『百田尚樹『殉愛』の真実』の宝島社が今度は『日本国紀』の検証本を出版! 保守派の歴史学者・秦郁彦が百田の詐術を

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

秦郁彦が百田尚樹「『南京大虐殺』はなかった」の嘘とトリックを一刀両断

 百田センセイは『日本国紀』のなかで、5ページも紙幅を割いて〈客観的に見れば、「『南京大虐殺』はなかった」と考えるのがきわめて自然である〉と書いている。

 一応、紹介しておくが、『日本国紀』のロジックは、民間人を便衣兵(扮装した兵士)と間違えて殺したかかもしれないが〈こうしたことが起こるのが戦争である〉と正当化したり、〈占領される直前の南京市民は二十万人である〉が〈日本軍が占領した一カ月後に南京市民が二十五万人に増えている〉から虐殺されたわけがないとか、南京事件を最初に伝えたオーストラリア人記者・ティンパーリは〈実は月千ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明している〉からでっちあげだ、というようなものだ。

 しかし、著書『南京事件 「虐殺」の構造』(中公新書)において史料や証言から「南京事件による被害者は約4万人」と結論づけた秦氏は、百田センセイの「大虐殺はなかった」論を〈昔から「幻派」や「なかった派」が駆使する定石の手法で、特に新しい解釈や主張はありません〉と否定的に一刀両断する。たとえば「便衣兵誤認説」に関してはこうだ。

〈南京事件でもっとも大規模な不法殺害行為のひとつとされるのが、金沢の歩兵第7連帯による約7000人の掃討作戦で、これは戦闘詳報(戦時中の公式報告書)に戦果として記録されています。〉
〈厳密に言えば、しかるべき手続きを経ていない便衣兵の殺害は、国際法では認められていません。先ほどの掃討作戦は「便衣兵の狩り出し」だったわけですが、民間人か、便衣兵かの判別はかなりいい加減なもので、捕虜収容所が用意されているでもなく、軍律会議にかけられることもなく殺害されました。当時の部隊の指揮官は「作戦行動として動いているわけだから、やましいことはしていない」という感覚で、多数の民間人が便衣兵とともに揚子江岸で銃殺されたことは間違いありません。〉(『日本国紀の真実』より、以下同)

「南京人口増加説」についても、秦氏は〈定番のロジックで、あまり詳しくない人を信じさせるのに有効なトリック〉として、その欺瞞をこう解説している。

〈当時の南京の難民区(安全区)は、南京城のなかの8分の1の面積でした。〔引用者注:「なかった派」は〕それを全南京の人口と錯覚させるんです。南京の住民はすべてこの区域に集まっていて、他は空っぽ、無人だったというんです。〉
〈南京市の人口調査については、1年前の1936年(昭和11)の時点で約100万人(南京市政府行政統計報告)という数字があります。この間の人間の出入りは激しくて、正確な数字は算定できないのです。〉
〈では結局南京市に何人いたのかと聞かれれば、正確には分からない。ただ言えるのは、常識的に考えれば20万人以外の市民がなかったとは考えにくいということですね。『日本国紀』にはこうした一般の人が飛びつきやすいトリックが多く含まれています。〉

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

新着芸能・エンタメスキャンダルビジネス社会カルチャーくらし

『百田尚樹『殉愛』の真実』の宝島社が今度は『日本国紀』の検証本を出版! 保守派の歴史学者・秦郁彦が百田の詐術をのページです。LITERA政治マスコミジャーナリズムオピニオン社会問題芸能(エンタメ)スキャンダルカルチャーなど社会で話題のニュースを本や雑誌から掘り起こすサイトです。宝島社日本国紀百田尚樹秦郁彦編集部の記事ならリテラへ。

マガジン9

人気連載

アベを倒したい!

アベを倒したい!

室井佑月

ブラ弁は見た!

ブラ弁は見た!

ブラック企業被害対策弁護団

ニッポン抑圧と腐敗の現場

ニッポン抑圧と腐敗の現場

横田 一

メディア定点観測

メディア定点観測

編集部

ネット右翼の15年

ネット右翼の15年

野間易通

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

左巻き書店の「いまこそ左翼入門」

赤井 歪

政治からテレビを守れ!

政治からテレビを守れ!

水島宏明

「売れてる本」の取扱説明書

「売れてる本」の取扱説明書

武田砂鉄