やっぱり“殉愛騒動”と同じ? 高倉健の実妹が健さんの最期を看取って遺産を相続した“養女”の不信な行動を告発

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高倉健『旅の途中で』(新潮社)

“最後の銀幕スター”高倉健が亡くなって1年半。その圧倒的存在感や人柄などから現在でもその死を悼む声は絶えない。だが高倉の死後、世間の注目を大きく集めたのが高倉が死の1年半ほど前に極秘に入籍した“養女”の存在だ。

 それまで世間に全く知られることがなかった養女Aさんの存在が明らかになったのは「週刊文春」(文藝春秋)2015年1月1・8日特大号で養女自らが登場して、その関係を告白したことだった。

 元女優だった当時50歳の養女は、晩年の高倉の身の回りの世話をし、悪性リンパ腫発症後はひとり介護を続けた“特別な存在”だった。養子縁組に関しては高倉の死の2年半ほど前に高倉が弁護士に相談、その後の13年5月に養子縁組が成立している。

 彼女の存在は高倉の意思で世間からは極秘とされ、近親者さえその存在を知らなかった。

 そして、養女が「高倉は『人は誰しも弱っている姿は見られたくない。だから見舞いも行かないし、来て欲しくない』という考えでした」(「週刊文春」より)と語ったように、病魔に倒れた後、“高倉の意思を尊重するため”と、近しい関係者に対してすら見舞いを拒否、親族にその死をすぐに知らせず、葬儀にも呼ばず、荼毘にふしてしまったこと、そのうえで、養女が莫大な遺産を相続したことで、「これはやしきたかじんの“殉愛騒動”と同じじゃないか」という声が上がっていた。

 そんな中、高倉健の実妹が今回初めて、高倉との関係、そして養女について口を開いた。

 高倉は4人兄弟の2番目だが、兄と上の妹はすでに故人、唯一下の妹である森敏子さんが福岡県に住んでいるのだが、その敏子さんが「週刊新潮」(新潮社)5月19日号のインタビューに応じたのだ。

 まずこれまで語られてきたように、高倉と妹・敏子さんの関係は疎遠などでは決してなかったという。

「兄と私は仲がとてもよく、喧嘩もせず、何でも話してきた間柄です。『何かあればファックスしてくれ』と言われていたし、事実そうしていました。するとすぐに電話があるようなマメな人」

 ファックスは自宅へ、手紙の場合は赤坂の事務所との取り決めがあり、そうすると、向こうから電話が折り返しかかってくるのだという。実際、最後に電話で話したのは高倉の死の1カ月ほど前だったという。

「変なことをいうんですよ、「仏は上から見てるからな」って。「必ず見てる」と3回繰り返しました」

 ところが、その後、手紙を送ってもファックスしても折り返しがない。結局、高倉の死を知ったのは亡くなった翌々日だった。

「私はこの日、福岡県内の病院でベッドにいました。白内障の手術を受けるためです。そんな朝に、息子から電話があって、『伯父が亡くなったという情報がある』と聞かされました。兄には連絡がつかないので、兄の従弟でもある高倉プロの専務に連絡し、「何があった? 兄は元気なの?」と訊いたところ、要領を得ません。時間が経ち、この日夜遅く、専務から「兄の死」を告げられたんです。」

 そして、敏子さんが養女の存在を知ったのは高倉の死後半月以上経った、14年11月27日のことだった。事務所専務から「いままで黙ってた。女房にも言えんかった」と打ち明けられたからだ。悪性リンパ腫で入院したことも、密葬も知らされていなかったという敏子さんはその翌日急遽上京する。それから弁護士を通してのやり取りが始まったが、敏子さんは養女側がこんな主張をしてきたことを明かしている。

〈自分は高倉が病気になってからほとんど寝ていない。高倉健とは生涯現役で撮影現場以外の姿を見せてはならない存在である。(略)自分はそれを守るためにたった一人で、発病以来、すっと奮闘してきた。いや、高倉と交際して以来、ずっとそうだった。そしてそれをやり遂げた。〉
〈亡くなってからも守るべきものとは、高倉のプライバシーである。避けなければいけないのは、養女という存在をスキャンダルを暴露されることである。親族との確執があるとか、交際を興味本位に捉えられるのを避けなければならない。〉
〈高倉健を守るために自分は孤軍奮闘していることを理解してほしい。親族サイドから、おかしな話が出回らないように口をつぐんでいただきたい。〉

 ところが、その直後、養女は「週刊文春」で自身の存在を自ら明らかにするのだ。この展開はまさに“殉愛騒動”を彷彿とさせるが、常々、高倉健の妹であるということを一切いわず、自分の息子にも「私たちが足を引っ張ってはいけない。兄の名前を出したりしては絶対いかん」と言っていた妹の敏子さんにとって、この養女側の主張はかなりショックだったという。

「実際、『口をつぐんで』という件には言葉を失いました。そして〈今後、どうしてもということであれば、面談する機会を設けてもいい〉とも言ってきた。「会ってやる」というような態度がありありと出ていたので、私は「必要なし」と蹴ったんです。」

 また、敏子さんは、養女が高倉の遺志として、墓に入れず散骨するといっていることにも不信感を抱いている。高倉は生前の1972年に神奈川県の鎌倉霊園に墓地を購入しており、ここに入るはずだったというのだ。

「鎌倉霊園にはチーちゃん(71年に離婚した江利チエミ)との間の“水子”が祀られています。お墓を買ったときに、『すごくいいところにあるから。鎌倉に来たら連れて行く』と電話がありました。(略)折に触れて線香をあげに出向いていましたし、自分自身も亡くなればそこへ入るつもりで、知人と墓石を見て回っていたほど。そうやってしてきた人が、散骨なんて言うわけがありませんよ」

 入院中には近しい関係者に見舞いを拒否し、その死を実妹にも知らせず、戒名をつけず、ひたすら荼毘にふすことを急がせる。そして生前愛した霊園に遺骨を納めることなく散骨――。これら全てが高倉の“遺志”だと養女は主張しているという。

 また、この記事は、高倉の姪の攝子さんが秘書や専務から周辺から訊いた話を証言しているが、健さんが息を引き取った前後、通夜、葬儀の異常な状況が明かされている。

 死の前日、病室から“シューシュー”という音が漏れ聞こえてきたが、養女が誰も部屋の中へ入れさせなかったこと、病院から遺体を布で包んで持ち帰ったこと、蝋燭もお線香も拒否し、棺桶も「一番質素なものがいい」と言ったこと、葬儀でも写真ひとつ用意されていなかったことなど……。

 確かに、こうした話をきいていると、殉愛騒動と非常に似たにおいを感じるのは事実だ。実際、ビジネスの面でも、養女が版権や著作権をすべて管理し、クローズドな状況にしているため、養女とパイプをもつ文藝春秋などのメディア以外、追悼企画がやりづらい状況が起きているとも聞く。

 もちろん、養女側にも言い分はあるのかもしれない。しかし、本当に高倉健の遺志だとしても、生前、高倉を支え愛した近親者や関係者、そして多くのファンへの配慮が足らないことは否めない。高倉健は多くの人々にとっての“宝”なのだから。
(林グンマ)

最終更新:2016.05.12 12:47

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