西村京太郎が陸軍エリート養成学校で見たカルト的精神主義「日本人は戦争に向いていない」

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陸軍幼年学校で西村京太郎が目の当たりにした同級生の死

 彼が亡くなったのは、終戦間近の8月2日。この日、B29による爆撃が幼年学校を襲った。この空襲で7 人の生徒と3人の教師が亡くなったが、そのうち西村氏と同じ学年で亡くなったのは及川君ひとりだったという。

 空襲が始まると、生徒たちは防空壕に避難。西村氏は収容人数いっぱいの防空壕に入ることができなかったため近くの神社に逃げ込んで難を逃れたが、及川君は逃げ後れて犠牲になってしまった。及川君が逃げ後れた理由、それは旧日本軍が押し付けてきたカルト的な精神主義のせいだった。

〈及川は、今、靖国神社に祀られていることからもわかるように、陸軍幼年学校の生徒は、兵士だった。だから、私たちは、入校と同時に短剣を渡された。
「この短剣は、天皇陛下から頂いたものであるから、常に身につけていなければいけない」
 と、繰り返し、教えられた。
 だから、私も千葉も、短剣を腰につけて、雄健神社に逃げた。
 ところが、及川は、短剣を忘れて、生徒舎を飛び出してしまったのだ。気がついた及川は、短剣を取りに、炎上している生徒舎に引き返して、死んだ。〉(前掲『十五歳の戦争』)

 短剣など所詮は物であり、いくらでもつくり直しがきくわけで、そんなものは無視して逃げればいいのだが、及川君はそのような行動はとれなかった。理不尽な精神主義が強制されていたからだ。

 そしてまた、その及川君の死に対する大人の反応が人間としてどうかと思うものだった。ただ、このように人間の命を軽んじる態度こそが、旧日本軍の本質である。

〈その及川の行動を、校長は絶讃した。
「及川生徒は、死を覚悟して、天皇陛下から頂いた短剣を求めて燃えている生徒舎に引き返した。これは、名誉ある戦死である」
 だから、及川は、靖国神社に祀られた。
 反対に、学校の外に逃げた生徒は、校長から叱責された。「学校の外まで逃げるのは、兵士が戦線を離脱するのと同じだ」
 と。今なら、校長は何というだろうか?〉(前掲『十五歳の戦争』)

 異常な精神主義に日本中が覆われたのを目の当たりにした経験をもつ人は、この国が総力戦に巻き込まれたときの恐ろしさを身にしみてわかっている。

 西村氏は、安保法制が強行成立された2015年夏、同じく陸軍幼年学校出身で戦後は作家として生きたという共通点をもつ三好徹氏と「小説すばる」(集英社)2015年9月号 で対談している。

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