映画『主戦場』に出演しながら上映中止要求の藤岡信勝、テキサス親父、櫻井よしこら右派論客に、デザキ監督が徹底反論!

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上映差し止めを求めた“否定派”出演者(左から藤岡氏、山本氏、藤木氏)と反論した『主戦場』デザキ監督(右)


 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)に対し、映画に出演して持論を展開した慰安婦“否定派”の保守論客たちが、なんと、上映の差し止めを求める理解不能な要求を行った。

 映画『主戦場』は、日系アメリカ人のデザキ監督が、戦中日本軍による慰安婦問題をめぐる“否定派”と“リベラル派”双方の主張を対比させ、一次資料を分析しつつ検証するという内容。本サイトでも封切りにあたり記事にしている(https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html)が、なかでも見所は、自民党・杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝氏、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏、櫻井よしこ氏など“極右オールスターズ”とも呼べる面々が垂れ流す歴史修正や差別主義丸出しの言辞の数々だ。

 たとえば、テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」と性差別を剥き出しに。杉田水脈議員は「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないからプロパガンダで日本を貶めている」などと陰謀論をぶちまけている。

 同作はこうした“否定派”のトンデモ発言や、監督によって緻密に論点整理された構成が話題を呼び、国内外の多くのメディアに取り上げられた。4月20日の東京を皮切りに全国順次公開中で、まさに話題沸騰という状況なのだが、そこにいちゃもんをつけて上映を中止させようとしているのが、前述の“右派オールスターズ”なのである。

 散々、カメラの前で持論をぶっておいて、いざ映画がヒットして自分たちに批判が集まったら上映中止を求めるとは、いったい連中はどういう了見をしているのか。

 5月30日には“否定派”出演者の藤岡氏と藤木氏、元「在日特権を許さない市民の会」の山本優美子氏(現「なでしこアクション」代表)の3人が都内で記者会見を開いた。藤岡氏らは、ケント氏、櫻井よしこ氏、テキサス親父、加瀬英明氏を含む7名の連名で共同声明を発表した。「目的は保守系言論人の人格攻撃だ」「本質はグロテスクなプロパガンダ映画だ」「『歴史修正主義者』や『否定主義者』とレッテルを張られた」などとまくしたて、法的措置も検討中だとした。

 ようは、「映画の製作過程や編集に問題があるから上映を中止にしろ」というのが連中の言い分らしい。だが、これは言いがかりとしか思えないものだ。

 そもそも、“否定派”が『主戦場』のなかで話している内容は、特段目新しいものではなく、これまでも自ら雑誌等のメディアで公言してきたことだ。事実、5月30日の会見でも藤木氏が、質疑応答のなかで「フェミニズムは不細工が始めた」なる差別発言について「これは言い続けていることですので、まったく改めるつもりも必要もない」と断言している。

 つまり、これ、監督の編集によって論旨を曲げられて伝えられているわけではない、ということではないか。

 根拠がないのは、他の反論も同様だ。6月3日、ミキ・デザキ監督が“否定派”の上映中止要求に反論する会見を開いたが、そこで否定派連中の言いがかりは完膚なきまでに粉砕されてしまった。

監督は事前に商業映画の可能性を告知、否定派は承諾書と合意書にサイン

 たとえば、“映画製作の過程に問題があった”なる主張。“否定派”は会見で、監督との「合意書」を公開したうえで、「上智大学修士課程の卒業制作と言われ、『学術研究』だと思ったから取材に応じた。全国公開するような『商業映画』だと知っていたら出演しなかった」(藤岡氏)、「交わした合意書では『映画公開前に見せてもらう』と約束していたのに監督が破った。債務不履行だ」(藤木氏)などと言い張った。ようは“監督に騙された”というのである。

 しかし、現実にはどうだったか。映画製作当時、上智大学の大学院生(修士課程)だったデサキ氏は同作を卒業制作として大学に提出、出演者には「映画の出来がよければ一般公開も考えている」と伝えていたという。記者会見の場でも、「承諾書」と「合意書」を示して明確に反論した。

 デザキ氏によれば、連名で抗議声明を出した“否定派”7名のうち藤木氏と藤岡氏をのぞく5名が「承諾書」に署名・捺印、藤木氏と藤岡氏は「合意書」に署名・捺印したという。この両方ともに“監督が収録した出演者の映像等は映画に関連して自由に編集して利用する”旨の記載があり、著作権も監督側に帰属することが確認されている。

 さらに、連中が「騙された」と言い張っている「商業利用」に関しても、「承諾書」にはそれを認める項目があった。〈制作者またはその指定する者が、日本国内外において永久的に本映画を配給・上映または展示・公共に送信し、または、本映画の複製物(ビデオ、DVD、またはすでに知られているその他の媒体またはその後開発される媒体など)を販売・貸与すること〉とはっきりと記されていたのである。

「配給・上映」や「販売・貸与」を承諾しておきながら“一般公開するとは思わなかった”とはカマトトもいいところだ。その上で言うが、よしんば連中が「承諾書」をよく読まずにサインしてしまったとしても、卒業制作等の自主映画に、その後、配給会社がついて劇場で公開されるケースは珍しくもなんともない。「学術目的」の論文などが大学や研究機関に提出されたのち一般書として出版されるのと同じだ。つまるところ、“商業利用を認めていない”との“否定派”の主張はどう考えても後づけのいちゃもんなのである。

テキサス親父マネージャーは完成祝いのメール、ケントはPR協力を申し出

 他方、藤木氏と藤岡氏がサインした「合意書」は、監督が提示した「承諾書」の内容を不服として別に交わされたものだ。デザキ氏によれば、藤木氏への取材予定日の当日午前3時頃に「合意書」が「気に入らない」という連絡がメールで伝えられたという。その後電話で何度かやりとりをして「合意書」は作成された。藤木氏は「文面が『取材者側の権利のみをうたう偏った内容』であるとして、取材を受ける側の権利も書き込んだ代案を出し、協議ののちいくつかの条文を入れさせた」と主張している。いずれにせよ、藤木氏らは「承諾書」にも目を通していたことになる。

「一番の争点は、藤木氏が(映画を)編集できる権利を得たいというふうに言っていたことです。私は、それはできないと断っています。映画を突然商業化したという指摘は、まったく寝耳に水でした。(藤木氏・藤岡氏を含んで)『承諾書』を読んでいますので、商業化されうるということは認識していたはずです」(デザキ氏)

 結果的に、監督と藤木氏のやり取りのなかで、「合意書」には〈甲は、本映画公開前に乙に確認を求め、乙は、速やかに確認する〉〈本映画に使用されている乙の発言等が乙の意図するところと異なる場合は、甲は本映画のクレジットに乙が本映画に不服である旨表示する、または乙の希望する通りの声明を表示する〉という記載が入れられた。デザキ監督によると、実際、2018年5月に藤木氏と藤岡氏へ出演部分の映像をメールで提示。2週間以内に返事がほしい旨も伝えたという。藤木氏からは一度も返事はなく、藤岡氏からは「拝見する」との返信があったものの、その後連絡はなかった。また『主戦場』を出品した釜山映画祭前の2018年9月にも藤木氏へ通知したところ、「5月のメールは迷惑ボックスに入っていたようで再送してほしい」との連絡があり、再送に応じた。だが、これに対して藤木氏から苦情や要求はなかったという。なお、監督は映画の試写会への招待状も送っている。

 そして、デザキ監督が記者会見のなかで明らかにしたことによれば、今年4月20日に東京で映画が公開されるまで、ただ一つの例外をのぞき、出演者から「商業利用」に対するクレームはまったくなかったという。

 それどころか、藤木氏は映画完成を祝う言葉をメールに記しており、ケント氏にいたっては自身のFacebookで映画のPRに協力するとのオファーまであった。唯一のクレームがあったのは、日本で関係者向けの試写会が行われた後の4月13日、東京での封切りの1週間前のことだ。

「4月13日に藤木さんからメールがあり、『この映画は公正ではない』『映画の配給を差し止めろ』と。ですが、そのようなことは『合意書』のなかに一切記されていません。彼は、自分の出演部分について不服があるならば、映画の最後にメッセージを入れるということには同意していますが、映画の配給を差し止めるという権利はありません」(デザキ氏)

デザキ監督「両方の主張を聞き、やはり自分の考えと結論を入れることが責任あるやり方と考えた」

 デザキ監督の説明をふまえれば、今回、映画『主戦場』の上映差し止めを求めて抗議している“否定派”の出演者らが、いかに事実を歪曲して、難癖をつけているかは瞭然だろう。

 だいたい、ジャーナリズムの分野では取材者や制作者が編集権を有しており、被取材者が公開前に口を出すということ自体、報道の自由を鑑みても、外部の介入による内容変更を防止する意味でも、普通はあり得ないのである。そして、言うまでもなく、被取材者の発言を伝えたうえでこれを解釈するのはジャーナリズムにのっとった正当な論評行為に他ならない。

 結局のところ、こういうことではないのか。連中は、デザキ氏が歴史修正主義に加担してくれるのを期待して、嬉々として取材に応じ、いつものトーンで好き勝手に語った。ところが、映画の内容とその反響をみて、自分たちの思うようになっていないことを知った。それで、いまになって「商業利用されるとは思わなかった」などと難癖をつけて、映画を封印させようと躍起になっているのである。そうとしか思えないのだ。

 5月30日の“否定派”出演者による会見の後、本サイトの記者は藤岡氏に「もしも映画の内容が満足のいくものだったら『商業利用』を理由に抗議をしたか」と直撃したが、藤岡氏は眉をしかめて「学術目的だと思ってましたから。仮定の質問には答えられませんよ」と言うにとどめた。

 デザキ氏は6月1日の会見で「もし、私の結論がいわゆる歴史修正主義者たちにとって好ましいものであったならば、『これ以上フェアな慰安婦問題に関する映画はない』と彼らは言っただろうと私は確信しています」と語り、こう続けた。

「私はリサーチを重ねて、両方のサイドの主張を聞いた後、やはり自分の考えと結論を入れることこそが責任のあるやり方だと考えました。すべての主張は同等に説得力があるわけではなく、すべての主張が同じ重さを持っているわけではないことを示すのは、重要だと思ったのです。最終的に私の結論がどういうものか。どうしてその結論に至ったかというものは明快で、そのプロセスがわかるがゆえに『主戦場』はプロパガンダ映画ではないと思います。この透明性によって、観客が結論に同意することも同意しないことも自由にできる。映画を見て、それぞれの論点について観客自身が検証することを推奨しています」

 しばしば、歴史修正主義者は自らの否定言説が批判を浴びると、「表現の自由を抑圧するのか」などと喚き立てる。だが、今回の『主戦場』をめぐる騒動でハッキリしたのは、そういう連中の方こそ、実際には「表現の自由」など微塵も考えていないということではないのか。だから何度でも言おう。判断するのは映画の観客だ。

最終更新:2019.06.08 04:06

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