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“冤罪”袴田事件はどのようにつくられ、どんな真相が隠蔽されたのか!?
『袴田事件──冤罪・強盗殺人の真相』(プレジデント社)
1966年に静岡県の一家4人が惨殺され、放火された「袴田事件」で、強盗殺人などの罪に問われ死刑が確定していた袴田巌さん(78)について、静岡地裁(村山浩明裁判長)は昨年3月27日、再審開始を認める決定をし、あわせて刑の執行停止も決めた。
刑が確定した事件について、確定囚がその再審開始決定を得る事は、“ラクダが針の穴を通るより難しい”と言われる事もあるほど困難だ。袴田さんは逮捕からこの日まで約50年も塀の中にいた。しかも、死刑が確定した1980年からは、いつ“その日”が来るか、と怯えながらである。静岡地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」とこれまでの捜査や裁判所の判断に誤りがある可能性を示唆している。
『袴田事件──冤罪・強盗殺人の真相』(山本徹美 /プレジデント社)は、絶版になっていた同書に追記がなされ再審決定後の7月に出版されたものだが、これによれば、確かにこの「袴田事件」は証拠捏造、自白の強要、見込み捜査など、捜査機関のずさんさ、乱暴さが際立っている。さらにカネ目的の“強盗殺人”には到底思えないような、真犯人による何らかの意図を感じさせる猟奇的な態様も見られるのだ。
袴田事件は1966年6月30日の夜に静岡県清水市で起こった。味噌製造会社「こがね味噌」の専務(当時41)宅が火事になり、焼け跡から専務とその妻(同38)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が発見された。全員に刃物によるものとみられる刺し傷が多数あったことから、事件として捜査開始。同年8月「こがね味噌」従業員であった元プロボクサー、袴田巌さんが逮捕された。袴田さんは逮捕当初から否認していたが約1カ月後に自白。公判開始以降、一環して否認を貫いたが、死刑判決が下され、最高裁で確定していた。
まず逮捕直後から自白までの袴田さんには、この手のずさんな捜査にありがちな連日の厳しい取り調べが行われていたことは周知の通りだ。清水警察署が保管する「留置人出入簿」によると、袴田さんには基本、朝8時前後から23時前後まで取り調べが続き、自白までの数日間はラストスパートと言わんばかりに、午前8時前後から午前2時までの調べが行われている。この影響か、自白4日前には初めて医師の診察を受け「からだ全体がむくみまして、中耳炎を起こし、膿が出るようになりまして、耳などもほとんど、いったことが聞こえないようになりました」と訴えている。「寝不足が原因と思います。(午前)12時頃終わって、留置場に戻されまして、床につくんですが、かわるがわる酔っぱらいを連れてきまして、2つか3つ離れたとなりの部屋に入れまして、それが一晩中騒いでいるんです」とも訴えており、睡眠も十分ではなかったことが伺える。
「長期的な調べで、からだも疲れきって、ほとんど寝られないような状態で、その朝、9月6日だと思いますが、いつもと同じように引張り出されまして、そしていつにも増してテーブルをぶったたいたり、怒鳴ったりで、わたしは頭が痛くて、めまいもするし、とても疲れちゃって、午前中休ましてくれ、と頼んだです。ところが『だめだ』、と、『認めりゃ、休ましてやる』こういって警察官がいいまして、私が目をあいたら、調べ室がぐるぐるまわり出したもんですから、テーブルに手をついて、手をつくだけでも転びそうだものですから、頭をつっぷしていると、テーブル叩いて、『なんだ、その態度は』と、テーブルどんどん叩いていうので、静かにしてもらいたいから、『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ』といったのが、10時頃ではないかと思うんです」(昭和42年12月8日、第22回静岡地裁公判調書)
ところがこうした袴田さんの話は、取り調べ室にいた巡査部長によれば「袴田は、自分のひざの上に両手を開いてついて、私の話を聞いておったわけですが、その両方の手を握りしめまして、こぶしをつくって顔をあげて、ぽろぽろと涙をこぼして『申しわけありません。私がやりました。うちのことはよろしくお願いします』というように断片的でありましたが申しました」とこんな具合に変貌している。取り調べ状況についての食い違いはこの場面だけでなく多々あったことが本作には記されている。
とはいえ、これはまだ可愛い方だ。この事件における最大の問題は捜査機関によると思われる証拠の捏造、そして事件の骨子を早期に組み立て早くから袴田さんを犯人と決めつけてしまい、それに沿うように捜査を進めた点にある。実況見分調書にある証拠品発見の状況と、その後の警察発表による報道が微妙に食い違っていき、いつのまにか事実でないことが事実として広まってしまったりする、ということが本件ではたびたびあったようだ。例えば作者によれば、事件直後の7月4日、袴田さんの居室からシミの付いたパジャマが発見されたことについて、新聞社各社は次のように伝えている(すべて7月5日付朝刊)。
「多量の血こんが付着していた」(静岡新聞)
「血のついたパジャマと作業衣が発見され」(朝日新聞)
「特別捜査本部の発表によると、パジャマには多量の血こんがついており、作業着にも血こんがついている」(毎日新聞)
袴田さんによるとパジャマは事件当日に着用して眠っており、火事に気づきそのまま消火活動をしたという。捜査本部はこのパジャマを着て犯行に至ったという筋書きを組み立てていた可能性がありありと伺える。実際、袴田さんの自白調書にはパジャマを着てその上にゴム製のカッパを着て犯行に及んだと記載されていた。消火活動にあたっていた従業員らの調書にも、袴田さんがパジャマを着て頭からずぶぬれになっていた、という記載がある。
ところが、事件から1年後の67年8月31日、「こがね味噌」工場の一号タンクから、味噌の中にうまった状態の5点の衣類が見つかり、これらには多量の血痕が付着していた。さらにマッチ箱と絆創膏も同タンク内から発見された。一審公判真っ最中の時期だったが、なんと検察官は冒頭陳述を変更。犯行時に着ていた着衣はパジャマからこのとき発見された衣類に取って代わったのである。
また供述調書にも変更を加えている。もはや何が真実だったのかどんどん分からなくなってくるのだ。ちなみに事件当時に衣類を隠せるほどの味噌がタンクに残っていたかについては従業員ごとに話が食い違っているし、この味噌を踏んでならす作業を誰が行っていたかについても、食い違いがある。何より、この時発見された衣類は袴田さんの体型に合っていなかったことも分かっている。お粗末としか言いようがない。
さらに強盗殺人というからにはカネ目当ての犯行であり、奪われた金品が存在し、それが何らかの目的で使われたとみるべきだが、袴田さんが事件後にまとまったカネを使った形跡も見当たらなかった。自白調書には事件後、「こがね味噌」元女性従業員のもとに袴田がやってきて「僕のぜにだけど取りにくるまであづかっておいて下さい」と、カネを渡したとある。
そして不思議な事に、この女性とその家族について捜査員が調べを行った直後、「匿名で清水警察署に対し『ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアッタツミトウナ』と書いた手紙と一緒に現金5万700円が一部焼燬(ショウキ)されて郵送されて来たので、直に同人方を捜索して筆跡対象資料を得たうえ筆跡鑑定を行ったところ女の筆跡と一致したので同女が被告人から5万円を預かり保管していた後警察の調べを受けて贓物寄蔵の罪に問われるのを恐れて匿名で郵送して来たことが明らかとなった」という。
女性は公判でカネを受け取った事は否定しているが、一審の筆跡鑑定ではこの手紙を書いたのはこの女性だとされた。二審の鑑定では「その信頼性はない」と結論付けられており、この匿名の郵便物と女性、ひいては袴田さんとの接点は消えている。このように不思議なことが次々と起こり、それによって証拠や論点がたびたび変わっていくというのが袴田事件であった。
ところで殺害現場は、到底金目的とは思えない、真犯人の何らかの意図を感じさせるものが残されていた。次女が刺され、倒れていた場所の下に「ピアノ上部の鴨居」が倒れており、さらにその額を取り去ると、使用済み生理用パンツが2枚置かれていたという。さらに水を含んだマッチも置かれていた。本書は、これについて以下のように分析している。
「なんとも、おぞましい“処刑”ではないか。次女は、この板を枕がわりにして、うつ伏せにされていたのである。犯人は彼女の顔や上半身をことさらによく焼くことを意図してこういう火葬台ともいうべき“装置”を考案したのだ」
強盗殺人として捜査されているが現場には金品が多数残されていた。真犯人が次女殺害現場に残した生理用パンツ2枚の意味は、何なのか。少なくともこの状況だけみれば、とてもカネ目的の犯行には見えない。
「g2」(講談社)連載中の「袴田巖 塀の中の半世紀」によると、袴田さんは死刑確定後の93年、姉の秀子さんとの面会時に「1000メートルもある猿が電波を送るので顔が変わる。血圧なども変わる。人間は死なないが、電波で猿に吸収されしなびていく。(略)神様がくれた人間の美しい顔を欲しいので、猿の霊が電波で人間の顔を猿にする」など不可解なことを言うようになったうえ、面会に訪れても「霊と話をするので忙しい」と断るようになったという。
秀子さんは98年暮れ、当時、死刑廃止問題に取り組んでいた社民党衆議院議員の保坂展人に助けを求め、法務省に問い合わせてもらった。矯正局長はこのとき「以前は米粒を一粒ひとつぶ洗って食べるということもあったそうですが、現在はそういう行動もなくなったそうです」と告げ「精神的に安定しています」とも言ったという。99年、袴田さんの状態を診た医師は「死刑を前提とした長期間の拘束による『拘禁反応』との見方を示した」。
長期間のストレスフルな勾留生活で袴田さんはぼろぼろになっていた。真犯人は、長年無実の罪で塀の中にいた袴田さんのことをどう思っていただろう。
(高橋ユキ)
最終更新:2017.12.09 12:03
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