ルミネCMで、はあちゅうも炎上!「イケメンだったらセクハラにならない」問題を考える

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 言葉にしたのは、70年代に巻き起こったウーマン・リブを先導した、伝説の運動家・田中美津である。嫌いな男には触られたくないと拒否するし、だからといって好きな男に欲望される存在でありたいと思うことを否定する必要はない──田中はそう主張したのだ。

 田中がこのような言葉を口にしたのは、彼女自身が矛盾を抱える存在だったからだ。たとえば、田中の著書『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会)では、〈私自身の卑屈な例〉として、胡座をかいていたところに好きな男性がやってきて、とっさに足を正座に組み直したエピソードが紹介されている。

〈意識では、「女が、胡座をかいたっていいじゃないか」と100%思っている。ところが、好きな男が入ってきたらしい気配を感じただけで、考えるまでもなくからだが勝手に動いて正座になってしまった。女への抑圧って、かように身体化しているのか、いやぁ驚いたって思いました〉

 田中の世代の女たちは、男に好かれる女になること、男に選ばれる女になること、すなわち女らしい女になることを幼いころから徹底的に叩き込まれてきた。そうした男性の視線、男性の考える一方的な価値のなかでしか生きられなかった時代に、田中たちは自由に生きたいと立ち上がった。だからといって、男性に好かれたいという思いを、すぐさま消去できるほど人間は器用ではない。矛盾はさまざまな場面で立ち現れる。もちろん、男からだけでなく女からも、その矛盾は追及されてきた。

 しかし、田中はその矛盾を肯定した。矛盾し、引き裂かれる自分こそが、いつわらざる“いま、ここにいる私”だからだ。

〈あぐらから正座に変えた、そのとり乱しの中にあるあたしの本音とは〈女らしさ〉を否定するあたしと、男は女らしい女が好きなのだ、というその昔叩き込まれた思い込みが消しがたくあるあたしの、その二人のあたしがつくる「現在」にほかならない〉(『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』現代書館)

 田中はこの文章を約45年前に書き付けているが、いま、この時代にも、自分の矛盾にとり乱している女性はいるだろう。あるいはとり乱さないために、はあちゅうのように、消費される女性性を担保にして男社会の論理のなかでうまく立ち回りつつ、自分の価値を見出したほうがかしこいと考える女性もいるだろう。

 でも、田中が述べたように、とり乱していていいのだ。一貫性がないと罵られても、いま〈ここにいる女〉として、セクハラにはノーと言えばいい。

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いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

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