「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確か」野坂昭如が死の直前、最後の日記に書き遺したひと言

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷
nosaka_151210_top.jpg
野坂昭如『東京十二契』(文藝春秋)

 昨年末、立て続けに飛び込んできた野坂昭如氏、水木しげる氏の訃報に接し、この国のゆく末を案じた人も多かったはずだ。ご存じの通り、水木氏は左手を失った南方での苛烈な戦争体験をマンガ作品に、野坂氏は戦争によって家族を失い孤児となった体験を小説やエッセイで発表。“戦争のリアル”を伝えつづける貴重な表現者だったからだ。

 そんななか、野坂氏の“絶筆”が、「新潮45」(新潮社)1月号に掲載された。その文章には、死の間際にもやはり野坂氏の意識から「戦争」が失われることはなく、最期の最期まで、現在の日本にはびこる“戦前の空気”に警鐘を鳴らしていたことがわかる。

 絶筆となったのは、2007年から連載をつづけてきた「だまし庵日記」。最終回となってしまったこの連載第106回には、12月8日と翌9日の日記が綴られている。野坂氏が心不全によって息を引き取ったのは、9日の午後10時半ごろ。つまりこの日記は死の前日、当日のものだ。

 まずは、野坂氏の8日の日記を見てみよう。

〈12月8日と聞けば、ぼくなどはすぐさま昭和16年に結びつく。
 日本軍によるハワイ真珠湾攻撃。この戦争の始まった年、ぼくは神戸成徳小学校5年生。8日の朝、校庭の鉄棒にぶら下がり前まわりをくり返していた〉

 少年時代を振り返る野坂氏は、〈相撲、鉄棒、短距離は得意だった〉という。このことが象徴しているのは〈道具が要らない〉遊びだということ。〈日本軍が中国大陸に押し渡り、勝っている、と言うわりには、物資はどんどん欠乏。ボールも失せた〉が、そのうち鉄棒も供出されてしまった。しかし、この段階では、まだかろうじて外で遊ぶ“日常”と呼べるものがあったのだろう。

〈昭和16年12月8日午前6時頃、帝国陸軍部大本営発表がラジオで流れた。二度と耳にしたくない音。
 だが、あの時、ぼくにはまだ両親がいた。ごく当たり前の日々があった〉

 野坂氏は生まれる直前に両親が別居、実母は出産後まもなく死去し、神戸に養子に出されている。その養子として迎えられた家も、昭和20年の神戸大空襲で焼失、養父も失い、野坂氏は妹とともに西宮の親戚に預けられた。このあたりの話は代表作『火垂るの墓』に詳しいが、そうして野坂少年の〈ごく当たり前の日々〉は、空襲によってズタズタに切り裂かれてしまったのだった。

 作家としての出発点であり、そして最期まで忘れられなかった戦争の記憶。本サイトでも既報の通りだが、じつは野坂氏は昨年の8月にもこのことに言及している。

〈ぼくは焼け野原の上をさまよった。地獄を見た。空襲ですべて失い、幼い妹を連れ逃げた先が福井、戦後すぐから福井で妹が亡くなるまでの明け暮れについてを、「火垂るの墓」という30枚ほどの小説にした。空襲で家を焼かれ一家離散、生きのびた妹は、やがてぼくの腕の中で死んだ。小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、自己弁護が強く、うしろめたさが残る。自分では読み返すことが出来ない。それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた。文字なり喋ることだけで、何かを伝えるのは難しい。それでもやっぱりぼくは今も戦争にこだわっている〉(毎日新聞出版「サンデー毎日」2015年8月23日号)

 このとき、野坂氏は〈戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。人間を残酷にする。人間が狂う。だが人間は戦争をする。(中略)戦場で殺し合いをする兵士が、家では良き父であり、夫である。これがあたり前なのだ〉とも書いている。戦争によって人間は平穏な生活や大切な家族を奪われるが、他方で戦争を行い、命を奪うのも人間なのだ。そのことをよく知る野坂氏は、前述の日記でも、いま世界に蔓延する“テロリスト憎し”のムードに注意を呼びかける。

〈テロが世界を脅かしている。
 当たり前だった日常が、テロによって奪われた。
 残虐な行為は許せるわけがない。だが、軍事力では何ひとつ解決は出来ない。これはすでに立証されている。
 戦争が戦争を呼び、テロリストを生んだ。どんどん根が深くなっている。
 テロリストは、空爆で根絶など出来ない。負の連鎖を止めなきゃ終りはない〉(12月8日の日記より)

 そして、野坂氏が最期まで警告を発してきたのが、安倍政権と安保法がいかに危険なものであるかということだった。

〈安保法がこのまま成立すれば、やがて看板はともかく、軍法会議設立も不思議じゃない。これは両輪の如きものとも言える。すでに特定秘密保護法が施行され、さっそくの言論弾圧。そのうち再びの徴兵制へと続くだろう。言論弾圧が進めば、反戦的言辞を弄する者は処罰される。すでにマスコミにも大本営発表的傾向がみられる。これがこのまま続けば国民の国防意識を急速に高めることも可能。たちまち軍事体制が世間の暮らしの仕組みの上に及んでくる。戦争ならば覚悟しなければならない。往年の国民精神総動員令がよみがえる〉
〈今は軍国主義の世の中ではない。だが、世間が反対しようと無謀であろうと、無理のごり押しを平気でする。決めたらひたすら突き進む。この政府の姿勢は、かつてとそっくり〉(前出「サンデー毎日」より)

 この文章をしたためた夏を過ぎた後、野坂氏は死の危機を迎えていたらしい。12月9日の日記によると、〈秋のはじめに誤嚥性肺炎とやらに見舞われ、スッタモンダ。どうにか息を吹き返したらしい〉と綴っている。〈ベッドと椅子と、半々位の生活をしている。移るのが一仕事〉という生活のなか、しかし野坂氏は、着替えが楽なパジャマを揃える妻と病人くさい格好よりおしゃれにさせろと言う娘の意見対立についても、他人事のように〈オレはどっちでもいい〉と書いたり、年の瀬に思い出として〈飲み屋のツケ払いに奔走していた〉と回想したりと、日記にはじつに最期まで野坂氏らしい飄々さが貫かれている。

 そんな具合に病状について記したあと、〈さて、もう少し寝るか〉と書いているのだが、次の段落で野坂氏は唐突に、こう書き付けるのだ。

〈この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう〉

 死の当日、野坂氏は日記をこのように締めた。これが最期に遺した一文である。〈もう少し寝るか〉という文章とはつながらない、でも“書かずにはいられない”という強い思いがあふれる一文──いまとなっては、これが野坂氏の遺言だったのだと思えてくる。

 安倍首相は22日の施政方針演説で改憲について「逃げることなく堂々と答えを出していく」と勇ましく口にした。この総理によって憲法にまで手がつけられれば、野坂氏が言葉として遺したように、その後、わたしたちを待っているのは“戦前”の社会だ。

 病床の野坂氏には、軍靴の足音がはっきりと聞こえていたのだろう。しかしこの社会のメディアはまさに「大本営発表」化し、そんな音などどこにも響いていないかのように平然さを演出しつづけている。すでに戦争状態ははじまっている、そう言ってもいい状況だ。野坂氏は、こう述べていた。

〈どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない〉(前出「サンデー毎日」より)

 野坂氏の遺言を、いまこそ肝に銘じなくてはならない。
(水井多賀子)

最終更新:2016.01.27 12:06

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

この記事に関する本・雑誌

「終戦日記」を読む (朝日文庫)

新着 芸能・エンタメ スキャンダル ビジネス 社会 カルチャー くらし

「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確か」野坂昭如が死の直前、最後の日記に書き遺したひと言のページです。LITERA政治マスコミジャーナリズムオピニオン社会問題芸能(エンタメ)スキャンダルカルチャーなど社会で話題のニュースを本や雑誌から掘り起こすサイトです。安倍晋三水井多賀子の記事ならリテラへ。

人気記事ランキング

総合
ツイート数
1 小室圭さんをとにかく糾弾したいワイドショーの事実歪曲とグロテスクな差別性
2 菅と河野が嘯く「ワクチン9月完了を合意」は嘘!実際はファイザーCEOに相手にされず
3 マリエ問題で出川はCMゼロも…松本人志も公の電波で枕営業を煽る発言
4 日本城タクシー坂本社長が橋下徹を再び論破!「アホな議論」と一刀両断
5 菅首相が米メディアから「五輪を進めるのは無責任」と質問され無視する愚行
6 名古屋リコール不正で維新市議が関与を証言!吉村知事、松井市長の責任
7 吉村知事は自己正当化モンスター!「重症センター」縮小をつっこまれ
8 「かまいたち山内」にネトウヨ疑惑…排外主義や嫌韓ツイートにも「いいね」
9 吉村知事への批判がテレビでも…北村教授、日本城タクシー社長、小木博明も
10 佳子内親王の「姉の一個人の希望を」に批判殺到はおかしい
11 橋下徹が西村大臣のPCR検査擁護で検査封じの責任に頰被り
12 眞子内親王の婚約者バッシングの裏
13 稲垣、草なぎ、香取がJタブーをポロリ
14 葵つかさが「松潤とは終わった」と
15 吉村洋文知事は5月に30本のテレビに出演していた
16 玉川徹が『バイキング』の小室圭さんバッシングの嘘を批判!
17 大阪に看護師不足は維新のせい!橋下徹は看護師の給料を「バカ高い」と攻撃
18 櫻井よしこ、西岡力、文春…朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈
19 菅首相が緊急事態宣言を出さないのは五輪開催のため ワクチンも五輪選手優先
20 汚染処理水・海洋放出の蛮行に加え安倍が顧問の「原発新増設」推進議連
1 吉村知事は自己正当化モンスター!「重症センター」縮小をつっこまれ
2 日本城タクシー坂本社長が橋下徹を再び論破!「アホな議論」と一刀両断
3 菅首相が米メディアから「五輪を進めるのは無責任」と質問され無視する愚行
4 名古屋リコール不正で維新市議が関与を証言!吉村知事、松井市長の責任
5 吉村知事への批判がテレビでも…北村教授、日本城タクシー社長、小木博明も
6 菅と河野が嘯く「ワクチン9月完了を合意」は嘘!実際はファイザーCEOに相手にされず
7 NHKが聖火リレー中継から五輪反対の声をカット!北京五輪のような情報統制
8 萩生田文科相「子どもが変異株に感染しやすいという知見ない」とデマまがい
9 汚染処理水・海洋放出の蛮行に加え安倍が顧問の「原発新増設」推進議連
10 菅首相が緊急事態宣言を出さないのは五輪開催のため ワクチンも五輪選手優先
11 DHC吉田会長がNHKに「社員のほとんどがコリアン系」とヘイトデマ
12 海外から批判も政府と組織委は五輪強行、選手に特別な感染対策を実施
13 マリエ問題で出川はCMゼロも…松本人志も公の電波で枕営業を煽る発言
14 小室圭さんをとにかく糾弾したいワイドショーの事実歪曲とグロテスクな差別性

カテゴリ別ランキング

マガジン9

人気連載

アベを倒したい!

アベを倒したい!

室井佑月

ブラ弁は見た!

ブラ弁は見た!

ブラック企業被害対策弁護団

ニッポン抑圧と腐敗の現場

ニッポン抑圧と腐敗の現場

横田 一

メディア定点観測

メディア定点観測

編集部

ネット右翼の15年

ネット右翼の15年

野間易通

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

赤井 歪

政治からテレビを守れ!

政治からテレビを守れ!

水島宏明

「売れてる本」の取扱説明書

「売れてる本」の取扱説明書

武田砂鉄