長谷部誠、北島康介が語った戦争の犠牲になったアスリートへの思い! 陸上・朝原宣治はスポーツの政治利用に危機感を表明

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Nスペ『戦争と“幻のオリンピック”』(NHK公式サイトより)


 敗戦から74回目の夏を迎え、今年も戦中の日本について扱う終戦特集企画が各メディアで組まれた。なかでもNHKは意欲的な番組を多数放送していたが、そのなかには、来年の東京オリンピック開催を見据えてなのか、「スポーツと戦争」をテーマにした企画もあった。8月18日放送のNHKスペシャル『戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い』がそれだ。

 この番組では、北島康介選手、長谷部誠選手、朝原宣治選手、3人のオリンピック出場経験のあるアスリートが、戦時中の日本のスポーツ界に起きていたことを学んだ。戦時中のオリンピック選手たちは、戦争によってアスリートとしての未来を絶たれ、なかには、スポーツ選手としての名声を戦争のために利用された人までいたのだ。

 まず、長谷部がナビゲートしたのは、1936年のベルリンオリンピックに出場したサッカー選手。このとき、日本のサッカーは初めてオリンピックに出場したのだが、優勝候補のスウェーデンを相手に逆転勝利をおさめ、その試合は「ベルリンの奇跡」として呼ばれた。

 この試合で逆転ゴールを決めた松永行選手が卒業した静岡県立藤枝東高校の後輩に当たるのが長谷部選手だ。長谷部選手はスウェーデン戦の映像を見て当時の選手たちの技術を評価、さらに松永選手が書き残した戦術に関する文章を読み、そのレベルの高さに驚く。

 サッカーの指導者を目指していた松永選手だが、戦争によってその夢は絶たれた。松永選手は陸軍に入隊後、ガダルカナル島で戦死したからだ。また、ベルリンオリンピック代表選手の半数が軍隊にとられ、そのうち4人が戦死している。その歴史を知った長谷部はこのように語った。

「同じサッカーを愛する人間としては非常に悲しい。この戦争によって優秀なサッカー人の方々を失ったというのは、物質的なものもそうなんですけど、そのときだけ失うのではなくて、そこに穴、大きな空洞ができたと思いますね、日本サッカー界にとって。戦争というのは二度と起こしてはいけないものだと思うし、そういうものを改めて感じます」

 戦争によってアスリートの未来が絶たれたのはサッカーだけではない。

 北島康介がナビゲートしたのは、戦争によって競技の場を奪われた水泳選手たちの存在だ。

 水泳は当時から日本にとって得意な競技で、世界的にも優秀な選手を多数輩出していたが、戦争が始まると水泳選手たちは集中してトレーニングをおこなうことができなくなった。軍は水泳を兵士の基礎訓練のひとつとして重要視し、オリンピック選手も指導役として駆り出したからだ。

 水泳日本代表の監督を務めた経験もある大日本体育協会の松澤一鶴事務局長は、スポーツを国家への奉仕や貢献のために利用しようとする国の姿勢に反発。「戦争に必要なものだけやればいいという考えはとても非文化的じゃないか。スポーツには人間的錬成を図るという、もう一つ高度な理念がある」という言葉を官僚にぶつけたこともあるという。

 しかし、彼の掲げるスポーツの理念は戦争が泥沼化するにつれてどんどん軽んじられていくことになる。

 1940年におこなわれる予定だった東京オリンピックは戦争によって返上されたが、その後、どんな種類の大会であろうとスポーツの競技大会をおこなうことはどんどん禁止されるようになっていく。

ヒトラーのベルリン五輪に参加した日本選手が受けた凄まじいプレッシャー

 そんななか、競技大会がなくなって目標を失った水泳選手たちのため、松澤事務局長は政府の方針に抗い「記録会」をおこなった。この記録会にはベルリンオリンピックの背泳ぎで6位入賞の成績を残し、東京オリンピックでの活躍を期待されていた児島泰彦選手も出場。ベルリンオリンピックでの成績(1分10秒4)を大きく更新する1分9秒2秒のタイムを出した。

 しかし、児島選手にとってそれは最期の泳ぎでもあった。児島選手は沖縄に送られて戦死。遺骨すら見つかっていないという。

 東京・北区にある記録会がおこなわれたプールの跡地を訪れた北島選手はこのように語る。アスリートとして練習に没頭でき、試合でその成果を発揮できる環境にあったことは幸福だったということに気づいたと述べたのだ。

「東京にオリンピックがまた戻ってくる。そのなかで少しでも前のオリンピックの歴史を知ることができたということが、僕のなかではすごく大きくて。結果を残せた選手は喜びだったりとか、感情は人それぞれだけど、自分の力をパフォーマンスできる場所があるということがすごく幸せなんだと改めて思います」

 戦争によって競技の場も命も奪われたアスリートたち。長谷部と北島は「スポーツが戦争に飲み込まれていく悲劇」に触れて、平和への思いを新たにしていた。これらのエピソードからも戦争がいかに残虐で罪深いものか伝わったが、ただ、こうした悲劇をあくまでも「過去」の話として捉えられていた。

 そんななか出色だったのは、北京オリンピックの400メートルリレー銀メダリストである朝原宣治選手だ。朝原選手は、スポーツと政治が結びつくことで生まれる悲劇を単なる過去の話でなく、「スポーツと戦争の近さ」について、現在に通じる問題としてその危機感を語った。それは、2020年東京オリンピックにもつながってくる問題である。

 朝原選手が登場したパートでは、陸上の鈴木聞多選手について取り上げた。鈴木選手はベルリンオリンピックの400メートルリレーに出場した人物。「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳選手のバトンを引き継ぐ第二走者としてオリンピックの舞台に立った。

 そもそもナチス政権下でおこなわれた1936年のベルリンオリンピックは、ヒトラーが国威発揚とプロパガンダに利用した近代五輪史上最大の汚点だが、日本にとっても国威発揚の場となった。「日本民族の力を世界に示す」ことを国民から求められ、すさまじいプレッシャーのなかで臨んだ試合では、理想的なタイミングより若干早くスタートしてしまい、吉岡選手と鈴木選手の間でバトンミスが発生。バトンの受け渡しが許されるエリアを越えたことで失格となってしまった。

朝原宣治「スポーツと戦争は近い」「スポーツはなにかに利用されるべきではない」

 ベルリンでの出来事について鈴木選手は〈惨めな敗者として終わってしまいました。何をもって御詫び致すべきか〉と悲痛な気持ちを書き残しているという。

 実は、朝原選手も似たような体験をしたアスリートである。朝原選手は1996年のアトランタオリンピックに400メートルリレーのアンカーとして参加した際、バトンミスで失格となっている。

 同様の体験をした朝原選手から見ても、鈴木選手が国民から負わされたプレッシャーはすさまじいものがあったと映ったようで、鈴木選手が書き残した言葉を読んだ後、このようにコメントした。

「私たちも国を背負って競技者としてやってきたんですけど、このころの選手というのはスポーツという域を超えた日本代表としてオリンピックに向かっていった。そういうなかでの失敗でしたので、ちょっといまの選手には想像つかないことだと思います」

 この後、東京オリンピックが返上となって挽回のチャンスもなくなった鈴木選手は陸軍に入隊。その際、新聞の見出しには〈苦しさを知らぬ快速隊長〉〈部隊の至宝〉といった言葉が躍る。オリンピック選手としての名声を軍は利用したのである。

 中国内陸部の山岳地帯に送られた鈴木選手は俊足を買われて偵察を担当させられ、そして、1939年7月、河南省北部の山岳地帯で手りゅう弾を受けて命を落とした。

 この死も軍に利用された。新聞では〈さすが“五輪”の花形〉〈鈴木君 壮烈な散華 オリンピックの名選手〉といった見出しで報じられ、その死は戦意昂揚のため、勇壮な美談として国民に伝えられたのだ。

 鈴木選手の墓を訪れ、墓石に〈皇国青年の士気を昂揚す〉と刻まれているのを見た朝原選手は「自分のすべてを懸けてスポーツ競技に向かっていった先が、戦争にそれを代えて向かっていくことになると悲しいと思う。当時の鈴木選手のことを考えると、もしかしたら、日本の代表という意味では、スポーツと戦争は近いものがあったのかもしれない」と感想を漏らし、スポーツが政治利用されることに関して、このような憤りを述べた。

「やはりスポーツはなにかに利用されるべきではないと思います。それが健全なかたちであって、その世界で私たちはアスリートとして頑張ってこれたんだなって改めて思いました」

 太平洋戦争中のようなかたちではないにせよ、「スポーツの政治利用」は現在の日本でも続いている。スポーツがナショナリズムを焚き付ける道具に使われる状況は変わっていない。

ナショナリズムを煽り、オリンピックへの批判や異論を許さないメディアの罪

 とくに、メディアがそのグロテスクな構図をつくりだしている。オリンピックの時期になると、地上波テレビを中心に、競技の内容はそっちのけで日本選手の活躍ばかりが報じられるのはご存知の通り。

 アナウンサーやコメンテーターによる「日本勝った!」「日本頑張れ!」といった叫び声が響き渡る傾向は、日本社会の右傾化・ガラパゴス化・内向き志向の強まる近年どんどんひどくなっているが、もちろんそれは選手たちに試合への集中を阻害するような強いプレッシャーを与えることにもつながっている。

 こうした傾向に苦言を呈する声も多い。たとえば、ジャーナリストの青木理氏は、リオデジャネイロオリンピックにおけるメディアの報道を問題視し、〈スポーツをめぐって奏でられるナショナリズムは、しばしば「健全なナショナリズム」などと形容される。ナショナリズムに「健全」なるものがあるかどうか私は怪しむが、スポーツのナショナリズムだってしばしば醜悪なものへと容易に転ずる〉(「サンデー毎日」2016年9月4日号/毎日新聞出版)と書き記している。

 こうした苦言は、オリンピックの大会運営に関わった経験のある人からも出されている。

 1964年の東京オリンピックで大会組織委員会のメンバーに入っていた吹浦忠正氏は、「調査情報」(TBSメディア総合研究所)2014年11月12日号に寄稿したエッセイ「巨大化したオリンピック──商業主義とナショナリズムの抱擁」のなかでこのように書き記し、2020年東京オリンピックが「スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てること」「人類の尊厳保持」「平和な社会の実現」といったオリンピズムの目標に即した大会となることへの希望を述べている。

〈ベルリン大会(1936年)で典型的に行われた「スポーツへの政治介入」や「スポーツを利用した政治」は気を付けないと繰り返されかねない。大会誘致に「政府保証」だの「IOCの総会に最高首脳が出席する」などといった事態はスポーツ界が政治を導入してしまったというほかない〉
〈商業主義とナショナリズムの奇妙な抱擁がいまのオリンピックを支えていると思う。この商業主義とナショナリズムをより健全な形に抑えてこそ、オリンピックが継続できる人類共通の遺産となろう〉

 前述したNHKスペシャル『戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い』の最後には、長谷部選手が「戦争や紛争、いろんなものから逃れて、サッカーができなくなるとか、そういうものは現代でも目の当たりにしていますし、悲しむことは誰でもできると思うんですけど、そこから学んで次につなげる、そして、それを忘れないことですね」と語っている。戦時中に起きたことは、現在・未来の問題でもあるのだ。

 この国はかつて、スポーツをナショナリズムを煽る道具として使い、参加したアスリートに無用なプレッシャーを与えた。のみならず、彼らの能力や名声を戦争遂行のために使った過去さえある。

 東京オリンピックを翌年に控え、スポーツがナショナリズムの道具として使われる危惧が高まる一方、オリンピックに対する批判や異論が封殺されている現在、このような番組が放送されたことには価値がある。

 私たちはこの国がもつ醜い過去を直視し、オリンピックが愛国心を煽る道具となる昨今の状況に抗わなければならない。

最終更新:2019.08.21 11:54

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