「障害児を生んだ親は反省しろ」で炎上の医師も…広がる生の選別と障害者差別の思想

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

「障害をもつ人は、いないほうがよい」……このような考えには〈優生思想が深く関わっています〉と野崎氏は述べる。だが、ここで忘れてはいけないのは、「優生保護法」が運用された理由は「不良な子孫を産ませない」だけではない、ということ。そこには戦後の人口増加を減らしたい、福祉による経済負担を減らしたいという思惑もあったのだ。いわば、国家の経済的な都合を、「産んでいい子ども、産んではいけない子ども」という“命の選別”の問題にして広めたのである。

 そして、いま、新型出生前診断の導入によって、国家による〈直接的な管理〉から、〈個人やカップルが、障害をもつ胎児を「自発的」に中絶するように〉変わった。なかには、当事者に選択権が与えられるようになったのだからいいのでは?と思う人もいるかもしれないが、むしろ、いま浮き彫りとなっているのは、“当事者への責任の押しつけ”だ。

〈「新型」検査を利用するかどうかを、カップル、とくに妊婦の選択にゆだねることによって、つまり、「妊婦の自己決定」とすることによって、大半の責任を当人たちに押しつけているように思えるのです〉

 しかも、検査によって障害が認められ中絶を選択する人は、前述したように圧倒的な数字だ。なぜ中絶を選ぶのか、その理由を野崎氏はこう分析する。

〈(検査結果によって中絶を選ぶ人は)心のどこかで、障害をもっていることは、いのちの質が劣っていることだと思っているはずです。ここで言う「いのちの質」は、多くの場合、育児に要するコストに見合うだけの成果が見込めるかどうか、で決まっています。つまり、ここでは、より多くのコストをかけて育てなければいけない生は、資源を無駄遣いする劣った生であると捉えられているのです〉

 コストの問題ではなく、障害をもって生まれれば、その子が苦労するから産まないのだ──そう反論する人もいるだろう。だが、それでも野崎氏は〈しかしそれは、あまりに一面的な考え方ではないでしょうか〉という。

〈百歩譲って、障害をもつ人がこの社会で生きようとすれば苦労が絶えず、かわいそうなこと──私はそう思いません──だとしても、そうした見方は、今の社会はけっして変わりはしないという前提に立っています。そこまで障害者に苦労を強いて、かわいそうな存在にしてしまうこの社会とは、いったい何なのでしょうか。(中略)そこを問わないまま、妊婦やカップルによる「自発的」な選択の是非を論じても、問題の本質は何も変わりません。障害があるというだけで、障害者が犠牲の構造に巻きこまれていることこそが問われなければならないのであって、それこそが出生前診断に関する真の問題なのです〉

 選別される生などない。障害をもつことが“生きづらい”、その社会のあり方そのものが問題なのだ。しかし、一方で社会は、このような意見に耳を貸さない。〈現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません〉と野崎氏も言うように、排他的な〈閉じた社会〉化はよりいっそう進んでいる。

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

この記事に関する本・雑誌

「共倒れ」社会を超えて 生の無条件の肯定へ!

新着芸能・エンタメスキャンダルビジネス社会カルチャーくらし

「障害児を生んだ親は反省しろ」で炎上の医師も…広がる生の選別と障害者差別の思想のページです。LITERA政治マスコミジャーナリズムオピニオン社会問題芸能(エンタメ)スキャンダルカルチャーなど社会で話題のニュースを本や雑誌から掘り起こすサイトです。医療教育田岡 尼の記事ならリテラへ。

マガジン9

人気連載

アベを倒したい!

アベを倒したい!

室井佑月

ブラ弁は見た!

ブラ弁は見た!

ブラック企業被害対策弁護団

ニッポン抑圧と腐敗の現場

ニッポン抑圧と腐敗の現場

横田 一

メディア定点観測

メディア定点観測

編集部

ネット右翼の15年

ネット右翼の15年

野間易通

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

赤井 歪

政治からテレビを守れ!

政治からテレビを守れ!

水島宏明

「売れてる本」の取扱説明書

「売れてる本」の取扱説明書

武田砂鉄