捏造したのは櫻井よしこのほうなのに…「慰安婦報道を捏造」と攻撃された元朝日記者・植村隆の名誉毀損裁判で不当判決

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櫻井よしこHP『プロフィール』より

「日本の名誉を毀損したのは植村隆のほうだった」「やっぱり植村隆は捏造記者だった」

 9日の夕方から、右派メディアやネトウヨがこんな言葉をがなりたて、大喜びしている。元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、櫻井氏の記事を掲載した新潮社、ダイヤモンド社、ワックを相手取り、「捏造」などとされて名誉を傷つけられたとして訴えた裁判で、9日、札幌地裁が植村氏の請求を棄却したのだ(岡山忠広裁判長)。

 しかし、これは「不当判決」としか言いようがないものだ。そもそも、この裁判では、植村氏のことを「捏造」と攻撃した櫻井氏のほうの“根拠捏造”が、被告の本人尋問などで明らかになっていた。ところが、判決はそのことに一切ふれることなく「被告が真実であると信じる相当の理由がある」などと結論付けたのだ。

 具体的に解説しよう。まず、この名誉毀損裁判を起こした植村氏は、2014年、朝日新聞が「吉田証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消した問題で、右派メディアやネット右翼たちからスケープゴートにされた元朝日新聞の記者だ。植村氏は朝日が虚偽だと認めた「吉田清治証言」とは無関係だが、過去に従軍慰安婦の記事を執筆しており、その内容が「人身売買であるのに強制連行されたと書いた」などとして、右派から「植村は捏造記者だ!」と総攻撃を受けた。そして、非常勤講師を務めていた北星学園大学には脅迫が殺到、さらに本人だけでなく娘にも殺害予告が届くなど、“リンチ”とも呼べる状況が続いたのである。

 しかし、その後、植村記者は反撃に転じた。自分の身に降りかかった攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、「捏造記者」などと攻撃した極右言論人と出版社に対し、裁判を起こしたのだ。今回の札幌地裁での裁判はそのうちのひとつである。

 札幌地裁の判決はまず、櫻井氏の記事について「原告の社会的評価を低下させる事実の摘示や意見ないし論評がある」と認めた上で、櫻井氏が記事で展開していた「金学順氏は継父によって人身売買され、慰安婦にさせられた」という主張が、「真実であると認めることは困難である」と結論付けている。つまり、裁判所も、櫻井氏の記事が事実でない可能性があることを認めていた。当然、植村氏の記事が「捏造」だとも、植村氏が「捏造記者」だともまったく認定していない。

 ところが、その後、判決文は一転。櫻井氏が金学順さんのことを「継父によって人身売買された女性」と「信じ」、「植村氏が事実と異なる記事を敢えて執筆した」と「信じたこと」はさまざまな資料に記載があったためやむをえなかった、と続けるのだ。

存在しない記述を根拠にした櫻井を正当化するトンデモ判決!

 はっきり言うが、この判決はめちゃくちゃだ。なぜなら、裁判所は櫻井氏が「金学順氏は継父によって人身売買された女性」と信じた根拠として、「金学順氏が日本国政府を訴えた訴状」「金学順氏を取材した内容をまとめた臼杵氏執筆の論文」の記載などをあげているが、そもそもこれらの資料には、そんな記述など一切ないからだ。

 そのことは、今年3月23日の第11回口頭弁論の櫻井氏の本人尋問で暴かれ、櫻井氏自身も誤りを認めている。

 まず、この口頭弁論で問題になったのは、「WiLL」(ワック)2014年4月号の記事(「朝日は日本の進路を誤らせる」)。櫻井氏は〈日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事〉などと植村氏を批判するために、前述した金学順さんの訴状をもちだし、こう書いていた。

〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。
 植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とはなんの関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。〉

 つまり、櫻井氏は「訴状には金学順さんが継父によって40円で売られ、さらに再び継父によって連れられて慰安婦にさせられた、という記述があるのに、植村氏はこれを無視するという意図的な捏造報道を行った」と攻撃していたのだ。

 ところが、実際の金学順さんの訴状には、櫻井氏が言う「継父によって四十円で売られた」なる記述は、存在していなかった。つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことを“捏造”して、植村氏に対し「捏造記者」などという攻撃を繰り返していたのである。

 それだけではない。原告側弁護士から「継父によって四十円で売られたという話の根拠はなんなのか」と問い詰められた櫻井氏は、1992年2月の月刊「宝石」(休刊/光文社)の臼杵敬子氏執筆の記事からの引用の間違いだったと釈明した。

 これが裁判所の言う「金学順氏を取材した内容をまとめた臼杵氏執筆の論文」なのだが、実は、その臼杵論文=「宝石」記事にも、やはり「継父によって四十円で売られた」「十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた」なる記述はなかった。

櫻井よしこがもちだした資料には、逆に「日本軍の強制連行」の記述が

 まず、「宝石」記事にある金学順さんの証言によると、学順さんが14歳の時、母親が再婚したが〈私は新しい父を好きになれ〉なかったとして、こう振り返っている。

〈その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。
 ところが、十七歳のとき、養父は「稼ぎにいくぞ」と、私と同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。〉

 学順さんがいう「養父」とは「妓生専門学校の経営者」のことであって、「継父」(=「新しい父」)ではない。しかも、この「宝石」記事には、上の引用部の直後、金銭で売られたどころか、逆に日本軍の強制連行と性暴力を物語る記述が続いていた。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。
 日本軍が占領したその集落には三百人ほどの日本兵が駐屯していました。トラックで夜着いた私たちは、将校に案内され、真っ暗な部屋に入れられ、外から鍵をかけられ閉じ込められたのです。そのとたん、私は「しまった」という後悔でいっぱいでしたが、もうどうしようもありません。
 次の朝、馬のいななきで人々が生活しているのがわかり、室内から外をうかがうと隣りの部屋には三人の朝鮮人女性がいるのがわかりました。(中略)将校が私を小さな部屋に連れて行き、服を脱げと命令したのです。
 当時、私は十七歳。何も知りませんでした。そのときのことを考えるだけでも心臓が爆発しそうです。とにかく必死で逃げようとしました。「嫌だ!」と叫ぶと、その日本兵は「この野郎! 朝鮮人のくせに!とののしり、私を殴り、足で蹴り揚げ、暴力で犯したのです。」(「宝石」での金学順さんの証言)

 念のために言っておくが、これは櫻井氏が自分の主張の出典とした資料だ。ところが、そこには櫻井氏の主張する「継父が金学順さんを四十円で売った」とはどこにも書かれておらず、「妓生専門学校の経営者」が逆に日本人将校らに暴力で脅されてその場から排除された、そして、金学順さんは日本軍のトラックで鉄壁鎭に連れて行かれたという証言が掲載されていた。

 櫻井氏が本当にこの証言を出典としたのならば、櫻井氏はわざと日本軍による強制連行をネグったことになる。

なぜ裁判所は“根拠捏造”を無視してまで櫻井よしこらを「勝訴」させたのか

 また、裁判所はもうひとつ、櫻井氏が信じた根拠として「韓国の新聞報道」もあげており、これは櫻井氏側が証拠として提出したハンギョレ新聞と思われるが、ここにも、「宝石」などと同様の〈生活が苦しくなり、14歳の時に母親に平壌にあるキーセンの検番に売られた。3年間の検番生活を終えた金さんが最初の就職だと思って検番の養父についていった所は、兵士3000人余りが所属する北中国・鉄壁鎭の日本軍小部隊の前だった〉とあるだけで、慰安所にお金で売られたという記述はない。

 それどころか、このハンギョレ新聞にも、〈私を連れていった養父も当時、日本人にカネももらえず私を武力で奪われたようでした〉という、強制連行の記述があった。

 いずれにしても、法廷でこうした事実を突きつけられた櫻井氏は、金学順さんの訴状に記載されていない記述についての自らの誤りを認め、「WiLL」7月号は訂正文を掲載。また、産経新聞6月4日付でも同様の誤りを訂正している。

 にもかかわらず、札幌地裁の判決は、こうした資料をもとに、櫻井氏が「金学順氏が継父によって人身売買されて慰安婦にされた女性であると信じた」ことは「相当の理由がある」というのだ。この裁判長は本当に提出証拠や本人尋問の記録をちゃんと読んでいるのか。

 また、百歩、いや1万歩譲って、これらの資料を目にした櫻井氏が「金学順氏は継父によって人身売買された」と誤読したことがやむをえなかったとしても、だからといって、なぜ櫻井氏が植村氏のことを「捏造」などと攻撃することが正当化されるのか。

 そもそも植村氏は、朝日新聞の記事に金学順さんが「日本軍に強制連行された」などと書いているわけではなかった。〈女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた〉と書いただけだった。

 ところが、櫻井氏は〈植村氏は、彼女(金学順さん)が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった〉などとして〈真実を隠して捏造記事を報じた〉と攻撃したのだ。

 だとしたら、自らが出典とした資料にハッキリとある強制連行の記述をネグった櫻井氏だって「捏造」になるのはもちろん、情報の取捨選択をしているほとんどの報道が「捏造」ということになるだろう。

 なお、櫻井氏が「捏造」だと攻撃した記事のひとつである1991年8月11日付の植村氏の署名記事は、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が金学順さんから聞き取った証言テープがもとになっているのだが、同記事でキーセンについて触れなかった理由について植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」と説明している(朝日新聞2014年8月5日朝刊)。また、櫻井氏が批判する「女子挺身隊」との混同については、本サイトも過去記事(https://lite-ra.com/2018/04/post-3921.html)で指摘したように、同じ時期には朝日以外のメディアも「女子挺身隊」「慰安婦」は同じものだという前提で記事を書いており、金学順さん自身も会見で「挺身隊」という言葉を使っていた。

 とにかく、この櫻井氏が植村氏に向けた「捏造」攻撃は、どこからどう見ても根拠がなく、名誉毀損なのだが、しかし、札幌地裁の裁判長は前述したように、まったく理屈にならない理屈をつけて、請求棄却を言い渡した。判決文を読むかぎり、岡山裁判長は櫻井氏らを勝訴させるという結論ありきで、まともに証拠資料に目を通してなかったとしか思えない。それとも、もしかして、裁判所までが歴史修正主義者に乗っ取られようとしているのか。

 植村氏側はこの判決直後、控訴することを表明。また、もうひとつ、西岡力氏と文藝春秋を相手取った東京地裁での判決も控えている(詳しくは過去記事参照 https://lite-ra.com/2018/10/post-4323.html)。控訴審やこちらの裁判では真っ当な判断が下されると信じているが、いずれにしても本サイトではレポートを継続し、右派による歴史修正の杜撰な実態とその卑劣さ何度でも伝えてゆく。

最終更新:2018.11.15 09:17

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