常盤貴子が自分の映画そっちのけで絶賛! 映画『野火』が突きつけた戦場のリアルと「忘れるな!」のメッセージ

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映画『野火 Fires on the Plain』公式サイトより


 戦後70年という節目である今年は、例年以上に様々な戦争映画が公開された。劇映画に限っても、反骨の映画人・岡本喜八が1967年に映画化した、半藤一利原作の『日本のいちばん長い日』の再映画化や、息子七人を兵隊にとられた母親を描いた『おかあさんの木』、また脚本家で、雑誌「映画芸術」編集長でもある荒井晴彦が18年ぶりにメガホンをとった、戦時下の若い女性の生き方を描いた『この国の空』などが話題を呼んだ。

 そのなかでも、非常に評価が高かったのが『野火 Fires on the Plain』だ。象徴的なのは、常盤貴子の一件だろう。同作に出演したわけではない常盤貴子が自身の別の出演映画の舞台挨拶で、何度も『野火』のことに触れ、「今よくぞ撮って下さったという、戦争の追体験をできるような素晴らしい映画だったので、皆さんぜひご覧になって下さい」と熱く語ったのだ。

 たしかに、『野火』を実際に観ると、常盤が自分の作品そっちのけで何度も宣伝をしたくなったのもよくわかる。

 この作品は大岡昇平の原作を、『鉄男』(1989)や『六月の蛇』(2003)、『ヴィタール』(2004)などが海外でも高く評価されている塚本晋也監督が映画化したのだが、日本軍の兵士たちがいかにしてあの戦争を戦ったのか、230万人もの兵士たちが日中戦争から太平洋戦争の間に亡くなったわけだが、彼らが戦地で送った生活とはどんなものだったのかを、真っ向から描いている。

 主人公の田村一等兵(今回の映画では塚本晋也自身が演じている)は、太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島で、結核にかかり部隊を追い出され、野戦病院でも入院を拒否され、行くところもなく、戦地で孤独の身となる。田村は時に同じく部隊からはぐれたり、ボロボロに疲弊しきった他の日本兵たちと一緒になりながら、食糧も武器もないような飢餓状態で、フィリピンの美しいジャングルをただたださまよう。もはや「敵」を打ち負かすわけでもなく、ただ無事に復員できることと、もはや何の希望もなく、唯一残った武器である手榴弾で自爆することの、文字通り生と死のはざまで生きているような日本兵たちの悲惨な状態を、この映画は兵士たちの時々の表情を丁寧に捉えながら、記録映像のように映していく。

 映画を見た多くの人が感じたのではないかと思うが、この映画を見ていると、スクリーンを越えて、まるで実際の戦場に引きずり込まれるような感覚を覚える。田村や他の日本兵たちが経験しているあまりに過酷な環境を見続けることで、次第にその惨状に慣れてしまい、自身もまたひとりの兵士になり、そこで茫洋と生死の境目を行き来しているかのように感じるのだ。それくらいこの映画は見る者の心を掴む。

 塚本晋也は『野火』の映画化を、8ミリカメラを回し始めた10代のころから漠然と思っていたというが、その動機について以下のように語っている。

「映画化しようと思った根本的な動機は、やはり大自然のものすごい美しさと、その中で人間だけがどろどろになって、とても不可思議な、不可解な行動をしているという、その不可解な行動こそが戦争だということを描きたかった」(「インタビュー塚本晋也 戦争の“痛み”を伝える――映画『野火』を撮って」 すばる 2015年9月号)

 塚本は「不可解な行動こそが戦争」と語っているが、この映画で描かれる「戦争」の不可解さは熾烈だ。原作の最重要テーマである「人肉食」や、非戦闘員である原住民殺しはもちろんだが、それ以上に見るものを容赦なく責め立てるのは、銃撃により、兵士たちの身体が損壊していくさまである。ある者は空からの爆撃をくらって顔の半分が削がれ、また暗闇のジャングルの中、祖国に帰りたいと逃げまどう日本兵たちがアメリカ軍からの集中砲火を浴びるシーンでは、銃撃によって手足はもげ、腹が裂け内臓はむき出しになり、脳漿が飛び散る。あの戦争は国を守るために、家族を守るために勇敢に戦った、勇敢な男たちの戦いだったのだ、というような上っ面の「物語」はここにはない。

 レイテ戦では参加した日本兵の97%にあたる約8万人が戦死したと言われる。「大東亜共栄圏」の名のもとに、フィリピンをアメリカから解放するという名目で占領したが、キリスト教を信仰し、英語を話すフィリピン人たちを「愚民」と見下しながら、異文化を理解もせぬまま行った失政や、残虐行為、食糧などの収奪のせいで激しい抵抗にあい、抗日ゲリラとアメリカ軍を相手にせざるをえない状況の中戦況は悪化し、兵士たちはこの映画のような末路をたどった。例えばアメリカ軍に追い詰められ、畑から芋を盗んで命をつないだ第16師団のある兵士は、以下のように語っている。

「彼ら(フィリピン住民)の芋畑見付けて芋掘りですわ。その頃、住民は日本兵の死体から銃をとって自警団を作っていたんです。芋をとりに行ったら、撃ってくるんです。そして日本兵が倒れたらすぐ住民が出てきてね。蛮刀っていってましたけど、ブッシュナイフね、あれで手切ったり、足切ったり。あちこちに手足のない日本兵の死体が転がっていた」
「村人は日本の兵隊を、そんだけ恨んでおったんだと思います。僕もゲリラを殺してますし、集落襲って食糧をとりにいって、村人を何人も殺してますし。それは恨まれて当然やったんでしょうけどね」(「ドキュメント太平洋戦争 踏みにじられた南の島 レイテ・フィリピン」 NHK取材班編 角川書店)

 映画の中で道端に転がっていたおびただしい数の日本兵の死体は、アメリカ軍だけではなく、このように日本の占領政策に抵抗するフィリピン人ゲリラや住民たちによって殺されたケースもあっただろう。同書に登場する、レイテ島北部で祖父を日本兵に殺されたというフィリピン人の男性は、「戦争中日本兵はフィリピン人を殺し、フィリピン人は日本兵を殺しました。お互いに殺しあうことが自然な時代、それが戦争というものです。戦争が終わった今では日本人を恨んではいません」と語っている。

 さて、10代のころから映画化を考え、時代のせいなのか企画がなかなか通らない中、「戦争体験者の“体験”が消えてしまうのではないかという危機感と、使命感」(同すばるインタビュー)を持ちながら映画化を諦めなかった塚本は、今回の映画化にはまた東日本大震災の経験も影響していると言う。「今までいかに自分が、電気がどこから来ているのかなどを全く知らないで安穏に暮らしていた」かを痛切に感じ取ったうえで、震災が風化していくことについて、こう言っているのだ。

「不幸にも福島の原発事故があったことを教訓にしないといけないと思うんですが、それをまた今、なかったことにするかのように曖昧にしようとするのは、ちょっと想像を絶するなという気はします。あったことも忘れようとしているのではないか。それどころか、ないものとして済ませようとするのは神をも恐れる行為。恐ろしい気がしています。」(同インタビューより)

 福島を忘却することと同じように、太平洋戦争で日本兵は何を行い、またどのように死んでいったのか、この事実を反省するどころか、忘れようとしたり、ないものとして済ませようとする政治的動きや風潮が広がっている。これに対して、戦争とは、食べるものが一切なく、人が身体的にも精神的にも破壊され、人が人を食う状態にまで追い詰められることだと、映像の力を持って、改めて「忘れるな」と告発しているのが、塚本晋也の『野火』なのではないだろうか。

 先日8月30日に約12万人の人々を霞が関に集めた反安保デモで、一人の青年がこの映画『野火』のチラシを配布しているのを見た。きっと彼も同じ思いに突き動かされてそれを配っていたのだろう。まず、自分たちの先祖があの戦争で何を行い、またどのように死んでいったのかを忘れないこと。それを忘れたときに、ニッポンは再び戦争への道へ陥落していく。
(寺路 薫)

最終更新:2015.09.06 04:17

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