にふれたがらない理由

 いったいなぜ彼らは、『騎士団長殺し』の核心部分である歴史修正主義批判をさけようとするのか。

 ひとつの理由は、ネトウヨたちによる炎上を怖れてのことだろう。事実、発売直後、南京虐殺についての記述をめぐって、百田尚樹、桜井誠、産経新聞などが春樹を「中国に媚びてる」「中国での商売のため」「ノーベル賞狙い」などと猛批判した。このテーマにふれたら、自分たちもその炎上に巻き込まれかねない。情けないことだが、その怯えが批評を核心から遠ざけている部分はあるだろう。

 また、もうひとつ、これには「春樹作品に政治を持ち込むな」という春樹ファン特有の思考がもたらした影響も否定できない。社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた初期のイメージにとらわれ、政治問題にかかわることはダサい、春樹がそんなダサくて野暮なことをするわけがない、政治的な文脈で春樹作品を読むべきではない、とひたすら目を背けつづけてきた。

 そして、今回、ネトウヨたちからよせられた『騎士団長殺し』への攻撃に対しても、まともに反論することはせず、「単なる一部の記述にすぎない」「作品の本筋とは関係ない」などと、問題を矮小化しようとしてきた。

 しかし、こうした態度はあまりに、春樹の変化に鈍感すぎるというものだ。たしかにデビュー当時の春樹は、社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた。しかし、90年代半ばに発表した『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン事件、満州での中国人撲殺を描き、1997年には、オウム真理教をテーマにしたノンフィクション『アンダーグラウンド』を発表。近年は国内でも散発的に政治的発言をするようになっている。

 その変化は「デタッチメントからコミットメントへの転向」として語られたこともあったが、これは「転向」などではない。春樹は、デビュー当時から、デタッチメントであると同時に徹底的に「個人」であることを貫いてきた作家だ。近年、春樹が政治的発言をするようになったのは、明らかに「個人の危機」を感じ取っているからではないのか。

 デタッチメントな態度が許されるのはあくまで個人の権利や自由が保障された社会であればこそだ。いったん戦争が始まれば、あるいは全体主義や国家主義のもとでは、全体に同調しないものは異物として排除され、個人の意志は簡単にないがしろにされ、デタッチメントでいることなど許されない。「個人の自由」が危機にさらされるならば、春樹がそれにビビッドに反応し抵抗することはむしろ当然のことだ。

川上未映子に「右寄りの作家のほうが物言ってる」「そのことに危機感」と

 そして、『騎士団長殺し』。春樹はこれまで以上に明確な目的を持って、この作品を書いているのではないか。『騎士団長殺し』にはこんな一節がある。

〈雨田具彦は、彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないかという気がするのです。人物と舞台設定を別の時代に置き換え、彼が新しく身につけた日本画という手法を用いることによって、彼は隠喩としての告白を行っているように感じられます。彼はそのためだけに洋画を捨てて、日本画に転向したのではないかという気さえするほどです〉
〈なぜならあの絵は何かを求めているからです。あの絵は間違いなく、何かを具体的な目的として描かれた絵なんです〉
〈『騎士団長殺し』はそこに秘められた「暗号」の解読を求めていた〉

 これは作中の絵画『騎士団長殺し』とその描き手である雨田具彦についての記述だが、そのまま小説『騎士団長殺し』という小説と村上春樹に置き換えられる。

 実は、春樹がこの作品を書き始めたのは、2015年の7月末だったと、川上未映子によるインタビュー(『みみずくは黄昏に飛び立つ』(新潮社))で明かしている。2015年の夏に何があったか思い出してほしい。安倍政権による安保法制の強行採決、そして安倍首相の70年談話だ。

 さらに、作品を書き始める直前の2015年7月9日に行われた同じく川上との対談で、春樹はこんなことを語っていた。

「どっちかというと最近は、右寄りの作家のほうが、物言ってるみたいだし」
「そのことに対する危機感みたいなものはもちろんある。でもかつてよく言われたような、「街に出て行動しろ、通りに出て叫べ」というようなものではなく、じゃあどういった方法をとればいいのかを、模索しているところです。メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方を見つけていきたいというのが、今の率直な僕の気持ちです」
(「MONKEY」vol.7 FALL/WINTERより)

「右寄りの作家のほうが物言ってる」ような状況に対する「危機感」があり、「メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方」を「見つけていきたい」。その夏、安倍政権は独裁的手法で安保法を強行成立させ日本を戦争のできる国に変え、同時に70年談話で過去の戦争責任をなかったことにした。そして、書き始められたのが、『騎士団長殺し』なのだ。

『騎士団長殺し』が私たちに突きつけたもの

 そう考えると、ネトウヨの炎上を恐れ、こうあってほしいという春樹像に縛られ、村上春樹が『騎士団長殺し』に込めたメッセージをまともに伝えられないメディアの姿は、皮肉にも、春樹が突きつけた問いの有効性を証明したといえるだろう。

 本稿前編でも指摘したように、春樹は『騎士団長殺し』で戦争の被害でなく、加害者としての問題にこだわっていた。

 ナチスへの抵抗運動に参加したものの失敗し日本とナチスドイツの同盟関係の政治的配慮によりにただひとり生き残った雨田具彦のことも、南京虐殺で捕虜を殺害させられた雨田継彦のことも、もちろんその苦況に心は寄せるが、しかし彼らをただ戦争に巻き込まれた被害者として免罪することをせず、その加害の責任を問う視点を持ち続けていた。

 軍隊などの暴力的なシステムにいったん組み込まれたらノーと言うことは難しい。実際に戦場に置かれてみれば、戦時中の監視社会に置かれてみれば、命の危機にさらされたなら、それに抵抗できなかった者を誰が責めることができるのか。しかしそれでも、そういう国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。村上春樹は、それを問うていた。

『騎士団長殺し』の物語終盤には、騎士団長が絵から飛び出し、死が目前に迫った雨田具彦を前にしている〈私〉にこう語りかけるシーンがある。

「見なくてはならないものを見ているのだ」
「あるいはそれを目にすることによって、彼は身を切るほどの苦痛を感じているかもしれない。しかし彼はそれを見なくてはならないのだ。人生の終わりにあたって」

 そう。私たちは見なくてはならないのだ。国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。この村上春樹の問いは、戦時中のことだけでなく、もちろんいま現在安倍政権の独裁政治を許している私たちに突きつけられているものだ。

本サイトはどんなに政治的だ、無粋だと言われようが、『騎士団長殺し』は安倍政権の歴史修正主義と対決する小説だと断言し、村上春樹の姿勢を支持したい。

最終更新:2017.12.04 03:12

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