ISの自爆テロと旧日本軍の特攻は違うのか? テロを「カミカゼ」と呼ぶ海外報道にネトウヨは激昂するが

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 そもそも、右派論壇の文脈では90年代半ばから、小林よしのりによる「ゴーマニズム宣言スペシャル戦争論シリーズ」(1995年〜)のヒットに象徴されるように、特攻隊員の「覚悟」や「精神性」を「公に奉じた」と評価することでナショナリズムを煽動しようとするムーヴメントがあった。また、2001年のアメリカ9.11テロ後には、右派論壇誌などで自爆テロとの違いについて論じることが盛り上がり、とりわけ2000年代中盤以降には積極的に特攻を賛美しようとする動きが活性化した。百田尚樹『永遠の0』(太田出版、2006年。のち講談社文庫)が2013年末に映画化され、大ヒットしたことは記憶にあたらしいが、当然のように本作の原作、映画版両方でも登場人物が「特攻とテロは違う」と激高する場面が見られる。

 まあ、『永遠の0』の話をすると長くなってしまうので、本サイトの過去記事に譲るが、近年では特に特攻隊を“日本古来の伝統的かつ尊い精神”として、よもや戦前・戦中日本に立ち戻れと言わんばかりの論が我が物顔で跋扈している。

 たとえば、安倍首相の“タカ派思想のブレーン”と呼ばれ、戦後70年談話の有識者会議にも名を連ねた中西輝政・京都大学名誉教授は、特攻について〈大和とともに「天下ニ恥ジザル最期」を迎えようとした乗組員たちの心情は、日本人が古代から連綿と受け継いできた「花と散る」の精神と間違いなく同一であり、彼らは一瞬に、大きく古代日本とつながっていた〉などとして、しまいには太平洋戦争を〈「民族の栄光」としての戦争〉などと言い切る(「正論」12年1月号/産経新聞出版)。

 また、佐伯啓思・京都大学大学院教授は〈特攻の根底に流れていたのは、「あきらめと覚悟」のような日本的精神であった〉=「無私の精神」と評価し、〈中学生か高校生の頃に、社会福祉の仕事や自衛隊の体験入隊などの経験を通して奉仕や国防の実際を知ることをやってもよい〉などと徴兵制的発想に結びつける(「SAPIO」15年2月号/小学館)。佐伯氏の持論が“民主主義の原則は国民皆兵”であることを考えると、特攻隊を都合よく援用しているようにしか思えない。

 さらに、文芸評論家の小川榮太郎氏にいたっては、自著で〈特攻作戦は、立案者にも志願者にも、静かな理性と諦念と勇気があるだけだった。作戦遂行の過程の全てが、狂的なものから最も遠かった〉〈(特攻は)死を活路にした究極の生〉〈作戦の全体を通じても、特攻は、無差別な拷問、強姦、殺戮という人間的狂気の、最も対極にあった〉などと書いている(『『永遠の0』と日本人』幻冬舎)。ようは、特攻隊員の精神性だけでなく特攻作戦自体までも“美しきもの”として論じているのだ。

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