ブラマヨからTBS局アナ・井上貴博までが叫ぶ「オミクロンたいしたことない」論! そのインチキ詐術とグロテスクな新自由主義思想

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『Nスタ』井上貴博キャスター(番組HPより)


 オミクロン株の影響で新型コロナの感染が急拡大し、17日の新規感染者数は全国で2万991人(NHK調べ)と3日連続で2万人を超えている。重症者数も急増しており、13日時点で200人を超え、17日時点で243人となっている。入院中や療養中の人数は16日時点で11万6869人。大阪や千葉、静岡ではオミクロン株の死者も確認されている。

 しかし、一方で、やたら聞こえてくるのは「オミクロンはたいしたことない」という声だ。

 オミクロン株は、従来株に比べ、感染力が強く、ワクチン接種の効果が薄い一方で、重症化のリスクは低くなっているという報告が示されている。以前から「コロナたいしたことない」と叫んで顰蹙を買っていた連中がこの「重症化のリスクが低い」という1点のみをとって、鬼の首を取ったようにまたぞろ「オミクロンのリスクは風邪と同じ」「感染者数が増えても重症者が少ないから問題ない」「検査は必要ない」「感染症法上の分類を2類から5類に引き下げるべき」などと叫んでいるのだ。

 たとえば、橋下徹氏、三浦瑠麗氏といった維新寄りの論客、ホリエモンこと堀江貴文氏、高橋洋一氏ら新自由主義者、木村盛世氏、宮沢孝幸氏といった感染リスク軽視派の専門家、ほんこん、ブラックマヨネーズ小杉&吉田といったネトウヨ芸人……。

  さらには、局アナにもトランピスト並みの「オミクロンたいしたことない」をがなりたてる人物が現れた。

『Nスタ』(TBS)の井上貴博キャスターだ。井上キャスターは以前から、「1400万人都市の東京で交通事故にあって、ケガをする人が1日に大体100人くらいです。様々な死因で亡くなる方は東京で1日300人ほどと発表されています。生きていく上での病気やリスクというのは新型コロナウイルスだけではありません。様々なものを総合して俯瞰して考えていただければと思います」と、感染症であるコロナと交通事故を同列に語るなど、コロナ矮小化の傾向はあったが、オミクロン株の登場でその盲信ぶりに拍車がかかっているのだ。

 何しろ、番組で楽観視は早いという専門家の警鐘やオミクロン株のリスクを示すフリップ、医療現場や感染者の悲痛な声を伝えるレポートが流されても、ほとんど無視。逆に「感染者数に意味はあるのか」「感染者数は増えているが、重症者数は増えていない」「オミクロン株は風邪やインフルエンザのような存在に近づきつつある」「風邪の致死率は0.1%」「行動制限に意味はない」とオミクロンのリスクを否定する暴論を吐き続けている。

 感染者が激増に転じてもその姿勢はまったく変わっていない。感染者が4000人を超えた1月14日には「他の疾患とのバランス、経済とのバランス、社会全体のバランス、日本は欧米のような共存スタイルを取ることができるのか、別の道なのか、どこを目指すのか、これこそ政治家の覚悟、発信、胆力というところが問われています」と語り、逆に為政者に対して経済を優先し命の犠牲にする覚悟を持てと迫る始末だった。

感染爆発の事実を無視し「コロナたいしたことない」と2年間叫び続けてきた連中のインチキぶり

 まったく呆れる他はない。そもそも「オミクロン株はたいしたことない」と言っている連中のほとんどは、2年前のコロナ初期から感染拡大の波が起きるたびに「コロナはインフルや風邪と変わらない」「コロナよりインフルエンザのほうが死者が多い」「○月頃には自然とピークアウトする」「△月には集団免疫が獲得され収束する」などと繰り返し喧伝してきた。ところが、結果は周知のとおり。彼らの楽観論とはまったく逆に、何度も感染爆発が起き、医療は逼迫し、多数の犠牲者が出た。

 だが、彼らは自分たちの認識不足を恥じることはまったくなく、「医師会ガー」「保健所ガー」「2類ガー」などと責任転嫁しては、次の感染の波が来ると、また同じように「コロナたいしたことない」「経済を回せ」と繰り返してきた。

 連中は自分たちこそが「冷静」で「科学的」であり、感染対策に気を使ったり呼びかける者を「感情的」「無知」かのように語っているが、実際は彼らの主張のほうがはるかに現実や科学を無視した妄言だったのである。

 それは、今回のオミクロンをめぐる言説も同様だ。連中の主張がいかにインチキで科学的根拠を欠いているものなのか、ひとつずつ反論していこう。

 まず彼らはそろって重症者や死者が少ないことを強調して、「感染者数に意味はない、重症者数や死者数に注目すべき」と言う。

 しかし、そもそもコロナは感染してすぐに重症化、死亡する病気ではない。初期に重症者・死者が少なくても、その後、感染が拡大すれば、少し遅れて必ず重症者・死亡者が増えていく。重症者増加を早めに察知するためにも、新規感染者数は重要な指標であり、それを無視しろ、というのは危険極まりない。

 連中は「オミクロンは重症化リスクが低い」から、感染がいくら拡大しても大丈夫だというが、それこそ何を言っているのか、という話だ。

 重症比率がいくら低くても、感染者数という母数が増えれば重症者数という絶対数は増えるのは、小学生でもわかる話。仮に感染力が10分の1になったとしても、10倍感染者が出れば重症者数は従来と同等になる。オミクロン株の感染力はデルタ株の3倍とみられており、とすれば、仮に重症化率が3分の1になっていたとしても、重症者数は同程度になる。感染者数がそれ以上に増えれば、重症者が従来株以上に多くなる可能性もある。しかも、そうなったときには必然的に、軽症や中等症はさらにたくさんいることになる。これまで以上の医療逼迫、医療崩壊が起きるリスクだって十分にあるのだ。

 オミクロン株が最初に発見された南アフリカでは死者数が抑えられていると12月末に報告されていたが、それでも1月6日に551人の死者が出ており、それ以降もほぼ連日100人以上の死者が報告されている。

 アメリカでも、1月に入って、3日と10日の新規感染者数が100万人を超え過去最多を更新しただけでなく、少し遅れて増加傾向に入った入院患者数も過去最多を更新、1日あたりの死者数も14日には3000人を超えた。これは昨年9月のデルタ株のピーク時に迫る数字だ。オミクロン株のピークアウトが伝えられるイギリスでも、やはり入院患者数や死者数は増加している。

 ところが、連中はこうした都合の悪い事実を一切無視、重症者がまだ少ない現在の日本のデータだけを切り取って「死者、重症者が少ないのだから、感染者がいくら多くても問題ない」と主張するのだ。

 あげく、このままコロナそのものが収束するかのような楽観論まで垂れ流し始めている。「ウイルスの感染力が高まると、弱毒化して、収束に向かう」というのだが、これも通説に過ぎない。

 実際、「変異株は感染力が高くなるが、弱毒化する」というのはコロナ初期からいわれていたが、昨年のデルタ株は感染力も重症化リスクも上がっており、今後の変異も弱毒化の方向に向かうとは言い切れないだろう。

5類引き下げ論の背景にある新自由主義思想、感染症まで自己責任扱いする暴論

 こうしてみると、巷に流れている「オミクロンなんて問題ない」「コロナは間もなく収束する兆し」という言説がコロナを過小評価するために必死で事実を切り取り、恣意的に解釈したものにすぎないことがよくわかるだろう。しかも、このバイアスに満ちた楽観論にたって、彼らががなりたてているのが、以前から定番の「コロナの感染症法上の扱いを2類相当からインフルエンザ並みの5類相当に引き下げるべき」という主張だ。

「5類に引き下げれば、保健所崩壊やコロナ受け入れ病院の医療逼迫が一気に解消」というのだが、感染力の強いオミクロン株が猛威をふるっている現状でそんなことをすれば、結果が逆になるのは目に見えている。

 入院勧告や就業制限もできず、感染をまったく制御できなくなり、さらに感染者が増えていくだけ。そうなると医療崩壊だけでなく、社会生活そのものが崩壊の危機に瀕することになる。実際、ニューヨークでは、エッセンシャルワーカーの感染が増えたため地下鉄を減便したり、店舗が休業せざるを得ない状態に追い込まれている。

 しかも、5類に引き下げるということは、検査や治療費が自己負担になるということだ。そうすれば、検査控えが増え、金銭的に余裕のない人は悪化するまで受診が遅れ、重症者も増えていく。

「コロナたいしたことない」派の連中は、「2類は入院勧告の対象で軽症・無症状でも入院措置となり医療機関に負担がかかっている」と、まるで無症状や軽症者が入院して医療を逼迫させているかのように言うのだが、周知のとおり、2類相当の現在も、第1波の段階から軽症・無症状者は必ず入院措置がとられているわけではない。これまで感染拡大期に繰り返されてきたのは、むしろ症状があっても入院できないという事態のほうだ。オミクロン株の感染者は当初全員入院・個室隔離としていたが、その方針もすでに4日には「自治体の判断で症状に応じて宿泊・自宅療養を活用する」と変更されている。

 だいたいコロナを2類相当に指定することで問題が出てきているなら、その問題点の改善策を具体的に議論すればいいだけの話。ところが、「たいしたことない」派の連中は、なぜか5類引き下げをわめくだけで、そこは改善しようとはしない。

 たとえば、橋下徹氏らは「保健所の負担を減らすため」という名目で5類引き下げを主張している。2類だと、保健所が入院の可否を判断しなければいけなくなるため保健所が逼迫する、5類にして入院は個々の病院や医師の判断に委ねるべき、というのが彼らの論理だが、個々の病院が入院を判断することになれば、金持ちやコネのある者の入院が優先される石原伸晃のようなケースが頻発しかねない。

 しかし、保健所が逼迫しているというなら、そんなことよりもまず、保健所の人員を増強し、体制を整備するのが先決だろう。ところが、橋下氏らは「保健所のため」と言いながら、そうした保健所の体制を増強させるという議論は絶対に口にしないのだ。

 もともと、橋下氏は強硬な福祉サービス削減論者で、大阪の保健所の人員を削減してコロナに対応できなくしてしまった張本人。5類引き下げを主張しているのも、保健所の負担を軽減するためでなく、逆に保健所の人員を増やしたくない、保健行政を充実させたくないからではないのか、と考えたくなる。

 実際、この5類引き下げを主張している顔ぶれを見ると、その背景に新自由主義思想があるのは明らかだ。自己責任・弱肉強食を理想とする連中は、社会的対策が必要な感染症にまで、その自己責任思想を持ち込もうとしているのだ。

「オミクロン株は自然にピークアウト」「行動制限に意味はない」は大嘘

 しかも、「コロナたいしたことない」を主張する人たちは自分たちの主張を正当化するために、明らかなデマを振りまいている。

 たとえば、彼らは行動制限に意味はないと主張し、会食の人数制限やまん延防止等重点措置・緊急事態宣言などによる行動制限の効果を否定。南アフリカや欧米も行動制限などせず、オミクロン株の感染が自然にピークアウトしているかのような言説を振りまいているが、これは完全なデタラメだ。

 たしかに、南アフリカも欧米各国も一昨年のコロナ初期のロックダウンのような強い措置はとっていないが、何らかの行動制限は行なっている。オミクロン株流行に際しても、日本におけるまん延防止等重点措置や緊急事態宣言と同程度かそれ以上の措置をとっている。

 たとえば南アフリカは、公共の場でのマスク着用義務、多人数の集まりの人数制限、さらに酒類の販売規制、夜間外出禁止などの措置をとっていた。

 また欧米は、そもそも大前提として日本と違ってワクチンのブースター接種が進んでいるというアドバンテージがあるが、それでも各国は一定の行動制限を課している。

 イギリスは、昨年11月末に、入国制限とともに、「オミクロン株の感染者と接触した者はワクチン接種済みでも自主隔離」「店舗や公共交通機関でのマスク着用義務化」といった行動制限強化策を打ち出していた。もちろんブースター接種はそれ以前から加速させていた。

 ドイツでは11月下旬、一旦有料化していた検査を再び無料化、クリスマスマーケット中止、職場や公共交通機関でのワクチン接種証明・陰性証明の義務化など、行動制限を強化。フランスでも、マスク着用の義務化や屋内施設・公共交通機関での3回目の追加接種証明の提示を義務付け。しかも途中からは陰性証明は不可というかなり強い措置をとっている。

 またアメリカでも、たしかにニューヨークやロサンゼルス、シカゴなど全米各州や各市の当局は経済活動を制限しない方針を打ち出しているが、マスク着用やワクチン接種の義務化などの措置はとっている。

 しかもニューヨーク・ブルックリンでは、3000人を招いての市長就任式がキャンセルとなり、ロックフェラーセンターのミュージックホールでのクリスマスショーやブロードウェーでの公演など中止が相次ぎ、ニューヨークだけでなく、シカゴ、ヒューストン、アトランタなどでも、多数のレストランや劇場などが営業を停止している。こうした制限は、政府や自治体の指示ではないが、しかし従業員の感染が増え営業が不可能になったケースや、この状況下での営業は感染拡大を助長するとの懸念から事業者が自主的に休業・閉鎖、いわば“自粛”したケースも多々あるという。

 何より、アメリカはワクチン接種の義務化という私権侵害にも抵触しかねない強い措置を打ち出している。

 こうした各国の行動制限やワクチン接種の実質義務化といった措置には、各地で抗議デモが行われるなどの反発も起きている。にもかかわらず、欧米はもう行動制限を行なわず自由に活動しているかのように言い募るとは、デタラメにもほどがあるだろう。

たいしたことない派が叫ぶ「欧米はコロナ死者を社会的に許容している」論のデタラメ

 さらに呆れるのは、そのデタラメに基づいて、連中の多くが「欧米はコロナとの共存の道を選んでいる=ある程度死者が出ることを社会が許容・合意している」などといった論を展開していることだ。

 アメリカでは、すでにコロナによる死者は第二次世界大戦やベトナム戦争の死者を上回り、平均寿命が2歳近く下がるほどの悲惨な事態になっているのをはじめ、ヨーロッパでも日本以上に死者の出ている国は多数ある。しかし、それは対策がうまくいかなかった結果であって、大多数の市民がその状況を許容しているわけではないし、ましてや、「先のない老人は死んでも仕方ない」「治療費を賄えない貧乏人は死んでも仕方ない」などという社会的合意が存在しているわけでもない。

 欧米でも犠牲者が多数出た国は、必ず行政のトップが責任を追及され支持率を急落させている。世界1位と2位の死者数を出しているのはアメリカとブラジルだったが、アメリカのトランプ大統領は昨年に落選、ブラジルのボルソナロ大統領も今年秋の選挙では落選確実と見られている。

  にもかかわらず、「コロナたいしたことない」派の連中は人々の怒りを無視して、「欧米では死者を社会が許容している」などとほざくのだ。

 そういう意味では、いま巷に流れている「オミクロンたいしたことない」論はまさに、新自由主義者の思想が凝縮したものと言っていいだろう。
 
感染症というのは、単に個人の健康や命が危機にさらされるだけでなく、社会のあり方や公共性が問われる。しかし、「社会」も「公共」への視点が欠落した新自由主義者は「感染リスク」が理解できず、がんや交通事故などとの差がわからない。

 それが感染症であっても、頭の中にあるのは、医療や福祉に税金を使わせない、国民一人ひとりの自己責任に押し付けるという発想だけ。その歪んだグロテスクな思想の行き着いた先が、「コロナたいしたことない」「オミクロンが感染拡大しても何の問題もない」論なのである。

 しかも大問題なのは、こんな拝金主義・弱肉強食主義の連中の声がデカいために、日本ではコロナが確認されてからもう2年も経とうとしているのに、検査体制も保健所の体制も、医療体制も、十分に増強できていないままでいることだ。

 そして、いま、オミクロン株でもまた同じことが繰り返されようとしている。

最終更新:2022.01.18 01:16

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