手塚治虫も性表現への圧力に激怒していた! マンガの神様が逆ギレしてやけっぱちで描いた“エロマンガ”とは?

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 手塚自身、このような表現への圧力に対して相当のフラストレーションをもっていたのだろう。その心のうちを分かりやすく表した資料として『消されたマンガ』では、68年に連載が始まった永井豪『ハレンチ学園』が有害図書論争に火を点けたとき、雑誌の取材に語った彼のコメントを引いている。

〈もっともっとハダカを出してもいいと思うよ。子供をもっとタフに育てないといけないよ。ま、ボクら戦中派にやれなかったことをやってくれましたね〉(「週刊文春」70年2月2日号/文藝春秋)

 そんな状況下、70年に手塚が生みだしたのが『やけっぱちのマリア』という作品だった。これは、手塚治虫による性教育マンガという触れ込みで連載された作品。生霊がダッチワイフに乗り移り生まれたマリアと、ヤンキー中学生の焼野矢八による青春ドラマのかたちをとりつつ、その物語のなかで「第二次性徴期の身体の変化」「受精から着床までの流れ」など、保健体育の授業でも習うような「性」に関する知識が語られる作品であった。

『ハレンチ学園』のスカートめくり程度の描写が問題になっている最中、乳首もばっちり描き込まれた女性のヌードや、ヒロインがダッチワイフという設定、また、「性教育」のお題目がありつつも、露骨にセックスを暗示させるような描写は、当時のマンガ界では明らかに過激だった。しかも、連載されていたのは、少年マンガ誌の「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)である。彼はこのような作品が企画された意図について当時の出版界を取り巻く時代背景と照らし合わせながらこのように語っている。

〈「やけっぱちのマリア」は、まあ、いわばキワモノです。
(中略)
 ぼくたちが少年漫画のタブーとして、神経質に控えていた性描写が破られて、だれもかれも漫画にとりいれはじめたので、こんなばかばかしい話はない、こっちはかけなくて控えていたのじゃない、かきたくてもかけない苦労なんか、おまえたちにわかるものかといったやけくそな気分で、この駄作をかきました。
 だから、「やけっぱち」というのは、なにをかくそう、このぼくの心情なのです〉(『手塚治虫漫画全集269』/講談社)

 時代によって移り変わっていく「規制」の基準。これまでは生足を描いた程度で問題視され描きたくても描けなかった性表現が、特にこれといった理由もないままなし崩しで緩くなっていく。それでは、これまでPTA、出版社、書店など各方面から受けてきた圧力はなんだったのか──。『やけっぱちのマリア』の「やけっぱち」とは、そのような長年の鬱屈した思いが爆発した「やけっぱち」でもあったのである。その結果、『やけっぱちのマリア』は作中に描かれた女性器の構造図などが問題視され、福岡県児童福祉審査会から有害図書指定を受けている。「マンガの神様」が起こした意外な逆ギレは大騒動を起こしたのである。

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