川島なお美と渡辺淳一の密会をスクープ、「噂の真相」岡留編集長が語る女優・川島なお美の美学と肝っ玉

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川島なお美オフィシャルブログ「『なおはん』のほっこり日和」より


 9月24日、女優の川島なお美が胆管ガンのため逝去した。その直前まで激やせした姿で表舞台に立ち、「激やせとか言われている場合じゃない」と仕事への意欲を語るなど最後まで女優としてまっとうしたその姿と生き様に、ワイドショーはじめ多くのメディアが川島の死を悼み、その訃報を大きく取り上げた。

 だが川島という女優を語る上で、大きな分岐点となったある出来事に触れるメディアは少ない。それが昨年逝去したベストセラー作家・渡辺淳一との関係だ。

 女子大生DJとして芸能界入りし女優に転身した川島だが、長らく不遇時代にあった。その後へアヌード写真集の出版や映画『極道の妻たち』への出演など徐々に女優としての地位を確立していくのだが、それを決定的なものにしたのが1997年に放映されたドラマ『失楽園』(日本テレビ系)に主演女優として抜擢されたことだった。

 そしてこの直前、川島は、『失楽園』の原作者でもある渡辺と“不倫密会”を報道されている。だがそれは作家と女優の単なる不倫だったわけではない。この不倫劇で見せた川島の姿こそ、その後の川島が最後までこだわり続けた「女優・川島なお美」やその凄まじいまでの“生き様”にも大きな関係があったからだ。

 2人の関係が明らかになったのは96年のことだ。“作家タブー”のため、ほとんどのメディアは2人の関係を報じない中、スキャンダル雑誌「噂の真相」(04年休刊)が2人の関係、そして北海道への不倫旅行を追跡し、記事化している。

 96年11月号によると、2人が知り合ったのは95年暮れ渡辺が主催する忘年会の席だった。そこで川島は自分から渡辺にアプローチし、不倫関係になったという。2人の関係は時間とともに深くなっていく。96年9月、2人は札幌にある渡辺の別荘へと1泊2日の旅をしたが、その様子が「噂の真相」で写真付きで報じられた。

 しかし2人の関係はこれで終わらなかった。最初の報道から約2年後、2人の密会旅行が再び「噂の真相」(98年10月号)で報じられるのだ。

 この年の8月2日から2人は再び北海道へ2泊3日の旅をした。釧路空港に降りた2人は阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖、網走へと車の旅を満喫するが、その間、後ろからぴったりと尾行を続ける「噂の真相」の存在に気づき、2人は車を止めて直撃取材に抗議したりする。だがしかし興味深いのは、2人の関係が以前とは明らかに違っていたことだ。

 例えば記事によれば渡辺は行きの飛行機の中でも川島に何度も話しかけるが、一方の川島は短い返事をするだけで、寝てしまう。その後も渡辺は楽しくて楽しくてじっとしていられない様子。まるで遠足に舞い上がる子どものようだったという。また「噂の真相」の追跡に気づいた後も、旅行を取り止めることなく、2人きりになろうと尾行を巻こうと必死だった。記事では2人の関係の変化についてこう記している。

「渡辺は、川島なお美に対していつの間にか『本気』になってしまっていたからである。正直言って、本誌はふたりの関係に少なからず『利害の共有』が存在する、と思っていた。(略)しかしあれ(最初の密会旅行)から2年。当初の思惑をよそに、渡辺はすっかり川島なお美にイカれてしまったのである」

 記事では明らかにされていないが、実は「噂の真相」は屈斜路湖プリンスホテルで2人を見失っている。その間、渡辺はホテルの裏側からモーターボートで湖を渡るという荒技まで繰り出して“2人だけの旅行”を完結させようとしたことが明らかになっている(後に渡辺本人が同誌編集者に対し語っている)。

 名うてのプレイボーイとして有名だった大物作家をここまで「ベタ惚れ」させてしまう。これこそが川島のその後の女優として、タレントとしての礎であり、真骨頂だったのだ。

 しかも、である。川島はその後も女優としての器の大きさを見せている。

「噂の真相」が休刊して半年ほど経った頃、週刊「SPA!」(扶桑社)2004年11月2日号で川島のセーラー服&お下げ姿の写真が掲載された。これは著名人がお気に入りの女優をプロデュース撮影するという企画記事なのだが、実は川島を指名、プロデュースした人物は「噂の真相」元編集長の岡留安則だったのだ。

 岡留は川島にとっては自らの不倫スキャンダルを暴きたてた憎き相手であるはずなのに、一体なぜ指名を受けたのか。その経緯を岡留元編集長に直撃した。

「『SPA!』から企画が持ち込まれた時、真っ先に頭に浮かんだのが川島さんだった。カメラマンとして参加した初沢亜利が所属事務所社長と知り合いだったことで、オファーしたら快くOKが出た。しかも川島さんからは撮影をする前に一度打ち合わせがてらお会いしたいと言われて六本木で会ったんだ。もちろん僕のほうから『ご迷惑をお掛けしました』と謝ったけど(笑)、全然気にしている風ではなかった。やはり女優として肝の据わった人だと感心したほどでしたね。その席で川島さん自ら『セーラー服』で撮影してもいいですか? と提案してもらって。もちろん即オッケーでしたね(笑)」

 そして撮影当日も現場は和気あいあいといった感じで、過去の禍根など一切感じられないものだったという。

「新宿ゴールデン街で撮影し、そのまま打ち上げに流れたが、その席でも楽しくワインを飲んでいたよ。途中で『渡辺さんは撮影のことを知っているの?』と聞いたら『メールをしたら“勝手にしろ”と言われた』とお茶目に語っていたことが印象的だったね」

 その奇妙な関係は撮影後も続いた。沖縄に移住した岡留元編集長のもとに川島から連絡があったという。

「13年の年末に沖縄コンベンションセンターで川島さんが出演する『クリスマスキャロル』の公演があったが、その少し前に『沖縄に行くからお食事しましょう!』と連絡があった。沖縄でも痛飲しましたね。沢山飲んで笑って語って。その時、僕の似顔絵も描いてくれて。でも考えてみるともうその時既に、ガンの告知をされていたんだよね(同年8月に余命1年と告知)。でもそんな様子は全然見せなかった。しかもその一カ月後には手術を受けた。仕事に対する思いはやはり凄まじいものがあったんだろうね。抗がん剤治療や放射線治療をしなかったことも、このガンは化学療法が効果的じゃないことに加えて、女優としての美学、自己プロデュース、気概だったと思う。女優として人間として凄まじい生き様だったと思う」

 女優として生き、最後まで女優をまっとうした川島なお美。確固とした強い信念を持って行動し、夢を叶えていった女優・川島の死を深く悼みたい。
(伊勢崎馨)

最終更新:2015.10.01 11:50

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