映画『FAKE』公開直前、森達也監督インタビュー

佐村河内の意外な「素顔」に迫った森達也監督が社会の二元化に警鐘!「安倍政権もメディアも途上国以下のレベル」

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──その「絆」あるいは「善意」のような言葉は、メディアが扇動した部分があると思います。メディアも震災当初は「原発だ!放射能だ!」と報道していたのが、現在はそれがなかなか言えない状況がつくられている。これについてはどう考えていますか。

 最終的にメディアを動かすのは市場原理です。メディアも営利企業ですから視聴率や売り上げは重要だし、だからこそ数字に結びつく素材を求めていく。朝日新聞も産経新聞も、日本テレビもTBSも、リテラもそうじゃないですか。これを批判するつもりはありません。組織を存続させるために営利追及は当たり前のことです。
 部数や視聴率が取れないから原発問題を取り上げない。それだけです。それをよく「政権のバイアスがかかっているから」と見なす傾向があるけれど、僕はそうではないと思う。メディアは、そこまで考えていない。ならばなぜ、産経と朝日はこれほどに論調が違うのか。マーケットが違うからです。しかも日本の新聞は世界でも珍しい宅配制度でマーケットが固定されているから、市場原理がより剥きだしになります。
 ただし普通の企業なら、営利追及だけでいいかもしれない。でもメディア企業の場合は、ジャーナリズムというもうひとつの柱がある。これは市場原理と馴染まない。社会や大衆が望まなくとも、ときには火中の栗を拾って報じなければならないときがある。けれども日本のメディアは、特にオウム以降、組織のなかのコンプライアンスやリスクヘッジなどが前面に出て、現場の感覚が消えかけている。個が弱いからです。企業としては進化したとの見方もできるけれど、ジャーナリズムとしては衰退です。欧米メディアの場合は、組織は組織として、個は個として、いい意味での摩擦が存在します。『FAKE』では、日本とアメリカのメディアが、それぞれ佐村河内さんに取材するシーンがありますが、その報道に対する姿勢の違いを観て、いろいろ感じてもらえればいいなと思いますね。

──テレビや新聞だけでなく、雑誌メディアはどうでしょうか。

 うーん、雑誌ジャーナリズムって「あえて逆をいく」ところがありますよね。2004年のイラクで、武装勢力に高遠菜穂子さんら3人が人質として拘束されたとき、世に「自己責任」という言葉が溢れました。あれを最初に書いたのは「週刊新潮」だった。その後「新潮」の記者に会う機会があって、「あれはひどいよ」と言ったら、「自分たちは『世間と逆をいけ』と教えられてきた。あのときも、世間は拘束された人たち救え!と人道的なことを言うと予想して、逆張りの主張をした。ところが社会が追随してきたので面食らった。そしたら、みんなが『自己責任だ』となっちゃった」と説明してくれました。

──「新潮」が読み間違えたのか(笑)。

 座標の軸が明らかに動いています。それも一極集中、付和雷同がどんどん進行する形で。だからジャーナリズムも本当に立ちづらい状況になっている。さらにインターネットの出現もあった。エポックとなった1995年は、一連のオウム事件や阪神淡路大震災という日本を揺るがす大事件が続発しましたが、同時にWindows 95が発売された“ネット元年”でもあるんです。ネット社会がスタートし、一般の人々が簡単に情報を発信できるような社会となっていく。こうしたネット社会に対し、既成メディアは当然危機感を持っています。競争原理もより煽られて、さらに刺激的・扇情的になっていった。

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