『日本会議とは何か』著者・上杉聰インタビュー

「日本会議はものすごい“後ろめたさ”を抱えている」先駆的研究者・上杉聰が語る日本会議の最大の問題とは?

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『日本会議とは何か』(合同出版)

 近年、安倍政権との深いつながりに注目が集まり、その正体を探る動きが高まっている、日本最大の右派団体「日本会議」。出版界も例外でなく、5月に発売された著述家の菅野完による『日本会議の研究』(扶桑社)を皮切りに、今後も各社から“日本会議本”が登場する予定だ。

 そんななか、約20年前から日本会議とその周辺の動向にいち早く気付き、注視し続けてきたひとりの研究者が、先日、『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団』(合同出版)という本を上梓した。部落史研究家で「日本の戦争責任資料センター」事務局長の上杉聰だ。6月、大阪の上杉の研究室を訪れた。

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■「日本会議をたとえるなら“怪人二十面相”です」

 コーヒーを淹れながら、そう語り始めた上杉。『日本会議とは何か』でその結成の歴史を振り返りながら、とりわけ、日本会議が「千載一遇の機会」とする安倍政権下での改憲と、その下地作りである教科書採択運動について、強く警鐘を鳴らしている。「日本会議というものを正確に捉えるためには、複眼的な視点が必要」と上杉は言う。

「日本会議が進めている運動には、憲法改正と天皇『元首』化、歴史認識と教育、靖国神社や夫婦別姓反対、領土問題や安全保障など多数ありますが、彼らは課題ごとにそのつど運動の前面に立つ組織を結成します。だからみんな同一の人物がやっている素の顔になかなか気付かない。たとえば改憲であれば『美しい日本の憲法をつくる国民の会』、教育分野では『日本教育再生機構』などですね。みんな日本会議による運動の一環であることを社会的に秘密化しているのです」

 昨年11月、東京・日本武道館で1万人超の改憲大集会を開催した「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表には、こっそりと日本会議会長の田久保忠衛、同名誉会長の三好達が名を連ねている。会場には日本会議国会議員懇談会に所属する政治家が多数詰めかけ、安倍晋三首相も改憲への意気込みをビデオメッセージで送ったが、一般の参加者に対しては後日、日本会議事務局から会員として勧誘する封筒が届けられる仕組みになっていた。

 しかし、こうした集会における“表の顔”は、櫻井よしこら文化人や保守論壇で活躍する大学教授などの知識人が担っている。なぜか。

「日本会議に集う文化人や財界人は、社会向けの権威付け、つまり広告塔にすぎません。ここにも日本会議が“宗教団体の連合体”であることをひた隠しにしたい強い意思が垣間見えます。この“徹底した秘密主義”が日本会議の特徴です。実際には、日本会議の役員には神社本庁、霊友会、佛所護念会、崇教真光、念法真教、黒住教、倫理研究所、モラロジー研究所などの宗教団体幹部が数多く名を連ねています。こうした宗教団体は、私が日本会議周辺を調べ始めた18年前から信者を秘密のうちに大量に動員していましたよ。そして、その巨大な動員力を見せびらかしてロビイングすることが日本会議の政界への影響力に直結しています。当然、投票への期待につながるからです。これらの諸団体や多面的な運動を統括するのが、事務総長の樺島有三ら生長の家の旧学生グループ、日本青年協議会です。彼らが事実上の日本会議の事務方ですが、普段は決して表にでてこない。この秘密主義は“意外な効果”をもたらしています」

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『新・ゴーマニズム宣言』第6巻(小学館)、88ページより抜粋。日本会議・大阪の設立集会の翌日行われた「つくる会」シンポでほくそ笑む著者の小林よしのり氏


■日本会議を語るときに忘れられがちな「教育」問題

 日本会議の結成は1997年。元号法制化運動などを行ってきた「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」という二つの右派団体が合流してできたものだ。この1997年は、「あたらしい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が始動した年でもある。「自虐史観を払拭する」教科書の採択運動のために、藤岡信勝や西尾幹二を中心に発足した「つくる会」は、一見、保守系知識人・文化人の雑多な集まりのようだが、上杉はその背後に隠れる宗教右派の匂いと日本会議の影にいち早く気が付いていた。

「1998年の6月6日に、日本会議・大阪の設立集会が大阪市北区の大阪市中央公会堂で開催されました。私は、自分で行くことに危険を感じ、友人に集会の偵察へ行ってもらったのですが、後で報告を受けて驚きましたよ。日本会議の集会のロビーには宗教団体ごとの受付窓口があって、入手した役員名簿を見ると約4割が一目で宗教者とわかったからです。会場は1400名超の満員でしたが、その大半は宗教団体の組織動員によってもたらされたものと考えられます。そしてその翌日、同じ場所で『つくる会』のシンポジウムが行われた。参加者は1700名ぐらい。前日の日本会議の集会に、小林よしのりが来るというので若者が新たに300人くらい加わった数でした。そこで私は『両者は裏で繋がっていて、大半はほとんど同じメンツが来ているのではないか?』と仮説を立て、日本会議を調べ始めたのです」

「つくる会」創設メンバーのひとりである漫画家・小林よしのりは、このときの様子を〈当日は超大入り満員!〉〈すごい熱気なのである〉と書き、〈流れが変わり始めてるな…!〉とほくそ笑んだ(『新・ゴーマニズム宣言』第6巻/小学館)。しかし、それは本当に「時代の流れ」だったのか、上杉は疑義を呈す。

「調べていくうちに、教科書以外の集会でも日本会議に所属する宗教団体が信者を組織動員していることがわかってきた。2003年1月には、『つくる会』の主要メンバーが日本会議と協力して『「日本の教育改革」有識者懇談会』(民間教育臨調)という団体を立ち上げます。これは、教科書問題と隣接した教育基本法の改悪を目的とする組織です。東京で1200人を集めました。その中心となって全体を統括していたのが生長の家出身者です。そしてやはり、民間教育臨調の“裏の事務局”は日本会議であり、集会の聴衆も関東の宗教団体を組織動員した形跡が見られました。日本会議が宗教右翼に支えられていると確信しました。東京でも、大阪の1997年の集会と同じ構造で右派運動が作られていたんです」

 こうした研究の成果を、上杉は「『宗教右派』の台頭と『つくる会』『日本会議』」(「戦争責任研究」2003年春号)にまとめ、発表した。当時「時代の流れ」とさえ思われていた右傾化の動きが、匿名化した実働団体によって作り上げられていたことを暴露したのだ。先行研究がほとんどなく、情報の断片を集めてつなぎ合わせる作業は困難を極めたという。「宗教団体が日本会議の名のもとに集結し運動を行っているなんて、誰も信じてもらえないだろうと思っていました」と上杉は述懐する。

 だが、2006年の「つくる会」分裂騒動で、実際に「つくる会」内部で日本会議がかなりの実権を掌握していたことが露呈。「つくる会」はその後の運動方針をめぐって“藤岡信勝派”と“八木秀次派”が激しく対立、覇権を争って幹部の解任人事が相次ぎ、怪文書まで乱れ飛ぶ事態となったのだが、このとき八木秀次を担ぎ上げたのが、日本会議のメンバーの宮崎正治事務局長(当時)と4名の理事、つまり「つくる会」の中の“日本会議派”だった。

「扶桑社から出されていた当時の『つくる会』教科書は、2005年の2度目の採択でわずか採択率0.4パーセントという惨敗に終わりました。そこで藤岡たちは、打開策としてより激しい攻撃的な運動、つまり教育委員会に恫喝をかけてでも採択を進めるべきというようなことまで主張した。しかし宮崎たち日本会議派は、右翼性を隠して静謐で中立的に装ったほうが教育委員会にも受け入れられやすいと考えた。この対立する路線をめぐって『つくる会』は真っ二つに割れたのです」

 藤岡信勝が裏についた当時のつくる会名誉会長・西尾幹二は、のちの対談本で日本会議を裏であやつる元生長の家学生グループの日本青年協議会を「カルト」と指弾し、分裂騒動時には〈日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて〉、元生長の家活動家の理事4人に〈会はすんでのところで乗っ取られかか〉ったとまで語っている(『保守の怒り』共著・平田文昭/草思社)。結局、この分裂騒動の後、日本会議派は八木秀次を理事長として「日本教育再生機構」(「教科書改善の会」)を設立。現在、扶桑社の教科書部門を独立させた育鵬社から教科書を発行している。

「育鵬社版教科書はその後、採択数を増やし、歴史、公民ともに2015年の採択では、その前の回の約1.5倍の大幅増を果たしました。その結果、業界でのシェアはいま、第5位につけています」

 育鵬社版教科書をめぐっては、最近、興味深い“事件”があった。前述した菅野完の著書『日本会議の研究』の発売直前に、日本会議事務総長・椛島有三の名義で、版元の扶桑社に出版差し止めを要求する申し入れ書が送りつけられたのである。菅野はその一部をツイッターで公開したが、冒頭には〈日本会議では、扶桑社・育鵬社が発行する中学校教科書、季刊「皇室」など貴社の各種刊行物の普及拡販に協力してきた〉と明記していた。おそらく版元に対する一種の恫喝が目的だろうが、はからずも、日本会議が長年にわたって教科書運動の中心的役割を果たしてきたことを当事者が暴露した形だ。

「日本会議がこれほどまでに教育に力をいれてきたのは、若者の精神性を改造し、彼らが目的とする憲法改悪と、そのもとで軍事をになう若者をつくるために他なりません」
 
 第一次安倍政権が教育基本法に「愛国心」を盛り込んだ改正をおこなったことについて、2007年当時、日本会議会長だった三好達は、雑誌のインタビューで「日本会議の十年の運動の中で最大の成果」と最高級に評価した。さらに三好は、日本会議が与党案に対して「国を愛する心」「宗教的情操の涵養」を挿入させ、「(教育行政の)不当な支配」という文言の削除を求めた結果、〈日本会議も受け入れられるような答弁〉を政府解釈として引き出したと誇らしげに語り、「教基法改正は改憲の世論形成のだめだ」と明言している。さながら国民を洗脳する“現代の教育勅語”だ。

〈「愛国心」や「伝統の尊重」「公共の精神」を謳った新しい教育基本法に基づいて道徳、国語、歴史教育をしっかりと受けた国民を増やしていく教育改革を進めていくとともに、これまで同様、草の根の国民運動の輪を広げていく地道な活動が必要です。〉
〈つまり内容で安易な妥協はしないけれども、多くの国民に支持されるような憲法改正案としなければならないわけです。これは実に難しい。だからこそ新教育基本法に基づいた国民教育を充実させていきながら、本当に日本国にふさわしい憲法改正案を作成できる世論を形成していくことが重要となってくるのです。〉(「正論」07年11月号/産経新聞社)

■日本会議の改憲「論拠」を打ち砕く

 このように日本会議は“結成元年”から「教育改革」の名のもと、畑を耕し、改憲の種をまいてきたのである。そして、約20年という時間を経て、ついにいま、安倍政権下でその悲願が結実する一歩手前までたどり着いた。上杉が力を込める。

「そう、行き着くのは憲法改正。日本会議について語るときに、これを避けては通れない。そして、その論拠を批判する必要もあります。彼らの改憲論理の中核は、育鵬社社会教科書にもあらわれている『押しつけ憲法論』です。戦前日本の皇国史観を排し、政教分離を徹底し、侵略戦争の手段を放棄した9条、これらからなる日本国憲法は過去の反省に基づいたものですが、日本会議はむしろ明治憲法的な価値観に懐かしさを感じている。ゆえに、日本国憲法に対し『日本人が作ったのではない』なる“神話”を用いて攻撃を繰り返すのです。しかし、いまの憲法が『日米合作』であることは誰がどう見てもあきらかです。それは、日本国憲法の最終案を見れば瞭然です」

 『日本会議とは何か』の44〜45ページに上杉は、国立公文書館に所蔵されている「日本国憲法最終案」の画像を大きく掲載した。

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『日本会議とは何か』44〜45ページより、国立公文書館所蔵の「日本国憲法最終案」の抜粋


 黒字になっているのは、GHQ案をもとに日本政府が帝国議会へ提出した改正案。その上から赤字で修正している大半の部分が、当時の衆議院と貴族院によるものだ。前文にも9条にも、徹底して細かな修正を加えていることがわかる。1946年10月7日、議会はこの最終案を枢密院へ提出。同年11月に日本国憲法は公布された。

「この文書こそ『日本会議とは何か』における“命”のページと言ってもいい。赤い文字は誰が書いたのか。日本のそれまでの歴史のなかで、もっとも民主的な選挙で選ばれた国会議員が書いたのですよ。日本人みんなが、書かせたんです。これを単純に『押し付け』だなんて言えるものですか。日本会議も安倍首相も“違憲の疑いをかけられている自衛隊を、はっきり新憲法に明記しよう”と叫びます。しかしマッカーサーのスタッフたちが草案を作成する過程で、すでに自衛戦争の放棄を取り消し、日本側も現行の9条の2項に《前項の目的を達するため》といういわゆる芦田修正を施しました。これが専守防衛の根拠です。だから、日本会議と安倍政権が仕掛ける世論誘導に騙されてはいけないし、護憲派はそうした改憲派の論拠を徹底してつぶしていくべき。いつまでも『憲法は自衛権をすべて否定している』という絶対平和主義の牧歌的な考え方のままでいれば、結果的に日本会議の思う壺ですよ」

■あらためて日本会議とは何か?

 参院選で改憲勢力による3分の2の議席を獲得すれば、安倍首相は間違いなく任期中の改憲発議に打って出る。この危機感をどれだけの人が共有しているだろう。そして、その時が刻々と迫っている状況のなかで、私たちは日本会議の存在をどのように捉えればいいのだろうか。一方で「政権を裏であやつっている秘密組織」のような謀略集団的なイメージで語られ、一方では「単なる草の根保守運動にすぎない」という意見まである。率直に尋ねると、上杉はこう答えた。

「私は、ある種の“陰謀論”的な見方も、“普通のおじさんたち”という見方も、どちらも完全に当を得ているわけではないと思います。たしかに日本会議の動員力と地方まで張り巡らされたネットワーク力を見くびることは決してできません。その集団の構成員の大半は純朴な信者か一般市民であることも確かです。しかし、その中心には元生長の家グループという核がいます。ただ、彼らはせいぜい歴史的な立場での共通性を持っているにすぎません。だから『日本会議』と言った場合に、政治的な傾向は戦前回帰的なものに近いけれども、アベノミクスの是非を含む経済問題や、日米関係など国際問題はまた別の話です。また、現内閣の閣僚の約7割が日本会議の議連に属しているからといって、安倍政権の政策の70パーセントが日本会議に支えられているなんてこともあり得ません。たとえば、日本会議の議員連盟の会費は年間で、国会議員であっても1万円にすぎません。付き合いで入っている人も大勢います。そうしたなかで、日本会議がどのように思おうが、万力のような強い国際関係や経済問題について安倍政権にできることとできないことがあります。ですから、冷静な見方としては、日本会議はすべての分野で影響力を行使できるはずがない。一方で、安倍も選挙基盤として日本会議を切ることはできませんから、その意味で安倍晋三は、多重人格的に振舞わざるをえませんよね」

 そう“日本会議の限界”を指摘したうえで、上杉は「本体を隠しながら課題別の実働団体を駆使する手法」を単眼的に見るのではなく、「右派運動の総合商社、あるいはデパート」として全体的に把握すべきだと繰り返し強調する。そして最後に「日本会議の弱点」について、こう示唆してくれた。

「彼らが『日本会議』という看板を表に出そうとしないのは、ものすごい“後ろめたさ”を抱えていることの証左でもあります。この“後ろめたさ”こそ、彼らの最大のウィークポイント。だから、メディアは彼らをどんどん陽のもとに当てたらいいのですよ。彼らの実態は宗教団体でありながら、目的外の活動をやっているんです。政教分離違反です」

 18年前から日本会議とその周辺を追ってきた上杉聰。研究を始めたころは孤立感さえ感じたというが、第二次安倍改造内閣の発足以降、朝日、東京、神奈川新聞など新聞メディアもその動向を積極的に報じるように変わった。そして、ジャーナリストや在野の研究者たちが次々と各媒体で論考を精力的に発表するようになり、インターネットでは急速に日本会議の名前が取り上げられるようになった。

 この“日本会議ブーム”を一過性に終わらせてはならない。ひとつの見方に固執するのではなく、日本会議と安倍政権がいよいよ改憲の目前まで迫ってきているという事実を強く意識しながら、今後も継続的に様々な視点から連中を追及していく必要がある。
(梶田陽介)

最終更新:2016.06.21 02:08

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