手塚治虫も性表現への圧力に激怒していた! マンガの神様が逆ギレしてやけっぱちで描いた“エロマンガ”とは?

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 ただ、では手塚は単に下品なマンガを描きたいから『やけっぱちのマリア』を描いたのかといえば、まったくそんなことはない。

 彼がこの作品を描いたのは、子どもたちにきちんとした知識を教えなくてはいけないという医学博士でもある手塚らしい思いと、そのような「性」の知識を通じて、「生」、すなわち「生きること」「生命」の大切さを知ってほしいという真摯な思いがあった。それは、前掲『手塚治虫文庫全集』のあとがきで引用されている当時の手塚のコメントを読めば一目瞭然だ。

〈性の概念としてオトナはすぐ行為そのものを考えるので、性はイヤラシクなってくるんです。男女の二つの性があるのはなぜか、生命とはなにか、愛とはなにか、人間とはなにか、といった疑問に取り組むとき、性の問題を避けて通ることはできなくなるはずです。きわめて根源的なテーマなのです。なぜ私がまんがを描くかというと、たまたま、私がまんが家だから、まんがを通じて性を子供たちに教えようというわけです。言葉をかえていえば、しつけといえるかもしれません〉(「サンデー毎日」70年6月28日号/毎日新聞出版)
〈性の問題は、人間が生まれた時からすでに男と女に分かれているというように人間の一生で最大の要素でありながら、あまりに遠慮がちに、あるいはこそくに取り扱われてきた。子供たちはもうそんな性に対する考え方を超えている。子供はみんな知っているんです。この子供たちに性の事実を教えることが正しい性教育だろう。知識がないまま、方法だけが先走りするからいまのハイティーンのような乱れたセックスが生まれる。性がタブー視されるのは性行為を考えるからだが、性と性行為そのものははっきり区別しなければならない。性の事実をズバリ描くことで徹底的に基礎知識を教えるというのは、わたしの漫画家としての長い間のテーマで、ハレンチ漫画といっしょにされては困る〉(「西日本新聞」70年8月28日付)

 実は、『やけっぱちのマリア』をきちんと読めば、作者にこのような思いがあるのだろうなということはすぐに分かる。絵も、一応ヌードはあるし、ダッチワイフも登場するのでそれなりには過激だが、わいせつな意図は微塵もないことは明白で、現在の感覚で見れば子どもが読んでも何の問題もないように思える。むしろ、面白く読めて理想的な保健体育の教科書とも言える。だが、当時はこの程度でも「悪書」として取り扱われた。

 表現、特に、性表現をめぐる規制は時代によって変化する。いまとなっては『やけっぱちのマリア』をめぐる騒動は、手塚治虫を語るうえで、巨匠らしからぬ逆ギレの一幕を伝える小咄の一つだが、何年か先、現在の性表現規制について、そういう風に笑える日はくるのだろうか。日に日に強まる規制を見ていると、逆の結果になるような気もするのだが……。
(新田 樹)

最終更新:2018.10.18 04:41

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