“男系男子の皇位継承”は明治期の創作! 旧皇室典範策定時に「男を尊び女を卑むの慣習、人民の脳髄」とトンデモ論で女性天皇を否定

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皇室典範改定で自民維新が死守した男系男子は日本の伝統ではない! 明治時代に仕掛人が語っていた「男を尊び女を卑むの慣習」の画像1
宮内庁HPより


 皇室典範の改定が17日参院本会議で可決され、成立した。世論調査で圧倒的に支持されている女性天皇・女系天皇については議論すら一切されることなく、専門家・識者からも様々な問題点が指摘され、国民の理解もまったく得られていない「旧宮家の男系男子養子案」を、高市政権が数の力で押し切ったのだ。

 改定を受け、同日、国連のグテーレス事務総長が「全ての国に対し、あらゆる地位や職業において女性の権利向上につながる包摂的な政策を奨励する」との見解を示したが、当然だろう。

 女性天皇を阻止し、男系男子を維持するためだけに、天皇から36親等から38親等も離れた民法上の「親族」ですらない赤の他人を養子として皇族に迎えるというのは、時代錯誤のトンデモ改定でしかない。

 しかも、今回の皇室典範改正は、国際社会の常識からみて異常なだけではない。右派が大好きな“日本の歴史・伝統”からみてもインチキ極まりないのだ。

  実際、自民のコバホークこと小林鷹之政調会長が「皇位の男系継承は2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統」と言ったり、維新の藤田文武共同代表が「2000年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか60年あまりの歴史しか持たない憲法や移ろいやすい世論を同時に論じることはナンセンスでしかない」という安倍元首相の言葉を引いて発言したように、右派は男系男子にこだわるほとんど唯一の根拠として「男系男子は神武天皇以来2600年以上続く伝統」と主張してきた。

 そもそも2600年前は縄文時代であり、神武天皇は実在しない神話上のキャラクターにすぎないというツッコミはおくとしても、この「男系男子=日本の長い伝統」という論自体が大嘘なのだ。

 天皇が「男系男子」と規定されたのは、明治時代、1889年に制定された旧皇室典範(1889〜1947)でのことだ。せいぜい明治からの伝統にすぎない。

 これは単に明文化されたのが明治というレベルの話ではない。男系男子による継承が暗黙の不文律だったわけでも日本古来の伝統だったわけでもないことを多くの学者・専門家が指摘している。

 高市政権による皇室典範改定がいかにとんでもないものだったかを理解してもらうためにも、改めて歴史的に検証しておこう。


「男系男子は2600年以上続く皇統」の嘘 6世紀までは力による継承も、初期は「双系」

 まず、指摘しておかなければならないのは、日本の天皇がそもそも6世紀くらいまで、男系男子どころか血縁による継承ですらなかったということだ。

 たとえば、国立歴史民俗博物館の仁藤敦史名誉教授は毎日新聞(7月1日)のインタビューで、こう語っている。

〈「天皇」という称号の前の「大王(おおきみ)」の時代は、血縁ではなく実力によって即位してきた。たとえば中国大陸や朝鮮半島の勢力と緊張関係にあった5世紀には外交や軍事の能力が最優先された。武烈天皇の没後、出自が明らかでなく、都から遠く離れた近江・越前に拠点があった継体天皇が即位したのもこうした経緯からだ。その後は内政の能力が重視された。〉

 継体天皇というのは歴史学で実在が確実視されている26代の天皇で、先代の応神天皇と関係が薄いことから、王朝交代が起きたとする見方と遠縁の子孫が迎えられたとする見方があるが、いずれにしても「皇統」が確立されたのは継体天皇の子・欽明天皇からという説が有力だ。継体天皇は天皇の娘と結婚することでその正当生を担保し権力基盤を固めたと考えられており、その意味で皇統はごく初期の時点で女系だったとみることもできる。

 しかも仁藤教授によると、男系主義が強まるのはそのさらに後の7世紀後半から。〈中国的な戸籍制度や儒教の影響などのためだ〉という。

 古代女性史を専門とする義江明子・帝京大名誉教授も、やはり男系主義が導入されたのは7世紀末で、やはり中国の影響を指摘する。デジタルメディア「nippon.com(ニッポンドットコム)」(2022年5月26日)のインタビューでこう語っている。

「7世紀末、中国にならった律令国家樹立の際に初めて公式に父系原則が打ち立てられました。8世紀あたりまでは、支配層も含め、実質的にはまだ双系性の原理で動いていたと私は考えます」

 双系というのは、父系(男系)か母系(女系)どちらか片方の血筋のみを重視するのでなく、男系・女系の血統両方を重視する考え方や制度のことで、古代日本は「双系的社会」であったという認識が、現在は歴史学者の間では広く共有されている。
 
 周知のように6~7世紀の王族は双系的親族関係の中での近親婚が盛んで、男系・女系のいずれを遡ってもすぐ天皇にたどり着く。王族や豪族のなかでの序列やポジションの決定には、男系だけでなく女系の血統も重視された。たとえば、同じ天皇を父親とする子でも、母親が天皇の娘か地方豪族の娘かによって、その子の身分や序列が変わっていた。

義江教授は聖徳太子や天智天皇、天武天皇を挙げ、当時の「双系性」について解説している。

「例えば『書紀』によれば、聖徳太子は用命天皇の息子ですが、母も欽明天皇の娘です。『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』に記された太子の系譜を見れば、双方の系統を重視していることは明らかです」
「7世紀後半の天智天皇・天武天皇の父である舒明天皇は、2人が少年の頃に亡くなっています。母が跡を継いで皇極天皇として即位。いったんは退位しますが実力で再度、斉明天皇として皇位に就きました。後に天皇となる兄弟が成長する過程で、国家統治者としての手本を見せたはずです。とすれば、天智・天武はむしろ女系の天皇だとも言えるでしょう。また、両親(舒明・皇極)はそれぞれ、父方・母方双方で欽明天皇につながります」

大宝律令では女性天皇も女系天皇も排除されていなかった 男系男子のルーツは中国の文化

 男系が絶対的なものでなかったのは、日本の「家」制度の歴史を見ても明らかだ。

 家族社会学を専門とする落合恵美子京都産業大学教授は、毎日新聞(6月27日)のインタビューで、やはり〈日本の家族観は厳密な父系(男系)制ではなく、女系も重んじられる双系的なものとして続いてきた〉としたうえで、中世から近世にかけて成立した日本の「家」制度においては、「直系相続」が特徴だったと指摘している。

〈『家』の論理では、直系の娘の方が、別の『家』の子であるおいよりも、はるかに正統な跡取りです。おまけに直系の子どもの数は限られているので、娘による相続を認めなければ『家』は簡単に滅びてしまいます〉

 たしかに、これは感覚としてしっくりくる人も多いのではないか。当の自民党議員だってそうだろう。自民党には世襲政治家が大勢いて、もちろん息子が世襲しているケースが圧倒的に多いが、小渕優子、加藤鮎子など娘のケースも少なくないし、加藤勝信のように娘婿が後を継いでいるケースもある。しかし、30親等まではいかなくても6親等離れた親戚の男子をわざわざ養子にして後継候補にした例など聞いたことがない。

 落合教授は〈琉球士族と、武家のなかでも最上層に位置する大名家〉は例外的に父系傾向が強かったと言い、その理由について〈中国文化の影響を強く受けたから〉〈中国の親族制度には「家の継承者は基本的に同じ姓の男子であるべきだ(異姓不養)」という考え方があった〉と解説する。

 中国文化の影響については、前出の仁藤教授や義江教授も「中国的な戸籍制度や儒教の影響」(仁藤教授)「中国にならった律令国家樹立の際に初めて公式に父系原則が打ち立てられました」(義江名誉教授)と指摘していた。

 ようするに、右派が声高に主張する男系男子は日本古来の伝統文化ではなく、むしろ彼らが毛嫌いしている中国文化にルーツがあったというわけだ。

 しかも、日本では、中国文化の影響で男系化・父系化が強まりつつも、女性天皇が認められていた。

 周知のように、日本の歴史では、推古天皇、斉明天皇、持統天皇など古代に6人、江戸時代に2人、計8人の女性天皇が存在した。

 明治以降「女性天皇は男性から男性への継承が難しかった際の、臨時の中継ぎ役」という見方が支配的だったが、近年、歴史学ではこの「中継ぎ」「お飾り」説も再検証が進み、否定されつつある。とくに古代の女性天皇は、中央主権体制や律令国家の確立に大きな役割を果たしているし、右派の大好きな「戸籍」の作成や「古事記」「日本書紀」編纂で天皇支配を強化したのも持統天皇だ。

 さらにもうひとつ指摘しておかなければならないのは、女性天皇だけでなく女系天皇という選択肢も、奈良時代から近世までは、排除されていなかったという事実だ。

 そのことを示しているのが、701年に成立・制定され、明治初期まで存続した大宝律令の「継嗣令(けいしりょう)」だ。

 皇族の身分や皇位継承について定めたこの法令には〈女帝子亦同〉という記述があり、「女帝の子もまた同じ(=女帝の子も、男性の天皇の子と同じく親王の身分となる)」と規定されている。つまり、男系による継承を前提としながらも、女性天皇も女系天皇も否定していないのである。律令制度は平安時代後半には衰退するが、継嗣令の規定は江戸時代、そして明治に入って旧皇室典範が制定されるまで、廃止されることなく続いていたという。

 前出・仁藤教授は「継嗣令」についてこう解説する。

〈奈良時代から近世まで存続した「継嗣令(けいしりょう)」では、女帝の子も皇位継承権が認められていた。確固とした皇位継承原則はなく、女系天皇が制度的に排除されていたわけでもなかった〉(前出・毎日新聞)


明治の旧皇室典範の策定時にあった女性天皇を認める案 井上毅が「男尊女卑」思想で排除

  では、なぜ「日本の伝統」でもなんでもない「男系男子による皇位継承」が絶対的なものになってしまったのか。

 さまざまな分野の学者が共通して指摘しているのが、明治時代、旧皇室典範が制定される際にそれが恣意的に行われたという事実である。

 明治時代の旧皇室典範は大日本帝国憲法と同じ1889年に制定・施行されるが、実は当初の案では女性による皇位継承を認める内容だった。

 民法を専門とする橋本有生・早稲田大学准教授は、2021年12月の有識者会議でヒアリングをされた際、以下のように意見を述べている。

〈女性天皇をめぐる議論は目新しいものではなく、旧皇室典範制定時の諸資料にも検討の跡が残されている。 たとえば、「国憲按第一次案」(明治9年)の第二章「帝位継承」における第2条及び第4条は、女性による皇位継承を認める内容である〉

 しかし、この案は議論の過程で修正・削除される。それは、旧皇室典範策定にかかわった女帝否定論者の強硬な反対によるものだった。

 その中心にいたのが、のちに文部大臣も務めた法制官僚・井上毅(こわし)だ。井上は大日本帝国憲法や教育勅語の起草にも関わった人物だが、皇室典範制定でも主導的な役割を担い、いま右派が声高に叫んでいる「男系の皇統」という概念を広めた張本人だ。その井上が、当時、女性による皇位継承を認める第一次案についてこんな意見書を提出していたという。

「我国の現状、男を以て尊しとなし、之を女子の上に位せり」
「男を尊び、女を卑むの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは、多弁を費すを要せざるべし」

 ようするに「日本は男尊女卑の国で、国民の脳髄まで男尊女卑の思想が浸透しているから、女性天皇が不可なのは言うまでもない」と言っているのだ。

 今回の皇室典範改定をめぐっては多くの国民が、「女性天皇を認めないのって、ただの女性差別なんじゃないのか」と素朴な疑問を口にしていたが、まさにその疑問通り、露骨すぎる女性差別がベースになっていた。

 しかも、この旧皇室典範の思想は大日本帝国の軍国主義とも深く結びついている。

 井上は前述したように、旧皇室典範を作っただけでなく、大日本国憲法や教育勅語などにも深く関わっていた。井上の「神武以来の男系男子による継承=万世一系」「万邦無比の国体」というフィクションは、様々な法制度に落とし込まれ、祭政一致の国家主義、軍国主義の基盤となった。

 そして、そのグロテスクな思想に基づいて、「現人神の天皇陛下のために命を捧げる」ことを強制する教育が行われ、それが数々の侵略戦争を引き起こしたのだ。

右派の言う「皇室の伝統」は”2600年“どころか、日本国憲法より短いわずか58年間の制度にすぎない

 ここまでの解説で「男系男子は神武以来2600年以上続く日本の伝統」などではないことが十分おわかりいただけたはずだ。明治から昭和初期にかけての大日本帝国の時代の伝統にすぎない。明治初期1889年に旧皇室典範が制定され、戦後1947年に廃止されるまでの、わずか58年間だけのものなのだ。

 戦後に生まれた日本国憲法や、同じ年に施行された新しい皇室典範は、今年で79年。そういう意味では、右派が「日本の伝統」だと叫ぶ、大日本帝国下の天皇制度より、もはや戦後の象徴天皇制の歴史のほうが長いのだ。

 この事実を踏まえれば、改めて右派の論理がいかにインチキであるかがよくわかる。

たとえば、冒頭で、維新の藤田代表も引用していた安倍晋三元首相の「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(「文藝春秋」12年2月)という言葉を紹介したが、歴史的事実に照らせば、こう言い換えるべきだろう。

「79年の歴史しかもたない日本国憲法より、さらに短いたかだか60年足らずの歴史しかもたず、その短い期間で日本と皇室を滅亡の危機に追い込んだ“男系の皇統”というフィクションを、その滅亡の危機から80年かけて積み上げてきた象徴天皇制や戦後民主主義より、優先するとはとても正気の沙汰じゃない」

 正気の沙汰じゃないのは、もちろん安倍元首相だけでなく、今回、36親等以上も離れた民法上の「親族」ですらない赤の他人を養子として皇族に迎えるという時代錯誤のトンデモ皇室典範改定を強行した、高市首相や麻生太郎副総裁、維新・藤田代表らも同様だ。

 彼らに共通しているのは、日本の伝統や天皇に対する敬愛など、微塵もないということだ。

 参院特別委員会で「なぜ女性ではダメなのか?」「なぜ男系男子にこだわるのか?」を問われた木原稔官房長官が1分近く何も答えられなかったが、木原官房長官以外でも、高市政権でこの問いにきちんと答えた人間は一人もいない。

 それは彼らの本音が、とても口に出せるようなシロモノでないからだ。もっといえば、皇室を軍国主義、独裁体制構築に利用しようと女性差別丸出しの論理で男系男子の皇位継承を制度化した井上毅と同じだからだ。

 そういう意味では、今回のトンデモ改正は皇室の在り方にとどまる話ではなく、安倍政権から引き継がれてきた戦前体制の復活と、戦争で国民に血を流させる国づくりの号砲と言ってもいいだろう。国連に言われるまでもなく、白紙撤回を求めて徹底的に批判していく必要がある。

最終更新:2026.07.19 09:45

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