佳子さまはなぜ学習院を中退したのか!? セクハラ、イジメ…名門校に不祥事続出

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国際基督教大学にご入学された佳子内親王(YouTube「FNNnewsCH」より)


「大学のサークルはどうなるのか」「20歳になってお酒は飲んだのか」など、些細なことがニュースになるほど、日本中から注目の的となっている秋篠宮家の次女・佳子内親王。まさに「佳子さまフィーバー」といった状況のなか、「佳子さま」はこの4月、国際基督教大学(ICU)に入学した。

 学習院幼稚園に入園してから、初等科、女子中等科、女子高等科、そして大学と、学習院で学んできた佳子内親王。しかし、2014年8月に学習院大学文学部教育学科を退学し、同年10月にAO入試でICUに合格。2015年4月からICUの1年生として再びキャンパスライフを始める。

 これまで皇族といえば、学習院に通われることが当たり前だった。佳子内親王についてもそのはずだっただろうが、わざわざ大学を中退してまで、ICUに再入学という道を選ばれた。一体どうして学習院を中退したのだろうか?

「教育学科は小学校の教員資格を取るための学科です。もちろん佳子さまも教員資格を取ることは可能ですが、現実的に考えて、皇族の佳子さまが将来、教師になられることは難しい。そのため。周りのご友人たちとご自分との温度差を日に日に感じられるようになったようです」(秋篠宮家関係者)『女性セブン』2014年10月2日号より

 さらに、佳子内親王は母・紀子妃から「サークル禁止令」を出され、キャンパスライフをエンジョイすることもできず、学習院での大学生活に失望していく。そして、姉・眞子内親王の母校であり、もともと高校3年生の時に志望していたICUへの再入学を決意したというのだ。

 だが、佳子内親王だけのケースではなく、近頃は皇族の学習院離れが顕著になっている。

 たとえば高円宮家の長女・承子内親王は学習院女子大学に入学したものの、2005年に退学し、英・エディンバラ大学に入学。帰国後は早稲田大学に編入している。また、同じく高円宮家の三女・絢子内親王は学習院大学女子高等科を卒業後、城西国際大学に入学している。

 そして、佳子内親王の姉である秋篠宮家の長女・眞子内親王も、学習院女子高等科を卒業後、ICUに入学。また、佳子内親王の弟の悠仁親王は、学習院幼稚園ではなく、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園。その後、お茶の水女子大学附属小学校に進学している。

 そもそも現在の学習院は、華族のための教育機関として明治初期に設立されたものだ。「華族」とは、江戸時代に公家や諸侯、大名だった人々に、新政府が与えた称号のこと。著述家・浅見雅男氏の『学習院』(文藝春秋)には、設立に至った理由としてこんな記述がある。

「天皇政権のもとで公家や大名だった華族が政治的な力を発揮できる余地はあまりなかったが、明治初頭の華族たちのなかには政治参加の意欲に燃えているものもいた。(中略)彼らにとって華族のための学校設立は、同族たちの存在価値を高めるためにも、早急に実現しなければならない事業だったのである」

 そして、天皇からの金銭的援助を受けたうえで1877年(明治10年)に学習院が設立。1884年(明治17年)より宮内庁所轄の官立学校となった。しかし、敗戦後の1947年(昭和22年)に「華族」という身分は消滅、学習院も私立学校として再出発することとなる。

 華族のための学校として機能していた学習院が戦後、私立学校になったということで、その在り方は大きく変化するわけだが、皇族の教育という点で重要な存在であり続けた。

「安倍(註:戦後、学習院院長になった安倍能成)は皇太子の長子浩宮徳仁親王(現・皇太子)が幼稚園に入る年齢になる一年前の昭和三十八年四月に、学習院幼稚園を開園させた。多くの皇族たちも通った学習院幼稚園(女子学習院付属。男女共学)は、戦後、廃止されたため、徳仁親王がどこの幼稚園に入るのかは注目されていたが、安倍は当然、学習院が引き受けるべきだと主張し、短時間での復活を実現させたのである」(前出『学習院』より)

 将来の天皇を通わせるために、幼稚園を復活させるなど、戦後になっても相変わらず「皇族が通うための学習院」という位置づけは変わらなかったのだ。

 しかし、ここ最近で一気に加速する皇族の学習院離れ。その背景には、不祥事の続出、学校自体の劣化が影響しているともいわれている。以下は、学習院の劣化を象徴する事件の数々だ。

 2000年、元学習院女子中・高等科科長が失踪し、埼玉県の山中で白骨化した姿で発見された。当時の報道によると、先物取引の失敗で多額の借金を抱えた末に自殺したものとみられている。

 2001年から2002年には、女子中等科で盗難事件が相次いだ。
「部活などでちょっと目を離した隙に、財布を盗まれる騒ぎが続きました。当時一年に在学中だった高円宮家の次女・典子さまもお金を抜き取られてしまいました」(学習院関係者)『週刊文春』2010年3月18日号より

 2003年、早稲田大学のサークル「スーパーフリー」の集団強姦事件で学習院大学1年生が逮捕、懲役6年の判決を受ける。

 2007年、初等科の男性教諭による児童に対するセクハラ行為が発覚する。
「その教諭はお気に入りの女子児童を“お姫様抱っこ”して記念撮影するなど、約8年にわたってセクハラ行為を繰り返していた」『女性セブン』2014年10月2日号より

 2009年5月には、その春に高等科を卒業したばかりの女性が、数学担当の若手男性教師に強姦されたと被害届を出している。最終的に男女のもつれとして被害届は取り下げられ、慰謝料での示談となったが、その教師は依願退職とした。

 また、初等科でのこんな騒動が報じられたことがある。2009年6月のことだ。以下は、初等科のある父兄の話だ。

「1年生のクラスで男子児童が後ろの席の女子児童にケガをさせてしまった。それもなんと、持っていた鉛筆で女の子の顔を傷つけて流血させてしまったのです」『週刊新潮』2010年3月18日号より

 そして、皇室と学習院の関係に決定打を与えたのが、愛子内親王の不登校問題だろう。

「学校関係者によると、(補足:愛子内親王のクラスの)隣組にはAくんを中心とする“悪童グループ”がいた。
 彼らは教室で副カバンと呼ばれる黒いサブバッグや結んだなわとびを投げたり、大声をあげたり、廊下を物凄い勢いで走ったりするなどの行動が目立ったという」『週刊新潮』2010年3月18日号より

「愛子さまがお友達と廊下を歩いていたら、いきなり前から首を絞められそうになったそうです。あまりのショックに愛子さまは硬直されていたといいます」(同学年の母親)『週刊文春』2010年3月18日号より

 この“いじめ”については事実関係がはっきりしない部分もあるが、愛子内親王はこれをきっかけに不登校となってしまう。

 秋篠宮が悠仁親王の進学先として、学習院ではなく、お茶の水女子大学附属幼稚園・小学校を選択した背景には、こうした問題があるのは想像に難くない。さらに、秋篠宮は、愛子内親王に対する指導の甘さに疑問を抱いていたとの声もある。

「授業中に愛子さまがおしゃべりしていても、叱られるのは周りの子供だったこともあったそうです。
 そういったことは紀子さまの耳にも伝わっていたようで、秋篠宮ご夫妻は“校風がまったく変わってしまった”なんて嘆かれていました」(秋篠宮関係者)『女性セブン』2014年10月2日号より

 中等科に進学してからも、愛子内親王に対する特別扱いは続いており、一部の上級生たちが学習院に抗議したとも報じられている。

 相次いだ不祥事、そして愛子内親王をめぐる問題と、教育の場としては問題ありと言わざるをえない現在の学習院。皇族が離れていくのも仕方ないことなのだろうか。
(田中ヒロナ)

最終更新:2017.12.23 06:53

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