遺言は「国際結婚だけはするな」…『マッサン』が描かない日本の真実

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NHK連続テレビ小説『マッサン』(NHKオンラインより)


 物語が佳境に入ったNHK連続テレビ小説『マッサン』。途中には視聴率不調も心配されたが、年明けからは勢いを取り戻し、2月5日の放送では最高視聴率となる24.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。ついに余市で理想のウイスキーも完成し、ますます今後の展開が気になるところ。

 夢に邁進するマッサンと、そんなマッサンを実直に支えるエリー。苦労を分け合うふたりの姿はとても美しいもの。……が、じつは、本物のマッサンの遺言は「国際結婚だけはするな」だったというのをご存じだろうか。

 こう証言しているのは、マッサンの孫にあたる竹鶴孝太郎氏。ドラマのマッサンのモデルは、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝、エリーのモデルはその妻であるリタだが、「週刊ポスト」(小学館)14年12月19日号のインタビューで孝太郎氏は、知られざるふたりの素顔を語っている。

 そもそも孝太郎氏は、マッサンの姉が産んだ威氏の子どもであり、威氏はマッサンとリタの養子となっている(威氏は昨年末に逝去)。ドラマでは現在、エマを養女に迎えて仲むつまじく暮らしているが、エマのモデルであるリマは「養母が白人であることでいじめに遭ったらしく、20歳の頃に不仲になってしまったようです」(孝太郎氏)という。

 さらに孝太郎氏は、来週の放送(第20週)で描かれるリタ(エリー)の困難も語っている。

「町で祖母は人に唾を吐きかけられたり、子供に石を投げられたりしました。祖父に『この鼻がもう少し低ければ、髪の毛の色や目の色が黒かったら』と嘆いたそうです。祖父は自分が彼女を日本に連れてきたがために迫害を受けていることに、責任感と罪悪感を感じて苦しみました」

 リタが亡くなるのは1961年、64歳だった。リタが亡くなったその朝、マッサンは「『おばあちゃんが死んじゃった、おばあちゃんが死んじゃった』と、あたりをはばからずに大きな声で泣きわめきました」(孝太郎氏)という。マッサンがこの世を去るのは、それから18年が経った79年。孝太郎氏が最後の見舞いに訪れたとき、マッサンが口にしたのが冒頭で紹介した「お前は国際結婚だけはするなよ」という言葉だった。日本で余計な苦労をかけなければ、もっと長生きできたかもしれない──マッサンのこの言葉には、そんな後悔の気持ちがあったようだ。

 マッサンが死に際にあってそんな言葉を口にした背景には、きっと現在からは考えられないほどの差別意識が社会にあったからだろう。だが、マッサンとリタはまだ幸せな結婚生活が送れただけ幸せだったのかもしれない。

 というのも、マッサンとリタが結婚し、日本で暮らすようになったころから遡ること約20年前、国際結婚のためにアメリカから日本にやってきたある女性の記録は、想像以上に苦労の連続だからだ。その女性とは、「ミケランジェロの再来」ともいわれた世界的なアーティストであるイサム・ノグチの母、レオニーである。

 イサム・ノグチの軌跡を追ったノンフィクション『イサム・ノグチ 宿命の越境者(上)』(ドウス昌代/講談社文庫)から一部を紹介すると、レオニーが日本にやってきたのは1907(明治40)年。このときすでにイサムは2歳で、父親は詩人の野口米次郎だった。レオニーはアメリカで米次郎と出会い、米次郎の詩や小説の発表を手伝う間柄から恋愛に発展、結婚の誓約書も米次郎から送られていた。が、レオニーがイサムを身ごもり、出産する2カ月半前に米次郎は帰国。しかも、米次郎にはレオニーとは別に“本命”の女性がおり、婚約までしていた。結局、その女性にふられてしまった米次郎はレオニーに日本へくることをすすめるようになるのだが、それも父親としての責任からではなく、詩人として生きていくためにレオニーの手助けを必要としていたからだった。

 この時点で、恋愛の末に日本へふたりしてやってきたマッサンとリタとは大きく違うが、レオニーの苦難はさらにつづく。なんと、日本にきたのはいいものの、米次郎はすでに別の日本人女性と結婚していて、長女をもうけていたのだ。レオニーは個人教師などの職をもち、ほとんど休みもなく働きながらイサムを育てた。イサムはのちに「父親がいた生活というものは、まったく記憶にない」と回顧している。

 日本語も満足に話せない異国の女性が、当時の日本で“未婚の母”として暮らしていくことがいかに困難かは、想像に難くない。

〈レオニーは毎日の電車での通勤で、まだ見かけることがめずらしい「異国の女」として、好奇と猜疑のまなざしにさらされた。酒の勢いで野卑な言葉をかけてくる者もいた。レオニーはまた、家に帰れば父親の役割もこなさなくてはならない〉

 もちろん、そうした差別の目は、子どもだったイサムにも向けられた。彼はその経験を、「数々の癒えがたい心的外傷をうけた」と表現している。

〈「バカ」「ガイジン」と毎日、罵られた。アイノコなのが、ただの外人よりよくないとされた。なぜだかよくわからずに、でも自分だけが他の子供たちの世界に属せないのを意識させられた。差別されているとは思わなかった。差別という言葉を知らなかったので、差別されたと思わなかったにすぎない〉
〈日本人には外人を自分たちと同等の人間として受け入れない差別意識がある。日本人の血をもつ人間だけが日本人であり、その他の人間はすべて「外人」というわけだ〉

 アメリカにも日本人に対する差別がある。そこから逃れるためにレオニーはイサムを「日本人として育てたい」と考え、日本に渡った。だが、〈血を絶対とする日本という社会〉は、イサムを受け入れなかった。結果、イサムが13歳のときにレオニーは彼をアメリカへ帰すことになる。イサムは、こうも語っている。

〈ぼくは、母の想像力の落とし子なのかもしれない。母は自分が感動した日本美をぼくに伝えようとした。そのなかでも、ぼくが母からしっかりと受け継いだのが、日本庭園への憧憬である〉

 イサム・ノグチの作品を評するとき、必ずといっていいほど「日本古来の美意識」という言葉が登場する。たしかに彼の作品にはそうしたものに裏打ちされた美しさを感じさせるが、しかし、日本とアメリカというふたつの祖国に引き裂かれてきた彼の足跡を辿ると、複雑な思いにかられる。そして、彼が受けた差別は、はたしてこの国からなくなったのだろうか、とも。

『マッサン』ではこれまで、エリーが日本で出会いに恵まれ、いきいきと暮らすようすが描かれてきたが、ドラマにはなっていない苦労がきっとあったはずだ。来週の放送はそうした描写も出てくると思われるが、排他的な考えから生まれる差別がまだこの社会に根強く残っている、その現実についても、考える機会になることを祈りたい。
(田岡 尼)

最終更新:2017.12.13 09:25

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