安倍首相の面前で翁長知事が"対案厨”に反撃!「辺野古が嫌なら代案出せ」の身勝手

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23日に行われた追悼式でスピーチする翁長知事(YouTube「ANNnewsCH」より)


 本日6月23日、沖縄戦から70年目の「慰霊の日」を迎えた沖縄県。平和祈念公園では戦没者追悼式が行われたが、そのスピーチで翁長雄志・沖縄県知事は平和を希求する思いとともに、列席者である安倍晋三首相に“沖縄の声”をこのように叩きつけた。

「そもそも、私たち県民の思いとはまったく別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、『その危険性除去のため辺野古に移設する』『嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、到底県民には許容できるものではありません」

 翁長知事が述べたように、これまで沖縄は基地の県外移設を訴えてきたが、日本政府はそれに対して「ならば代案を出せ」と迫ってきた。事実、菅義偉官房長官は翁長知事との会談後、BSフジの番組で翁長知事が普天間の「危険除去」について“具体案を示さなかった”と発言している。

 保守メディアも同様だ。産経新聞は社説で〈代案を示さないまま辺野古移設を阻めば、普天間の危険性が固定化される。翁長氏には、その点をどう考えるのか、さらに詳しく語ってもらいたい〉(4月6日付)と主張し、「WiLL」編集長の花田紀凱も〈国と県が一度約束したことを「民意」を盾に覆そうとする。ならば、「代案」は翁長知事側が出すのが当然ではないか。代案も出さずに、イヤだ、イヤだを繰り返す翁長知事、駄々っ子より始末が悪い〉と述べている。

 さらに保守論客の青山繁晴も、「翁長さん、代案ないんですよ。県外に出せって言ってるだけですよね?」「県外に出せって言うなら、同じ知事同士でやっぱ話してもらわなきゃいけないじゃないですか!」(ニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか!」にて発言)と語気荒く翁長知事を批判。もちろん、保守メディアや論客だけでなく、ネット上では「代案も出せないのに基地を拒否するな」とネトウヨたちがバカのひとつ覚えのように大合唱を繰り広げている。

 だが、こうした“代案厨”の批判はすべて的外れだ。だいたい、どうして翁長知事が代案を出さなくてはいけないというのか。翁長知事が対話を求めても政府はそれになかなか応じず、翁長知事が辺野古基地の建設作業中止命令を出しても、菅官房長官は「現時点で作業を中止する理由は見当たらない。粛々と進める」と言い、工事続行を決めた。政府は沖縄の民意を無視し、権限を奪ってばかりいるにもかかわらず、沖縄に「代案を出せ」とは筋が通らない。もしどうしても、米軍基地を国内に置いておきたいなら、代案を出すべきなのは、日本政府のほうだ。

 ところが、政府は代案どころか、辺野古以外の選択肢など考えようともしない。今年4月29日に開かれた日米首脳会談の後、オバマ大統領は共同会見で「沖縄に駐留する海兵隊のグアムへの移転を前進させることを再確認した」と述べたが、それでも翌月5月9日に中谷元防衛相は「(辺野古移設が)唯一の解決策」と明言。国外移設という可能性を政府自らが潰している。県外移設にしても、安倍首相は「普天間の部隊を切り離して県外に移設することは現実の政策としては困難と言わざるをえない。(辺野古移設の)現行計画が唯一の有効な解決策だ」と、選択肢を探ろうともしていない。

 沖縄には「代案を出せ」と言いながら自分たちは何も考えようともせず、選択の余地さえ与えない──。翁長知事が言うように、こんな民主主義を無視したやり方を許容しろというほうがどうかしているのだ。

 だが、こうした沖縄への危険の押し付けを、戦後の日本はずっと繰り返してきた。先日発売された『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(高橋哲哉/集英社新書)では、そのいびつな歴史が紐解かれている。

 遡ると、サンフランシスコ講和条約が発効された当時、〈「本土」と沖縄との基地面積の比率は九対一で、「本土」のほうが圧倒していた〉が、日本政府は積極的に沖縄に基地を集中させていった。しかも、沖縄が本土復帰した1972年から73年にかけて、アメリカ側が沖縄から海兵隊を撤退させる案が出されたときも、日本政府はそれに反対している。

 この事実は沖縄国際大学の野添文彬講師がオーストラリア外務省で発見した公文書に記されていたもので、これによると米軍国防省は“沖縄やハワイなどの海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴのキャンプに統合するほうが安上がりで効率的”と考え、沖縄の海兵隊は韓国に移設しようと検討していた。にもかかわらず、日本政府は「日本防衛のために、いつでも米軍が立ち上がるという意思の確証を与えるため、海兵隊の沖縄駐留が必要である」といって米軍に沖縄に留まることを求めた。〈米軍が沖縄から撤退しようとしているのに、日本がそれを引き留めていた〉のである。

 さらに、2012年には〈米国政府が在沖海兵隊約一五〇〇人を岩国基地に移転、常駐させることを日本政府に打診〉している。が、このときも日本政府は米国からの移転案を拒否。後に再打診されても再び拒否し、加えて〈岩国以外の日本国内への移転〉も拒否している。

 こうしてみると、アメリカ側には軍事的・地政学的に沖縄でなければいけないという理由は成り立たない。むしろ日本政府こそが沖縄の米軍駐留にこだわっているのだ。

 このように理不尽にも米軍基地を押し付けられてきた沖縄だが、大きく潮目が変わったのは1995年、米兵による少女暴行事件を契機に米軍基地の返還が叫ばれた。もちろん、当時の大田昌秀・沖縄県知事も「安保条約が重要ならば(基地を)全国民で負担すべきだ」と主張したが、しかしそんなときでさえ、「自らの苦しみをよその場所に移したくない」と言い、〈事実上「本土移転」を意味する主張を展開しながら、「沖縄のこころ」を理由に、それを具体的な政治要求にすることを自制〉した。そして、〈グアムやハワイ、もしくはアメリカ本国への国外移設を提唱した〉のだ。

 だが、そんなふうにいくら沖縄が「本土」のことを考えても、「本土」側は沖縄を利用するだけ。基地問題を“自分ごと”として考えず、少女が暴行されても、沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落しても、墜落事故を繰り返す危険機種・オスプレイが配備されても、「本土」はまったく関心を示さず、基地を沖縄に押し付けつづけてきた。そうした「本土」の無理解に絶望した結果、沖縄は“国内の県外移設”という要求を打ち出すようになったのだ。

 ここには、護憲か改憲か、あるいは保守かリベラルかといった政治思想はほとんど関係ない。沖縄の人びとは、ただただ「本土」のぞんざいな態度に怒っているのだ。そんな沖縄に向かって「代案を出せ」と要求するという行為は、いかに「本土」の人間が米軍基地によって沖縄が犠牲を強いられているのかをまったく考えていないことの証拠であると同時に、基地の必要性を謳いながら基地を引き受ける気はさらさらないという無責任さの証拠でもある。

 沖縄と、基地問題に当事者性をもとうとしない「本土」との断絶は、日々深まる一方だ。しかし、沖縄から「国内の県外移設」という声が上がるいま、もはや「本土」の人間にとって他人事ではない。本サイトとしては、普天間固定化も辺野古移設も、そして県外移設へも反対の姿勢をとっている。だが、“代案厨”のような基地への想像力ももたない人間が蔓延っているさまを見ると、「本土」に基地をどんどん移設して現実を突きつけるしか方法はないのか。そんなことを考えてしまうのである。
(水井多賀子)

最終更新:2015.06.24 12:05

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沖縄の米軍基地 ─「県外移設」を考える (集英社新書)

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