あの本庄保険金殺人事件・八木茂死刑囚に肉薄し続けた記者が語る意外な素顔、そして新たに浮かんだ真相

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『前略、殺人者たち 週刊誌事件記者の取材ノート』(ミリオン出版)

 2006年、岩手県で母娘2人を殺害し現金を奪った若林一行。そして09年、川崎市のアパート隣に住む夫婦と大家男性の計3人を殺害した津田寿美年。彼らの共通点は、裁判員裁判で死刑が確定され、15年12月18日に共に裁判員裁判によってはじめて死刑が執行されたという点である。
 
 第二次安倍内閣発足以降、死刑が執行された人数は14人。しかし、その一方で、現在でも死刑確定者の実に93人が再審請求をしているほか、再審請求が認められず特別抗告を申し立てている者もいる。

 そのひとりが、あの有名な「本庄保険金殺人事件」の主犯とされている八木茂死刑囚だ。事件は1999年、埼玉県本庄市のとあるスナックで起きた。ホステスであり八木の愛人でもあった3人の女性に常連客と偽装結婚させ、多額の保険金を掛けて男性2人を殺害、1人が未遂となった疑惑が浮上したのだ。

 事件が有名になったのは、八木の特異性にあった。“疑惑”段階で同年7月13日からの約8カ月間、マスコミ相手に1人3000〜6000円の有料記者会見を203回も開き、週刊誌やワイドショー、報道番組を席巻。稼いだ額は1500万円にものぼったという。しかし、2000年3月に逮捕されてから08年に最高裁で死刑が確定、再審請求などを経て、最近では15年7月30日に再審請求が棄却されたことがひっそりと報道されたのみ。当時の報道の過熱ぶりを思えば、風化の一途を辿っていると言っても過言ではない。

 そんななか、有料記者会見を開いていた当初から現在までの16年間、八木を見続け、ときには酒を酌み交わした週刊誌記者・小林俊之氏が上梓した『前略、殺人者たち 週刊誌事件記者の取材ノート』(ミリオン出版)は、八木との長年の親交の記録から紡いだ“真相”をはからずとも覗かせており、このまま風化するべきではないことを暗に訴えている。

 小林氏と八木の密な親交は、13回目の有料会見が終わった99年7月26日深夜、本庄市内の居酒屋で飲んでいた小林氏の携帯に、八木から電話が入ったことから始まった。

「小林さん、あんたとは話ができるよ。俺は会見で嘘は言ってないからね。殺ってたらこんな電話掛けられないでしょう。俺はそんなに太くないよ」

 それからは、武まゆみとフィリピン人のカレン(仮名)という八木の2人の愛人を連れ立って、新宿・歌舞伎町のフィリピンパブでの“場外会見”も行った。

〈一口飲むと間髪入れずに「まあまあ」と継ぎ足す。飲ませ方のタイミングが絶妙で、(中略)亡くなった2人もこうして毎晩浴びるほど酒を飲まされていたのだろう、と実感したのだ〉

 その日は数件はしごし、他の記者が知り得ないことを体感しつつ、〈「本当は殺ったんだろう」と本音を吐いてしまった〉小林氏に、八木は〈一瞬眼光鋭くなったものの「あんたにそう言われるとはな」と寂しそうに呟いた〉という。

 このことにより翌日、予定していた独占取材はキャンセルに。焦る小林氏は八木が宿泊するホテルに謝りに行くも、「あんたも他のマスコミと一緒だよ」と一蹴。しかし数時間後には、「さっきは怒鳴って申し訳なかった。事件が終わっても俺と付き合ってくれよ」と自分の携帯番号を教え、翌日には疑惑の真相を話している。

「10億円の保険金をかけたC(カレンの夫)は自分でションベンも出来ないほど酒浸りになっていた。そんなヤツを見たら誰だって長くないと思うだろう。金があれば保険を掛けるさ。まゆみが入籍した男は難病に罹っていて、彼もそう長くはない。彼女は若いから何十年も遺族年金が入る。だから偽装結婚した」

 一度は突き放し、しかしすぐに胸の内を明かす──その都度の本心からの言動なのか、それとも計算し尽くした駆け引きだったのか。飴と鞭を上手く使い分けているようにも見えるが、八木はその後も、小林氏に対して絶妙な人心掌握術を見せる。

 あるときは「好感度記者ランキング」なる順位表をスナックの壁に張った。ちなみに10位には、フジテレビの安藤優子キャスターがランクインしていた。

〈「本当はナンバーワンなんだけどさ」
 ナンバー2にわたしを指名した。恋する乙女でもあるまいし、わたしはちょっと動揺、そんな己に呆れてしまった〉

 八木に頼まれ、成田空港までカレンを迎えに行ったこともあった。

〈週刊誌記者とはいえここまでやっていいものか迷いもあったが、逃亡の手助けをしているわけでもなく、まして殺人犯と決まったわけではない〉

 日を追うごとに深まる八木との仲。そんなとき、〈「泊まっていきなよ」と誘われたこと〉もあったという。

〈こんなスクープ滅多にあるものではない。しかし、「どうしても編集部に戻らなければならない」とわたしは嘘をついた。怖かったのだ。「そうか」と伏目がちに呟いた八木さんの顔が、今でも忘れられない〉

 記者である以前の、ひとりの人間としての直感がそうさせたのか。そして2000年3月24日、〈「フィリピンの息子に送りたい」とカレンにせがまれたキックボードを買うため、(中略)新座のディスカウントストアにいた〉際、八木ファミリーの一員とも見られかねない仲となっていた小林氏の元に、相棒カメラマンから八木逮捕の一報が入る。逮捕容疑は、〈フィリピン女性を知人男性2人と偽装結婚させたとして公正証書原本不実記載、同行使容疑〉だった。

 本庄署からの送検時、八木が満面の笑みで手錠がかかった両手を掲げるシーンは、当時の報道番組で頻繁に流された。しかし、八木の笑顔を消す報道が続く。同年10月19日にはNHKが〈「武まゆみはAさんにトリカブトを飲ませた」と報道〉し、01年3月30日の浦和地裁での初公判では、八木は保険金殺人の罪状認否で全面否定したものの、武まゆみは〈「捨てられたくないあまり、人の命を奪ってしまった。八木被告にも罪を認めてほしい」と(中略)決別宣言〉をした。1年ぶりに再会した八木は、〈痩せこけ老眼鏡を掛け(中略)別人〉だったという。

 同年9月19日、小林氏がカレンに公判直後に面会をすると〈うさぎのような赤い目に涙を一杯溜め(中略)「いままで嘘をついてごめんネ。ワタシ、本当は弁護士になりたかったの……。もう日本はこりごり」〉と語った。彼女はのちに懲役15年が確定した。

 また、11月21日、武まゆみの無期懲役判決後、「わたし、本を出したいんだけれど」と依頼され、小林氏は承諾。一気に書き上げた原稿用紙350枚は『愛の地獄』(講談社)として世に出ることとなった。

〈彼女が16歳で処女を捧げ逮捕されるまでの16年間の愛人生活、そして犯行の全てを記している。物的証拠の少ない本件は、愛人たちの証言が八木さんを追い詰めたといえる〉

 さらに、懲役13年が下ったもうひとりの愛人・加藤京子(仮名)は、面会時、こう語ったという。

「記者会見で嘘ばかり言って申し訳ございませんでした。Bさんが亡くなって、警察の最初の事情聴取の時に、Aさんのことはすべて話していました。でもああいう状況でしたから、八木に言われるままに会見をしたのです。Bさんの保険証書もくれないし、次にわたしが殺されると思っていました。八木からお金がもらえたら、お母さんと貴史(仮名/八木との子ども)を連れて逃げるつもりだったのです」

 彼女の言葉からは〈八木さんに対する未練が感じられた〉ものの、小林氏は愛人たちの心が八木から離れゆくのを感じ取る。その後も小林氏は裁判を傍聴、〈「元気だった。無罪だよ。また一緒に飲もう」と傍聴席のわたしに話しかけてきた〉りなど、相変わらずの八木だったが、ついに02年10月1日、死刑が求刑される。

 求刑後の初めての面会では、〈「小林さんは武の嘘本を作った責任がある。あの本のおかげで家族は俺から離れ、人生はメチャクチャにされた」(中略)そして「俺は無罪だ」と15分間、捲し立てた〉。その内容は、〈まゆみは女検事に騙され嘘の供述をした〉こと。〈あんパンにトリカブトを入れて食わせたというのは偽りの記憶〉だということ。さらに愛人たちは死体を見ていないし、トリカブトで殺されたとされる〈Aさんは利根川に飛び込み自殺した〉というものだった。
 
 小林氏は、〈真顔で力説する八木さんが、嘘をついてないように思えるのは人徳なのだろう〉と実感する一方、〈まゆみやカレン、加藤京子が拘置所でわたしに見せた涙と言葉に、嘘はないと確信している。冤罪だと叫ぶ八木さんの言葉に、わたしはリアリティを感じなかった〉という。

 愛人たちはもちろん、小林氏も八木との距離を感じるようになっただろう頃、08年7月17日に最高裁で死刑判決が下った。13年6月14日、面会で小林氏は八木に「疑っているのか」と問われると、「半々です」と正直に答えるようになっていた。しかしそれにも八木は、「まあいいや。ボクに会えるのは小林さんだけなんだから、本当のことを書いてよ。人間、14年間も嘘はつけないよ」とうそぶく。前年12月に強力な弁護団が再審を支え、東京高裁がAさんの臓器の再鑑定を決めたことも心強い後押しになっていたのかもしれない。

 その一方で小林氏と文通を続ける愛人たちは、罪を償う言葉と、〈最後に人の心を取り戻してから刑に服してほしい(武まゆみからの手紙)〉〈八木さんは自分だけがたすかればいいという人だから本当にわるい人間ですネ(カレンからの手紙)〉と、八木批判を綴っていた。大真面目に無罪を主張すると八木と、懺悔する愛人たちのはざまで、小林氏は混乱する。

 死刑が確定し、もはや終わった事件かと思われていたときだった。13年8月に〈「Aさんは溺死」との鑑定結果〉が出ており、15年7月24日の面会時には、「再審決定が出るから車で迎えに来てほしい」とまで言っていたのだが、同月31日、東京高裁は〈「(保存状態が悪く)臓器が汚染されていた可能性が高い」と再審開始を認めない決定〉を下した。その後の面会で八木は目を潤ませながら、「こんなことで凹んでいられない、特別抗告をする」と新たな決意を表明。八木の特別抗告が報道されたのは冒頭の通りである。

 八木の死刑はどうなるのか──以後、この事件が報道されるとしたら、その1点のみとなるだろう。だが、小林氏の元に入ってくるのは、そんなそっけない情報ではなかった。15年8月11日、15年の満期で出所したカレンが、裁判でさえも明らかにされなかった“真相”を小林氏に放った。

 それは、愛人たちの証言を中心に進められた裁判をくつがえすものだった。小林氏はさっそく八木にカレンの言葉を伝えると、死刑囚の目は生気で輝いたという。

 事件は今後、どう転ぶのか。「死刑囚」という肩書きがついてもなお、そう簡単に“終わり”が来ないのが“殺人事件”なのだ。
(羽屋川ふみ)

最終更新:2016.01.18 12:32

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