小藪の『美魔女批判』は本当に正論か? 35歳以上の女は着飾っちゃいけないのか?

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吉本興業株式会社公式HP 芸人プロフィールより


 歯に衣着せぬ物言いで世間が言いにくいことをズバッと言い当て、先輩芸人にも臆することなく皮肉をとばす芸風で、お笑い界の「ご意見番」的ポジションを固めつつある小藪千豊。その小藪の美魔女批判が大きな話題を呼んでいる。

「美魔女」とは、雑誌「美STORY(現「美ST」)」(光文社)が提案する、「35歳以上の才色兼備」な女性のこと。「魔法を使ったように若く美しい」中年以降の子どもを持つ女性を指すことが多い。2010年からは毎年「美魔女コンテスト」なるものも開催され、広く認知されるようになった。このブームを「いい年こいた美魔女をチヤホヤする国に未来はない」と一蹴し、事あるごとに「美魔女批判」の音頭を取っているのが小藪なのだ。

「少ない給料の中でやりくりして子育てしてる若いお母さんは、メイクもできんし、エステにも通えず、服買うこともなかなかできん。なのに、自分より年いったオバハンがキレイにしてイキってるのを見たら、ストレスがたまる一方でかわいそう」
「いろんなことを我慢して子どもを育て上げたオバハンを見て、男が「女はエライな」と思う、そんなオバハンを賛辞する方向に持っていかなアカンとつくづく思う。「美魔女=絶対の正義」みたいな風潮が強まりすぎて、普通のオバハンが「私らアカンのかな」となったらどうなるか」
「キレイなだけで褒めるのは、もうヤメにした方がええんちゃうかな。それがひいては日本のためになるということにそろそろ気づくべき。女の人が美だの恋だのに脳の過半数を奪われている国家というのは未来がないと思います」(「SAPIO」小学館/2015年4月号)

 まあ、たしかにあの小藪の言いそうな主張ではある。小藪はこれまでも地道に生きる人の味方のようなポーズをとって、浮ついた若者や流行に説教をたれてきた。

「夢は絶対に叶わへん」
「やりたくないことをやるのが社会や」
「芸能人だから撮られても仕方ない? そうしたら、きれいな女の人の乳、触ってもええんか、という話ですよ」
「だいたいそんな事を決める所にいる女性は専業主婦ちゃうからね 専業主婦の意見は表に出んよ 働く女性の意見のみが横行」

 これらの説教は一見、正論に見えるが、実は地位や力のない者に向かって文句を言うな、黙って今のシステムに従え、と言っているだけ。既得権益者が新規参入者を排除するときに用いるレトリックとなんら変わりがない。

 しかし、今回の美魔女批判はやけに評判がいい。年齢性別を越えた幅広い層から、「よくぞ言ってくれた!」「小藪は嫌いだけど、正論!」などと快哉の声を集めている。

 なぜ、美魔女批判がこれほど喝采を浴びているのか。むしろ、今回の主張こそ小藪の保守性、ズルさがよく出ている気がするのだが……。

 たとえば、小藪は「キレイなだけで褒めるのは、もうヤメにした方がええ」と、外見至上主義に警鐘を鳴らすポーズをとっているが、これは明らかにまやかしだ。

 だって、外見至上主義に走っているのは何も美魔女だけじゃない。若い女性を美醜で優劣つけるミスコンはいまだにもてはやされているし、「美しすぎる議員」に「美しすぎるアスリート」「美しすぎる弁護士」……と若い女性のルックスにフォーカスする傾向はむしろ強まっている。

 ところが、小藪と彼の支持者の批判は絶対にそこには向かわず、「美魔女」のことだけをあげつらうのだ。「若い」女性には男の需要にあわせた見た目を求めながら、35才以上の「年いった」女性には「美」を追い求めることから降りろ、と迫る典型的なダブルスタンダード。

 つまるところ、いい年こいた母親がいつまでも「美」を追い求めるなんてみっともない! 結婚して子どもを産んだら美容やオシャレなどにかまけず、家事・育児に身を粉にするのが女の美徳、ということだろう。

 実際、賛同理由で多く見受けられるのが「美魔女ばかり認められるのはおかしい! 普通のオカンが、家族第一でこなす家事・育児の仕事は立派で尊い! もっと認められるべき!」というもの。ここで「普通」が強調されるのは、メディアで取りざたされている「美魔女コンテスト」の受賞者が、経済的に恵まれている富裕層や、モデルやレースクイーンなど芸能界で活躍していた女性が多いことにある。美魔女は「特権階級」の母親たちであり、多数の「普通の母親」たちよりも優遇された条件だからこそできるのが「美魔女ライフ」、ということなのだろう。

 しかし、「普通の母親」の「認められていなさ」の出どころは美魔女のせいなのだろうか。「美魔女」と「普通の母親」の関係は、両者を天秤にかけて、一方の価値が上がれば一方の価値が損なわれる、という類のものでもないはずだ。美魔女が出現したのは、たかだか、ここ5年の話。それ以前、「普通の母親」はもっと認められていて、美魔女の出現によって、普通の母親の価値が下がったというわけではないだろう。

 内閣府が2013年、家事・育児の労働を貨幣価値に換算したところ、専業主婦は年間約304万円、兼業主婦でも223万円、対して男性は51万円という結果が出た。「見えない労働」である家事・育児は経歴やスキルとして認められず、法的にも経済的にも、補償や権利が与えられない。このことは、1960年代から指摘され続けていることだ。それから半世紀近く、相変わらずの現在――小藪の美魔女批判は、母親たちが担う見えない労働を、「せめて賞賛して欲しい」という悲痛にも近い不満に共鳴したように見える。ここが、小藪の美魔女批判の巧妙さ。一見、多くの普通の主婦や母親たちの味方をしているようで、彼女たちの不満の矛先を美魔女に向けることで、こっそり問題をすり替えてしまうのだ。

 「美魔女vs普通の主婦」のような、いわゆる“女の敵は女”の対立構図の背景には、いつも男社会の論理が隠されている。

 小藪の主張を受けてワラワラと湧き出た、「家事・育児は尊い! おろそかにするなんてけしからん!」と大合唱する男性たちには、それならば、女性ばかりに押し付けるのではなく男性がもっと積極的に関わればいいと言いたい。

 小藪の美魔女批判で声高に叫ばれる「家事・育児こそ一番尊い!」という論調は、美魔女をこき下ろすことで普通の主婦の味方を装っているが、結局は家事・育児を女性だけに押しつけるための男社会の方便にすぎない。

 そこには、母親たちが美容やオシャレに夢中になって、家事・育児がおろそかになったら「困る」、という男性目線のご都合主義が垣間見える。実際、小藪の美魔女批判では、ことごとく家事・育児は女性がやることが前提となっているのだ。

 結局、小藪の美魔女批判というものは、「母親たるもの家族を優先して自分を犠牲にすべし」という昔ながらのガンコ保守オヤジにありきたりの良妻賢母像の押し付けと、そこからはみ出たものへの排他でしかない。今回の美魔女批判を是とする論調は、「母親はこうあるべき」という生き方の規定と、それにそぐわない母親へのバッシングをOKとして、結果的に普通の母親たちを追い詰めるムードに繫がるだろう。

 今回たまたま「美魔女」には当てはまらなかった母親も、「ベビーカーで電車に乗るな」とか、「学校の持参弁当は手づくりでないと」、などなど、今後どういうカタチで湧き上がるかわからないバッシングがひとたび自分に当てはまれば、はみ出た母親として集中砲火を浴びかねない。

「美」でも、はたまた家事や育児でも、何に価値を置くかは人それぞれ。「母親としてこうあるべき」などと生き方の部分を他人が説くのは、おせっかいもはなはだしい。昨今ブームの「毒舌芸人」の一人として着実に地位を築いている小藪だが、みんなが言いづらかった本音を露悪的にぶちまけるだけというのでは、あまりにも芸がない。毒舌芸は、自分より弱く叩きやすいものを追い詰めることではないはずだ。
(藤マミ)

最終更新:2017.03.02 12:39

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