ろくでなし子逮捕は不当だ! もうこれ以上“まんこ”を虐げるな!

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 このように上記に挙げたふたり以外にも、女性アーティストによるまんこアートはさまざまな局面で物議を醸してきた。だが、問題はまんこに限らない。女性が男性のヌードやペニスをテーマにすることも、西洋美術界ではタブーとされてきた歴史があるためである。

 それを象徴するかのような一枚の絵画がある。18世紀後半にヨハン・ゾファニーが発表した《ロイヤル・アカデミーの会員たち》という作品だ。この絵には、2名の男性ヌードモデルのまわりにロイヤル・アカデミーの会員たちが集まって、芸術論議に花を咲かせている様子が描かれている。しかも登場する人物は実際の会員たちで、「一人一人全てが特定できるほど」だという。だが、女性会員だった2名だけは、なぜか「教室の壁に掛かった肖像画の中に、ポートレートとして描かれている」のだ。なぜなのか。それは、当時の女性たちは「《オブジェとして裸の男性》はおろか、同性たる女性をも、デッサンしたり記録したりする」という活動に、参加すること自体を禁じられていたからだ。

 ここで気になるのは、では一体、男性たちはどのように女性器を描いてきたのか、という点だ。前出のサントロが指摘するように、「伝統的な西洋古典絵画」では「女性性器と体毛はきれいに消し去られ」ており、ついでに腋の下にも毛が生えていない。その理由について、イギリスの評論家であるジョン・バーシャーは、「体毛は情欲と性的な力に結びついている。女性の性的情熱は、鑑賞者に彼がその情欲を支配しているような感覚を抱かせるために最小限におさえる必要がある」と説明している。これは、本書が論及しているように、「第一の鑑賞者として想定されたヘテロセクシュアルな男性の性的欲望を損なわないために消し去られ」ているということになるだろう。

 この西洋の男性作家による古典女性器表現や、《ロイヤル・アカデミーの会員たち》の絵に象徴されるのは、女は「芸術の対象」でしかなく、男性はつねに「見る」立場であり、女は「見られる」立場である、ということだ。もちろん、こうした「男性中心的なイデオロギーの文化」は、21世紀の現在も色濃く残っている。

 まるでアダルトビデオのモザイクのように、男性の手によって神秘的なヴェールをかけられてきた女性器。それを女性自身が作品のテーマに選び、男女間の「支配/被支配」といった権力構造をあばいたり、セクシュアリティの多様性を訴えることの、何が“わいせつ”で“下品”だというのだろうか。

 ろくでなし子氏は、先日行われた日本外国特派員協会の会見で、このように話している。

「女性器は、女にとっては生理・セックス・妊娠・出産と、自分の肉体の一部としてあまりにも身近なものです。それが“わいせつ”という言葉によって、女性の持ち物であるにも関わらず女性器がどこか遠い存在になっている」
「卑下でも礼賛でもなく、女性器のイメージをもっと中庸なものにしたい」

 ろくでなし子氏の作品を“わいせつ”だと思う感受性──これこそが、長きにわたって女性の性的支配からの解放を阻んでいる元凶のひとつではないだろうか。
(田岡 尼)

最終更新:2014.08.22 05:40

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