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『笑点』卒業の桂歌丸が語った戦争への危機感…落語を禁止され、国策落語をつくらされた落語界の暗い過去
日本テレビ『笑点 放送50周年記念特別展』公式サイトより
本日の放送をもって『笑点』(日本テレビ)の司会者を勇退する桂歌丸。1966年の放送開始から50年にもわたって同番組に出演してきたわけだが、今日その長い歴史についに幕が下ろされることになる。とはいえ、落語家を辞めるわけではなく、4月30日に行われた会見では「落語家を辞めるわけではありません。まだまだ覚えたい話も数多くあります」「80歳になったら少し、少し楽をして落語の勉強をしたい。ありがたいことに、これからメンバーのみなさんが上納金を持ってきてくれるらしい(笑)」とも語っており、これからも歌丸師匠の噺を聞くことはできそうだ。
そんな桂歌丸といえば、古典落語の復興に力を注いできたことでもよく知られている。特に彼は、同じ古典でも、もう廃れてしまいどの噺家からも見向きもされなくなってしまったような噺を現代に甦らせる作業に尽力しており、その古典落語への深い造詣は、いまの落語界で右に出る者はいない。
当の歌丸師匠も、同じく古典落語の復興に力を注いだ人間国宝の桂米朝にこんなことを言われたと冗談混じりに振り返っている。
「みなさんがやってる噺ばっかりやってもつまらないし、誰もやってなければ、比べられることもありませんしね、いつだったか、(桂)米朝師匠(平成二十七年三月十九日没、享年八十九)にも言われたことがありましたよ。あんたは変わった噺ばっかりやってますねって」(桂歌丸『歌丸 極上人生』祥伝社)
歌丸師匠が古典落語にそれだけこだわったのには色々な理由があるようだが、そのなかでも大きな理由のひとつとして、江戸の庶民文化に息づいていた「人情」を現代に生きる人々にも伝えたいという思いがある。
〈人情がかった噺を聞いたり、やったりしていると、江戸の人のほうが何か活気があって、ずる賢さがない気がしますよ。今の我々のほうがよっぽどずる賢くて、人情味も何にもない。だからあたしは、たとえ2日でも3日でも、江戸時代に行けたらいいなあと思うんですよ〉(「日経おとなのOFF」2007年8月号/日経BP社)
落語とは、庶民に笑いを届け、明日を生きる活力を与えるものだ。しかし、落語という文化が歩んだ歴史のなかで、実は一度その大切な役割を放棄させられてしまった時期があった。太平洋戦争の戦時下である。
周知の通り、昨年夏には安保法案が十分な議論もなされないまま強行採決され、日本において再び「戦争」というものが現実味をもって考えられるようになってしまった。そんな時勢を見て、歌丸師匠はこのような発言を残している。
「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」
「テレビで戦争が見られる時代ですからね。あれを見て若い方がかっこいいと思ったら、えらいことになる」(朝日新聞デジタル15年10月19日)
彼自身、空襲により横浜の生家が全焼してしまうなど、戦争によって悲しくつらい思いをしたひとりである。その経験も踏まえ、歌丸師匠は続けてこうも語っている。
「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」
「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」(同前)
「戦争には笑いがない」。先ほど少し触れた通り、戦時中に落語家たちは、庶民にその「笑い」を届ける権利を剥奪されてしまったという苦い過去がある。
落語は人間の業を笑うものだ。その噺のなかには、遊郭を舞台にしたもの、また、色恋をめぐっての人々のドタバタ劇といったものも多数含まれる。1940年9月、戦時下において「時局柄にふさわしくない」としてそういった噺が禁じられてしまった。このときに演じるべきではない演目として指定された噺は53種。これは「禁演落語」と呼ばれている。そのなかには、堅物の若旦那が遊び人に吉原へ連れられていく珍道中を描いた人気の演目「明鳥」なども含まれていた。この顛末は、演芸評論家である柏木新による『はなし家たちの戦争─禁演落語と国策落語』(本の泉社)にまとめられている。
「禁演落語」が指定された後、高座にかけることを禁じられた噺たちを弔うため、浅草の本法寺には「はなし塚」という塚がつくられた。わざわざそんなものをつくったのは、当時の芸人たちによる洒落っ気のこもったささやかな反抗であったわけだが、当時の苦い経験を忘れないように、今でも毎年、落語芸術協会による法要が続けられている。
この「禁演落語」の措置は一応、当時の講談落語協会による自主規制の体裁を取っていたが、事実上、国からの強制である。というのも、40年2月には警視庁が興行取締規則を改正。落語家・歌手・俳優など、すべての芸能関係者が「技芸者之証」を携帯するよう義務づけられたからだ。これにより、政府は芸人たちの表現を管理することが容易くなった。
これは当時の為政者が、それだけ落語が提供する「笑い」を恐れていたということの裏返しでもある。それをよく示す例として柏木氏は、落語家の鑑札を取り上げられ喜劇俳優への転身を余儀なくされた柳家金語楼の自伝『柳家金語樓―泣き笑い五十年』(日本図書センター)に出てくる、当時の警視庁とのやり取りを紹介している。
〈「きみは、はなし家の看板をはずして俳優の鑑札にし給え。第一、きみがはなしをしたら、お客が笑うじゃないか……」
「そりゃ笑いますよ、笑わせるのがはなし家の商売だもの……」
「それがいかん、いまどきそんな……第一それに、芝居なら“ここがいけないからこう直せ”と結果がつけられるのと違って、落語というのはつかみどころがない……」
「でもねえ、三十何年この方、私は高座を離れたことがなかったんですよ」
「いやダメだ。どうしてもはなしがやりたけりゃ余暇にやるがいい。本業はあくまでも俳優の鑑札にしなきゃいかん……」」〉
また、当時の噺家たちは演目の一部を禁じられるだけでなく、国が推進する軍隊賛美や債券購入、献金奨励などを物語のなかに組み込んだプロパガンダのような新作落語をつくることも強いられた。こういった噺は「国策落語」と呼ばれており、先のインタビューでも桂歌丸はこういった噺について「つまんなかったでしょうね」「お国のためになるような話ばっかりしなきゃなんないでしょ。落語だか修身だかわかんなくなっちゃう」と、そういった落語について憎々しい印象を語っている。
実際、その当時つくられた国策落語は本当に何も面白くない噺であった。いや、それどころか、「グロテスク」とすら言ってもいい。たとえば、当時のスローガン「産めよ殖やせよ」をテーマにつくられた「子宝部隊長」という落語では、子どもを産んでいない女性に向けられるこんなひどい台詞が登場する。
〈何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ〉
古典落語の人気演目を禁止され、こんな落語を高座にかけざるを得なかったことを思うと、「戦争」というものが人の命はもちろん、「文化」をもメチャクチャに破壊してしまうのだということが教訓としてよく伝わってくる。
ただ、これは単なる「昔話」などではない。桂歌丸がいまになって「笑い」の大切さを訴えかけたのは、このまま放っておけばその頃のような状況に戻ってしまいかねないという懸念があるからではないだろうか。
周知の通り、国境なき記者団が発表した「報道の自由度ランキング」で日本は72位にまで急落してしまうなど、我が国おいて「表現の自由」は急速に危ういものとなり始めている。このままいけば『笑点』においても、三遊亭円楽が得意な時事ネタ・政権揶揄のギャグがなくなるのも時間の問題だろう。
『笑点』を見ながら笑う日曜の夕方が壊される未来も、決して絵空事などではない。将来、そんな状況にならないためにも、歌丸師匠の言葉をいま改めて噛みしめたい。
(井川健二)
最終更新:2016.05.22 03:29
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