野球賭博問題で蛭子さんが「みんなが楽しくやってるならいいじゃないか」発言! そのディープな賭博歴は?

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「蛭子能収 OFFICIAL WEB SITE」より


 野球賭博に関わっていたとされる福田聡志、笠原将生、松本竜也の3選手が巨人を去ったことで一応の幕引きとしていた野球賭博問題は、今月新たに高木京介選手の賭博への関与が明るみになったことで再び炎上し始めた。

 また、円陣時の「声出し」をめぐり選手間で金銭のやり取りがなされていたことも問題化。この件に関しては、巨人のみならず阪神、西武、広島、楽天、ロッテ、ソフトバンクなど他球団も日常的に行っていたことが分かり、野球賭博に関する問題は球界全体に飛び火している。

 この状況に対し、自らも1998年、新宿歌舞伎町の雀荘で麻雀賭博をしていたところ現行犯逮捕された過去をもつ蛭子能収は、今月10日に出席したイベントの会見で「俺も(賭けマージャンで)捕まったことがあるので、賭博のコメントはしづらいんだけど……」と前置きしながら、こんなことを語った。

「ま、仲間内で小さくやってる分には大目に見てほしいというのが本音ですけどね」
「みんなが楽しくやっているならそろそろ(賭博を)合法にしてもいいんじゃないか。それはそれで俺はいいと思います」

 野球ファンが怒り心頭のなか、自らの過去を悪びれぬさすがの蛭子節である。しかし、これはまだ序の口。最近出版された蛭子さんがギャンブルと人生を振り返る自伝『僕はこうして生きてきた NO GAMBLE, NO LIFE.』(コスモの本)では、この麻雀賭博事件について、より踏み込んだ思いを綴っている。

 取り調べを終えて解放された後日、裁判所に呼び出された蛭子さんは、「そんな所に行ったらダメですよ」や「そんな麻雀したらいけませんよ」と説教を受けるのだが、なんとそこで「全国には何万という雀荘があって、そこでは90%の人が同じように賭けているんじゃないでしょうか」と反論したという。そう思ってはいても、そこはグッとこらえるのが普通の人だと思うのだが、蛭子さんはそうではない。結局、この事件は10万円の罰金刑と判決がくだるのだが、そのことに関し同書でこんな思いを綴っている。

〈僕にとってはその時の10万円は違反切符みたいなもんだったんだと思っています。
 それにしてもいまだによくわからないのは、なぜあの雀荘がやられたのかということです。そんなに大きなレートではなかったし、僕は店の人から「うちは刺青やあっち方面の人はお客にいませんから」と聞いていて、実際サラリーマン風の客が多かったのでまったく安心して通っていたんです。賭博なんて意識はなかったし、小遣い銭で遊んでいるという感覚でした〉

 一応、丸坊主にしてテレビ出演をしばらく自粛したうえ、この件以来、麻雀からは遠ざかっているらしいが、タレント生命が絶たれていたかもしれない過去に対して、本質的には蛭子さんは反省の色なしなのだ。

 さすが、〈ギャンブルは僕の人生そのものであり、ギャンブル場は僕にとって人生の学校そのものなのです〉と宣言する蛭子さんだけはある。

 ところで、そんな蛭子さんがギャンブルにのめり込み始めたのはいったいいつからなのだろうか。

 それは、なんと小学生の時だったという。まさしく〈ギャンブルは僕の人生そのもの〉だったわけだ。

〈当時から勝負して勝ったら相手から取り上げる“ギャンブル”が好きで、よく近所の友だちとお菓子を賭けて、自分で考案したトランプ遊びをしていました。自分でルールを考えたわけですから、当然勝つツボも自分が一番わかっています。だから負けるはずがありません。とにかく何かを賭ける勝負事の遊びばかりして過ごしていました〉

 生まれながらにして筋金入りのギャンブラーだったわけだが、そんな蛭子さんは成長するにつれ、競輪、競馬、麻雀、ルーレット、花札、パチンコなど、ありとあらゆるギャンブルにのめりこんでいく。なにせ、高校を卒業したその足で向かった先がパチンコ屋であったというほどなのだからすごい。

 そして、そんな数あるギャンブルのなかでも、とりわけ蛭子さんを魅了したのが、20歳のころに出会った競艇だ。

〈近くに大村ボートレース場があったので、休日になると時々、ひとりで遊びに行きました。以来、僕の人生にとって競艇はなくてはならないものとなりました。(中略)20歳で競艇デビューしてからこれまでに1億円以上は使っていると思います〉

 その競艇熱は、地元・長崎で就職した看板屋を辞め、グラフィックデザイナーを目指して職の当てもなく上京した時も変わらなかった。

〈仕事はなくても競艇には行っていました。転がり込んだ板橋の成増から電車でさほどかからないところに戸田ボート競艇場があったんです。最初はほんとにちょびちょび賭けていましたが、しまいにはなけなしの郵便貯金3万円を小出しに切り崩して、開催の日は欠かさず通うようになっていました〉

 この後、無事に広告代理店への就職が決まるのだが、生活も安定して賭け事のためのお金にも事欠かなくなった蛭子さんはさらにギャンブルに邁進。なんと、後に結婚することになる彼女からデートに誘われても、ギャンブルのためにその誘いを断るほどだったという。

〈彼女から日曜日にデートに誘われても、僕にはそれよりもやりたいことがありました。せっかくの休みですから、ギャンブラーである僕としてはやはり競艇やパチンコに行きたいわけです。そういうわけで、実際に何度か断ったりもしていたんです〉

 それだけのギャンブル狂いは当然、作品にも強く投影されてくる。蛭子さんが漫画家として「ガロ」(青林堂)1973年8月号でデビューした作品は『パチンコ』という17ページの読み切り作品なのだが、そのストーリーは、仕事をサボり、突然やって来た義理の姉夫婦の訪問も嘘をついて逃げ、パチンコに向かう男を描いたものだった。

 少年時代から大人になるまで、まさにギャンブルとともに人生を歩んできたわけだが、そんな蛭子さんは、本のなかでこのようにギャンブルへの愛を語っている。

〈僕にとって人生で最も幸せを感じる時間は、競艇に行く前の晩、布団に入る瞬間です。明日競艇場に行ってレースを予想している自分の姿を想像するのが僕の至福の時なんです。もっとも、競艇に行くと決めたら、前日はおろか前々日から朝早く目が覚めてしまうほどです〉
〈僕は多摩川競艇や平和島競艇に行くと、自慢じゃないですが、いつものヘラヘラした顔つきなんてどこかにかき消えて、目が釣り上がっていますからね。普段テレビでは見せることのない“ギャンブラーの目”に変わり、身体からは近寄りがたい殺気めいたオーラがメラメラと燃え上がっているはずです〉

 ただ、そんな蛭子さんにもひとつ守っていることがあるらしい。それは、ギャンブルのために借金はしないこと。

〈ギャンブルも借金してまでもするもんじゃありません。
 これまで僕は競艇を中心としたギャンブルに1億円以上はつぎ込んできましたが、ギャンブルをやるために借金したことはありません〉
〈ギャンブルも人生もあまり欲張らないことが肝心なんですね。
 ほどほどの成功が幸せにつながるものなのです〉

 野球賭博に関して記者に質問され「(賭博を)合法にしてもいいんじゃないか」とまで言い放った人とは思えぬまっとうな発言だ。

 賭け麻雀で捕まっても、しかもそのことに対し反省の色が見えなくても、決して業界から干されることはなく、それどころか『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)で再ブレイクまで成し遂げた裏には、「どんなに夢中になってもギャンブルで借金はしない」という、「ギリギリでまっとうな感覚が残っていた」ということが関係しているのかもしれない。
(新田 樹)

最終更新:2017.11.24 09:11

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