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天皇が「お気持ち」で危惧した“崩御による自粛”の実態とは? 昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が平成で再び
宮内庁「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」より
8月8日、ビデオメッセージのかたちで公表された天皇の「お気持ち」について、本サイトではそのなかに、安倍政権周辺から噴出する「生前退位反対論」への牽制が見て取れるとお伝えしたが、他にも見逃せない点がある。
それは、天皇自身が、その逝去に際する社会の状況について、強く懸念を表したことだ。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」(「お気持ち」ビデオメッセージより)
若い読者のみなさんはピンとこないかもしれないが、天皇が危惧する「社会の停滞」とは、1988年の昭和天皇の容態悪化から翌年の逝去、つまり「天皇崩御」まで日本全土を覆い尽くした、あの“自粛ムード”を指しているのは明らかだろう。
88年9月19日、昭和天皇が吐血。新聞各社はトップで「ご容態急変」と一斉に報じ、以降、まさに社をあげた「天皇報道」一色となっていくのだが、この時点ですでに、メディアによる“自粛ムード”は萌していた。
たとえば、新聞報道の翌日に後追いしたスポーツ紙の一面は、普段のカラー印刷ではなくモノクロ。また、週刊誌では9月27日に発売予定だった「女性自身」(光文社)が、グラビアページの天皇の写真を左右逆に掲載していることが判明し、回収のうえ発売中止になるという騒動も起きた。
そんななか、一般国民を巻き込んだ自粛を強く牽引したのは、やはりテレビだった。
「吐血報道」の数日後には娯楽番組などの中止や変更が多発。軒並み報道番組やドキュメンタリー番組に差し替えられた。それは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)などのバラエティ番組だけでなく、『全日本プロレス中継』(同)などスポーツ中継、はては『ひらけ!ポンキッキ』『おそ松くん』(ともにフジテレビ)『仮面ライダーBLACK』(TBS系)などの子ども向け番組にまで及んだ。他にも『笑っていいとも!』(フジテレビ)ではタモリによるオープニングの歌やダンスがとりやめになるなど、中止にならなくとも通常の状態ではない放送が長期間続いた。
さらにCMの改変も続発した。日産の自動車CMで井上陽水が「みなさーん、お元気ですか?」という音声がカットされたのは有名だが、工藤静香出演のロッテのチョコレートCMでの台詞「その日が来ました」なども差し替えられた。なかには新商品の「誕生」を「新発売」に言い換えるなど、明らかに過剰な対応もあった。
こうしたテレビの自主規制によって作り上げられた“自粛ムード”は、伝染病のように爆発的に全国に拡散していく。9月末ごろからは日本各地でお祭りやパレード、コンサートなどの各種イベントが相次いで中止となった。当時の報道などからいくつか具体例を挙げてみよう。
・神奈川県横浜市では、秋分の日に予定されていた横浜駅西口の名物行事「ヨコハマカーニバル」が中止。
・千葉県東京ディズニーランドでパレードの後の花火打ち上げが中止。また、ミッキーマウス生誕六十周年を祝うイベント「ミッキー・カー・オブ・ザ・イアー」が延期。ディズニーランド駐車場に一般参加者の車で巨大ミッキーマウスの絵を描く予定だった。
・千葉県印西町で開催予定だった「第一回コスモスサミット」が無期延期。
・長野県で行われる予定だった全国俳句大会(参加者約200人)が中止。
・福島県の会津秋まつりで、約7000人の小中学生が市内を練り歩く「提灯行列」と、3日間続けられる予定だった盆踊り大会が中止。
・静岡県静岡市登呂遺跡で行われる予定だった「第27回登呂祭り」が中止。例年、市民約10万人が参加していた。
・三重県伊勢市の「伊勢おおまつり」と「伊勢神宮奉納花火大会」が中止。
・佐賀県の県民体育大会開会式で、太鼓演奏やファンファーレなどが取りやめ。
・長崎県長崎市の諏訪神社で行われる予定だった秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊りが中止。
・プロ野球では、セ・パ両優勝チームのパレードが中止。なおパ・リーグは西武ライオンズが1位に輝いたが、恒例の西武デパート「優勝感謝セール」は行われなかった。
これはあくまでほんの一部だが、比較的規模の大きなものだけでなく、小規模な催しも次々と中止や延期、内容が変更になった。なかにはこんなものまで?と首を傾げるようなものも見受けられる。
・公開を控えていたオムニバス映画『バカヤロー!私、怒ってます』の宣伝として東京都港区で予定されていた「バカヤロー!言いたい放題コンテスト&試写会」が延期。配給の松竹宣伝部は「タイトルがタイトル。天皇の状態からみてまずいだろうと、思ったので」とコメント。
・特殊法人「住宅・都市整備公団」が予定していた新宿駅前の「ススキと月見だんごの街頭プレゼント」が中止。「新宿でひと足早いお月見気分を」と、ススキと月見だんご計1000セットを無料プレゼントするはずだったという。
・キッコーマンと子会社のマンズワインが開催を予定していた「マンズワイン祭り」「マンジョウまつり」が中止。ともに、ワインやみりんの工場で無料試飲、各種ショーを訪問客に披露する予定だった。なお、通常の工場見学は普段通り受け付けたという。
しかも、自粛の嵐は一般市民の生活にまで及んだ。学校の運動会や遠足、個人的な結婚式、クリスマスや正月行事なども中止になる異様な光景が広がった。年末にかけてパーティ類の中止が相次ぎ、ホテルの宴会場は閑古鳥が鳴いた。他にも正月のしめ飾りは販売数が激減、食品売り場からは赤飯や紅白まんじゅうまで消えた。
そして、この未曾有の“一億総自粛”は、89年1月7日、昭和天皇の逝去でピークを迎える。テレビ局ではアナウンサーやキャスターが黒服や喪服を着用し、画面から一切のCMがアウト。新聞からも広告がバッサリとなくなり、電車の中吊りも外された。「週刊文春」(文藝春秋)など週刊誌も、広告面スペースを天皇関係の写真で埋めたり、白紙で構成したりするほどだった。銀座のデパートには天皇の遺影が大きく配置され、街頭のネオンや看板は白幕で隠された。
当然、“自粛ムード”は国民生活に支障をきたし、経済にも多大な影響を及ぼした。たとえば広告業界ではCMの引き上げで「菊冷え」なる隠語まで生まれた。また、なかにはイベントの自粛が引き金となった痛ましい事件も起きた。
当時の新聞によれば、10月には神奈川県の露天商を営む夫婦が、自宅六畳の部屋で、天井のはりにナイロンロープをかけて首を吊って自殺。多額の借金の返済に悩んでの心中だった。夫婦は9月の「秦野たばこ祭」と10月の「伊勢原観光道灌まつり」に出店を計画していたが、いずれも主催者側が天皇の容態に配慮して中止に。「たばこ祭」のために、すでに約60万円の材料の仕入れを済ませていたという。また、同じく神奈川県で、体育祭を実行するか中止にするかで板挟みになり、実行委員長が自殺するという事件も発生している。
昭和天皇というひとりの人間の体調悪化や死去に対し、日本全体がここまでそろって自粛し、生活に多大な影響を及ぼすというのは、あきらかに異常なことだ。しかも、マスコミは率先して“自粛ムード”を作りあげた一方で、かなり前の段階から昭和天皇の「Xデー」に向けて準備を進めていた。たとえば在京民放5社は「吐血報道」の実に7年も前から「Xデー」の放送体制について合意をしていたという。
ノンフィクション作家の保阪正康氏は、こうした昭和天皇の吐血から逝去までのマスコミによる病状報道、そして国民の自粛の状況の本質を「崩御を待つという心理」と表現し、こう続けている。
〈それが近代天皇制が生み出した国民側の異常な心理だという認識はなく、自粛ムードは天皇をしてその存在を現実から切り離す、きわめて危険な発想だとの認識はなかったのである。
こうした事実は、近代天皇制のなかにあって昭和十年代のファシズム体制が天皇をできるだけ国民には実体のある存在とせずに、皇居のなかに閉じこめて神格化することで、軍事を中心とする指導者たちが自在に権力を私物化していったのと似ている。〉(『崩御と即位─天皇の家族史』新潮社)
列島を覆ったこの異様な空気を危ぶんでいたのが、当時の皇太子、すなわち今上天皇だった。1988年10月、皇太子は当時の藤森昭一宮内庁長官と会った際、自ら“自粛ムード”について切り出して懸念を伝え、さらに竹下登首相に対しても同じくこのように述べたという。
「国民の皆様方が(天皇)陛下のご平癒をお祈り頂いていることを大変ありがたいと思っていますが、一方、国民の皆様方の日常生活に支障をきたすことがあってはならない。これは陛下の常日ごろのお気持ちであり、私としても気にしています」(毎日新聞88年10月9日付朝刊)
おそらく、今回の「お気持ち」のビデオメッセージで、天皇が“自粛ムード”による「社会の停滞」に懸念を表したのも、このときの体験があったからだろう。
昭和天皇の逝去からもうすぐ30年を迎え、あの異様な状況を知らない人たちの多くは、さすがに現在では天皇逝去の前後に過剰な“自粛ムード”は起こらないと考えるかもしれない。だが、現在の日本社会を見ていると、決してそうとは言えない。
ネトウヨによる電凸、炎上騒動、さらには政権のメディア統制の状況を鑑みれば、むしろマスコミやイベントへの抗議や“不謹慎狩り”が頻発し、昭和の終わり以上に重苦しい空気がこの国を支配する可能性は十分ある。
しかし、今上天皇は今回、こうした反民主主義的でグロテスクな“一億総自粛”の再現に強く釘を刺した。その発言の意味は非常に大きいが、一方で問題なのは、こうした言葉を当事者である天皇が自ら語らざるをえなかったことだ。
生前退位もそうだが、本来、日本国憲法に定義された象徴天皇のありよう、つまり民主主義を守るための皇室制度改革は、国民やメディアの側から声を上げなければならないことだ。だが、国民の代表である政界は天皇を再び国家元首にしようという極右勢力に支配され、メディアは天皇タブーに縛られ、政権やネトウヨたちの空気をうかがうことしかしようとしない。その結果、今上天皇が自ら発言せざるをえなくなった、そういうことだろう。
今回の「お気持ち」表明でわかったのは、本来、もっとも反民主主義的な存在である天皇が、もっとも民主主義のことを考えていたという皮肉な事実だ。そのことの危うさをわたしたち国民はもっと自覚すべきだろう。
(編集部)
最終更新:2016.08.11 11:36
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