天皇在位式典で三浦大知が歌う「歌声の響」は明らかに天皇、皇后の沖縄へのメッセージだ! 天皇が作詞に込めた意味

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歌声の響(朝日新聞出版)

 驚いた人も多いのではないか。2月24日の在位30年記念式典で、歌手の三浦大知が、明仁天皇が作詞し、美智子皇后が作曲した「歌声の響」を歌唱すると発表された件だ。Twitterではさっそく〈三浦大知feat.天皇皇后両陛下やばいな〉〈ファンやってきて良かったよ…〉というような投稿で盛り上がっている。

 歌唱力とキレキレのダンスを武器とする実力派の三浦が、「作詞・天皇/作曲・皇后」の楽曲を歌い上げるというということで、若いファンの間では絶妙にバズっているようだが、いや、それよりも驚かされたのは、これが天皇・皇后の“沖縄への思い”を反映した明確な“メッセージ”に他ならないからだ。

 どういうことか。もともと、天皇の在位記念式典では以前から人気歌手が起用されてきた。10年式典の際にはX JAPANのYOSHIKIが作曲した奉祝曲「Anniversary」が、20年式典の際にはEXILEのATSUSHIとTAKAHIROが歌を担当した「組曲 太陽の国」(作詞・秋元康)が使われている。これらは、官邸が主導して選定したといわれていた。

 だが、今回の30年式典であの「歌声の響」、しかも、沖縄出身の三浦大知が歌い手に選ばれたことは、これまでとはまったく性質が異なると考えるべきだ。

 そもそも「歌声の響」は琉歌(沖縄の島々に伝わる8・8・8・6調の定型詩)だ。〈ダンジユカリユシヌ/ウタグイヌフィビチ〉(だんじよかれよしの歌声の響)と始まり、〈ミウクルワレガウ/ミニドゥヌクル〉(見送る笑顔目にど残る)と続く。「だんじゅかりゆし」というのは旅立ちを祝って歌われる沖縄の歌で、「ほんとうにめでたい」という意味。ここには、天皇・皇后にとって忘れられない沖縄のエピソードがこめられている。

 明仁天皇が「歌声の響」を詩作したのは皇太子時代、美智子皇后(当時は皇太子妃)と沖縄を初訪問した1975年に遡る。当時の沖縄は3年前に本土へ復帰したばかりで、天皇の戦争責任を問う声も多く、皇室に対する強い反感があった。実際、この訪問で明仁天皇がひめゆりの塔で献花した際、火炎瓶を投げつけられるという事件が起きている。だが、明仁天皇の沖縄訪問は覚悟の上だった。訪問前、琉球文化研究などの第一人者である外間守善氏から「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と心配された今上天皇は、「何が起きても受けます」と述べたという(朝日新聞2016年12月18日付)。

 その火炎瓶事件の翌日に向かったのが、辺野古のある名護市の国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」。療養所の人々が二人を見送る際に歌った歌が「だんじゅかりゆし」だった。そして、東京に戻った明仁天皇がこの思い出を琉歌として詠み、沖縄愛楽園の人々に贈ったのが、先に紹介した一首だ。

 みなさんの「だんじゅかりゆし」と歌うその響が、わたしたちを見送るその笑顔が、いまでも目に浮かんで消えません──。

 そこに美智子皇后が琉球民謡風のメロディをつけたのが、琉歌「歌声の響」なのである。

 つまり、いまの天皇と皇后にとって、「歌声の響」はまさに、自分たちを受け入れるかどうかわからなかった沖縄で、社会的弱者であるハンセン病を患う人々から、自らの旅路(進むべき道)に祝福をもらったという思い出そのもの。1994年の結婚40周年の音楽会でも歌われたように、ふたりが心から大切にしてきた一曲なのだ。

天皇皇后が一貫して語ってきた安倍政権とは真逆の「沖縄に寄り添う姿勢」

 しかも、周知の通り、天皇・皇后は沖縄への旅を続け、昨年の訪沖で実に11回を数えた。会見などでも繰り返し沖縄に言及している。

 たとえば、沖縄で米軍による少女暴行事件が起こった翌年の1996年には、誕生日会見で「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と、日本政府でもなく米国政府でもなく、沖縄県民の側に立つと明言した。

 また、2003年の誕生日会見では「沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです」と切り出し、自らのルーツにも触れながらこう語っている。

「このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました」

 2013年の4月28日、安倍首相の肝入りで行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」にあたっては、政府側の説明に対し「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と反論し、出席に難色を示していたという逸話も残っている。

 そして、安倍政権が辺野古新基地建設の強行などで、沖縄差別を強めるなか、天皇は、昨年の誕生日に際した会見で、あらためて「沖縄に心を寄せていく」と訴えたことも記憶に新しいところだ。

 明仁天皇は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効(本土の主権回復)から沖縄の復帰までに20年の歳月を要したことを振り返ったうえで、「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」と、本土から見捨てられてきた沖縄の歴史を強調。「皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました」と続けたあと、声を震わせ、会見場を見やりながら、こう力を込めたのだった。

「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」

ネトウヨや安倍応援団は「パヨク妄想」と必死で否定してきたが…

 そして、ここにきて、在位30周年記念式典での「歌声の響」である。これは明らかに、天皇・皇后二人の強い希望によるものだろう。しかも、歌うのは沖縄出身の三浦大知。現在、沖縄が置かれる状況を考えれば、この選択それ自体がメッセージであることは、もはや疑う余地がない。

 本サイトでは、たびたび明仁天皇と美智子皇后の沖縄に対する強い思い入れを紹介し、その言葉の端々に、安倍政権の沖縄政策に対する強い懸念が読み取れると伝えてきた。その度に、ネット右翼や安倍応援団からは「パヨクが都合よく解釈するな」「妄想も大概にしろ」なる罵声が飛んできた。

 しかし、これが“メッセージ”でなかったらなんなのか。

 前述した一首(一番)に続く二首(二番)は、「歌声の響」を皇后が作曲した際に、あらためて明仁天皇が詠んだものとされている。引用して終わろう。

〈ダンジュカリユシヌ/ワタヤワチャガタン/ユウナサキユル/シマチムニヌクテイ〉(だんじよかれよしの歌や湧上がたん ゆうな咲きゆる島肝に残て)。

 みなさんから「だんじゅかりゆし」の歌が湧き上がったことが、あのゆうなの花の咲く沖縄の島々が、わたしたちの心にいまでも残っているのです──。

最終更新:2019.01.20 01:17

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