次男がボクサーデビュー! 辰吉丈一郎は家事や子育てに積極的な“フェミ夫”だった!

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強面な外見とは裏腹に、フェミ夫ぶりを発揮する辰吉丈一郎(画像は『丈 辰吉丈一郎の軌跡』(梁川剛/ネコ・パブリッシング)より)

 伝説のボクサー・辰吉丈一郎の次男・寿以輝(18歳)が鮮烈のデビューを飾った。4月16日に大阪府立体育館で行われたデビュー戦では2R2分45秒で見事KO勝ちを収めたのだ。寿以輝の姿に、父・丈一郎の最強時代を投影し、興奮した人も多かったのではないか。

 なにしろ父・辰吉丈一郎は凄いボクサー“だった”。17歳だった1987年に全日本社会人選手権バンタム級で優勝し、以降アマチュア通算成績19戦18勝を収め89年のプロデビュー。同年9月11日にはKO勝ちで日本バンタム級王座を獲得、91年には国内最短記録でWBC世界バンタム級王者と駆け上がったのだ。

 貧困な父子家庭で育った悪ガキから一躍スターに駆け上がった丈一郎のファイティングスタイル、そして生き様もまた人々を魅了した。両腕をダラリと垂らすノーガード戦法、ビッグマウスで相手を挑発しながらも負けた相手にエールを送る律儀さ。網膜剥離を患うなど何度も引退を勧告されながら、それを拒否しあくまで現役にこだわり続けた。世界王座から陥落しても、その雪辱をバネに再び王座への挑戦を続けた。

「無責任に文句いうヤツには『なら、自分らやってみぃ』と言いたい」
「次に生まれ変わったらこうしたいとか言う人おるけど、次はないよ」

 独特の言い回しで、時には説教臭い語録も、また人々の記憶に残った。なんとも憎めないヤンチャ坊主、それが丈一郎だった。

 そして、丈一郎は44歳になった現在でも“現役”だ。2009年バンコクでタイ国内ランキング1位のサーカイ・ジョッキージムにTKO負けを喫して以降、試合は行われていないものの、しかし丈一郎は現在でも現役だと言い張りトレーニングも欠かさない。

 そんな丈一郎だが、実は家庭では意外な顔をもっていた。それが書かれているのが丈一郎の妻・辰吉るみの著書『辰吉家 天下無敵の子育て』(ネコ・パブリッシング)。そこには長男・寿希也と次男・寿以輝の子育て記録とともに、ファミリーの日常が描かれているのだが、この辰吉家、かなり風変わりな家庭なのだ。

 そもそも、辰吉家の家事や育児を一手に担っていたのは、父親であり現役のプロボクサーでもある丈一郎だった。

「辰吉家では、家庭を仕切るのは旦那です。料理や洗濯など家事を率先してやる旦那は私が手伝わなくても文句一つ言いません」

 丈一郎は1歳になるかならないかで母親と別れ、その後は父・粂二と二人きりの父子家庭に育っている。アイロン掛けのパートで生計を立てていた粂二は、無口でいじめられっこだった丈一郎にボクシングの手ほどきをし、生き方を伝授するなど丈一郎に多大な影響を与えた父親だった。

「自分を信じなあかん」「ビリでもいいから、とことん一番になってみろ」

 そんな教えを丈一郎に与える父だったが、父の姿を見て育った丈一郎は自然と家事を手伝うようになっていたようだ。

「小学校高学年の時にはすでに洗濯から料理まで家事全般をすべて自分でこなしていたという旦那。けれども粂二父ちゃんがそういうふうにしつけていたというわけではないようです。
『父親がやっていることを自分もできるようになりたと思うのは当然や。小学校の頃は、周りにいる同級生を見ても、料理が得意だったのはワシくらいやったからな。まっ、それもまたかっこええことやと思っていたから』」

 ボクシングだけでなく家事全般が得意という丈一郎。そして子育てに関しても妻にこう言ったという。

「ワシは練習があるから子どもが学校から帰ってきた時に、“おかえりなさい”が言えない。だから、おまえがそれを必ずやってくれ。それだけしてくれたら、あとはワシがごはんを作るし洗濯もする。おまえは何もしなくてもいいから」

 プロボクサーとして世界王座にまでのぼりつめた有名アスリートでありながら、妻にこんなことを言える男性など、世界を探しても稀だろう。なんとも素敵でフェミ心溢れる丈一郎だが、丈一郎にとってはそれが当然で、練習後の気分転換というから、なおさら素敵だ。

 子育てにしてもミルクを飲ませ、オシメを替え、そしてお泊まり保育では禁止されているのに幼稚園に見学に行ってしまう。また次男の寿以輝は小学校1年生頃まで時々おねしょもしたというが、その布団シーツを洗うのももちろん丈一郎の役割だった。

 そして時にイライラしている妻に対しては「カルシウム不足や」と笑い飛ばし、妻の気分転換に、と喜んで東京へ2泊の旅行に送り出す。

 しかも、その子育ては単に甘やかしているわけではない。そのひとつが辰吉家の成人は16歳だという“家訓”だ。

「旦那はあちこちで、『成人式はふつう20歳やけど、うちは16や』と触れ回っているようです。頭の中には息子をいい大学やいい会社にいれようといった考えはまったくありません。
 あと4年で中学を卒業する寿希也には、『父ちゃん母ちゃんが面倒みるのは中学卒業までやで。中学卒業したら自分で働けよ』といった調子で話しています」

 そんな父親に11歳の長男・寿希也も「父ちゃん、俺、16になったら家を出て、ボクシングで世界チャンピオンになるでぇ」と答えていたというから、丈一郎の子育てはある意味成功だったのだろう。そして食べ物の好き嫌いも許さず、きっちりしつける。幼い頃トマトが苦手だった寿希也を決して許さない父。「食べるまで許さん」と何時間でも食べ終えるのを待ち続けたという。さらにそのしつけは意外にもかなり細かいらしい。

「家にいる旦那を一言で表現するならば、ここだけの話、まるでヒステリーババアのようです(略)。まず旦那には資源の無駄使いが許せません。ティッシュペーパーを箱から1枚とったら、鼻を1回かんだくらいじゃ捨てません。3回も4回も鼻をかんだり、テーブルの汚れをふいたりします。子どもたちが小さい頃は、旦那と毎日いっしょにお風呂に入っていました。『シャワーを流しっぱなしにするな』『シャンプーを使いすぎるな』など、お風呂場でも細かく注意します」

 そして悪いことをすればとことん説教する。こうした子育てを実践する丈一郎だが、しかし兄弟の個性の差はこの頃から顕著だったことがわかる。

「寿希也は小さな頃からたくさんの大人と接していたせいか、あるいは辰吉の子どもということでたくさんのメディアに露出されたせいか、気持ちを人に悟られるのを嫌がるところがあります。自分の弱みをさらけ出すことがなかなかできません。少し、自意識過剰なところがあります。(略)一方寿以輝は、何も気にしない、どう見られようが知ったこっちゃない、「俺は俺さ」と楽しそうに生きています」

 繊細で気持ちのやさしい兄と、頑固で負けず嫌いでヤンチャな弟。夫婦喧嘩が始まると、必死に仲裁に入る兄と、好きなテレビから目を離さない我が道系の弟。母親から見ても、丈一郎と似ているのは弟の方だったようだ。

「上の子 寿希也は私に似ています。下の子 寿以輝は旦那に似ています。特に寿以輝は旦那にそっくりそのまま。物怖じしない図太い神経、言い出したら聞かないしつこさ、要領が悪く一途なところ、目や口など顔の作りかたまでそっくりです」

 02年のセーン・ソー・プルンチットとの復帰戦で丈一郎が勝利を収めた際、うれしさのあまり泣いていた兄に対し、弟はというと「俺が闘ったんや」とばかりにリングで堂々と立っていたというからその性格の差は歴然だろう。

 2人の兄弟は共にプロボクサーを目指し、そして弟はプロボクサーとなった。現在は会社に勤務する兄も、弟のデビュー戦を両親とともにリングサイドで見守った。そんな寿以輝の試合後、丈一郎は取材に「まだ1試合。なんもわからんよ」と言いながらこう続けている。

「これからやろ、大変なんは。でもアマ経験なしのデビュー戦だったことを考えたら、よくやったんちゃうか。相手の岩谷選手もいい戦いをした。勝たせてもらったけど、相手にも頑張って欲しい。やっぱり自分の子やから、緊張の度合いがちゃうよ」

 しかし、今回の試合は“イクメン”辰吉丈一郎の一区切りでもあったのではいか。プロボクサー・寿以輝の将来はもちろんだが、辰吉丈一郎のこれからが楽しみになってきた。
(林グンマ)

最終更新:2015.05.07 09:38

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