高村光太郎夫人が描いた男性の股間から河西智美の手ブラまで…ヌードと国家の関係

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『ヌードと愛国』(講談社現代新書)

 前田敦子、小嶋陽菜、大島優子――AKB48メンバーが手で胸を覆った「手ブラショット」を写真集などで披露するたび、ネットでは新たなNAVERまとめが誕生する。手ブラに代表されるセミヌード、陰毛解禁のヘアヌード、そして最後に行きつくのはそう、一糸まとわぬフルヌード。アイドルが「どこまで脱ぐか」は、これまで国民の一大関心事であり続けてきた。

 ただし、男性週刊誌に毎週グラビア写真が躍るこのご時世。「ちょっと脱いでみました」程度の写真ではもはや、さしたる驚きや感動は呼ばない。ヌード写真が特に世間の注目を集めるのは、何らかの事件性を兼ね備えた場合だ。近年ではAKB・河西智美の「手ブラ事件」が記憶に新しい。これは2013年、発売予定だった河西の写真集で外国人の少年が後ろから彼女に抱きつき胸を覆った表紙写真が問題となり、警視庁が版元である講談社に事情聴取をおこなうまでの事態に発展したものだ。

 しかし、である。これが単に河西自身による「手ブラ」だったら、あるいは河西の胸を押さえるのが少年ではなかったら、この一件はここまで問題となっていただろうか。騒動では「異国」の「子ども」が異性の性器に接触していることが児童ポルノ法に抵触するか否かが争点となった。ここからもわかるように、ヌードが問題になるのは何らかの社会的な条件が揃ったときだ。「服を着ていない」というだけでは一見どれも同じであるかのように思えるヌード写真には、それ以上の「意味」があるのだ。

〈ヌードは、裸体だが、『はだか』ではない。必ず意味が着せかけられている。(略)長い日本近現代史の中には、あらゆる文化ジャンルを横断しつつ、綿々と作り続けられてきた、「『日本』をまとったヌード」という系譜が、確実に存在している〉

 ――池川玲子『ヌードと愛国』(講談社現代新書)はそのものズバリの宣言から始まり、1900年代から1970年代のあいだに描かれ撮られた7体のヌードを取り上げ、ミステリー仕立てで分析してみせた一冊だ。美術作品といえど、国家と無関係ではいられない。国家への愛情や忠誠心としての「愛国」が要請される時代情勢、さらにはそうした情勢が当時の美術体制や個人にどのような影響を与えていたかに着目しながら推理が進んでゆく。

 新書という形を取ってはいるが、研究書顔負けのボリューム(約270ページ!)に圧巻される。それもそのはず、著者である池川は日本近現代女性史を専門とする研究者。「エッチな絵や写真がたくさん見られそう」程度の軽い気持ちで手を伸ばすと、反撃をくらった気分になるだろう。真面目な関心はあっても「読むのがしんどい」という方に向けて、その中身をご紹介したい。

 取り上げられるヌードはさまざまだ。例えば、一発目に登場するのは教科書でもおなじみの詩人・高村光太郎夫人として名高い「智恵子」(正式名・長沼智恵子)が画家を志していた時期、私立の画塾で描いた男性ヌードデッサン。「男の象徴までおかしいほどリアルに描いた」作品として当時は「伝説」扱いされていたというその木炭デッサン画を著者が買い求めてみたところ「蓬髮(ほうはつ)とひげがなんともマイルド」、されど「股間はマイルド」、要するにくっきりとも朦朧もしていないビミョーな描写で「金返せ」の結果に終わったという。では一体なぜこんな「伝説」が生まれてしまったのか?

 実は、ここには日本の美術教育における「ヌード画」と「女子」の関係をめぐる秘密が横たわっている。

 智恵子の画が生まれた当時は、西洋美術に影響を受け国内の美術教育にも変化がもたらされ始めた時期。ヌードデッサンが授業に取り入れられるようになるその裏では「風俗取り締まり」の使命を背負った警察との間でのせめぎ合いが始まっていた。彫刻像の股間に木の葉を貼り付けたり、ヌードの腰まわりに布を巻きつけてみたり……涙ぐましい努力を続ける者数知れず。それまで主に男性の徹底的なヌードデッサンを是としていた歴史画が徐々にすたれ始めたことも後押しとなり、自主規制モードのなかで「股間ぼかし」という技法が独自に育っていったのではと著者は推理する。

 加えて、同時期には女子の美術教育制度が整い始め、社会のなかで「絵を描く女性」がクローズアップされ出していた。画塾に通おうとも、周囲をほぼ男子研究生に囲まれながら男性モデルの全裸を眺めなければならない女子はまだ物珍しい存在。そのなかで画家を志す智恵子もまた「新しい美術」と「新しい女」という役割を二重に背負っていた。同じ教室で女子と肩を並べながらも時代の変化に従い、言われるがまま股間をぼかして描く男性生徒らにとって、「新しい女」は気を逸らせる格好の対象でもあったのだ。

〈男子研究生たちは、智恵子の男性デッサンの股間に、ペニス以外の何ものかを見た。彼らの見たもの、それは日本の美術界における根本的な美術理念の欠如であり、理念を欠いたまま、ルールに従っている彼ら自身である。彼らはそれを正視できず、問題の枠組みを『男性モデルを見る智恵子のデッサン』にまで委縮させた。そうすれば、すべてを智恵子個人の問題に押しつけることができた〉

 ……いかがだろうか。このエピソード1つを取り上げるだけでも、一枚のヌード画デッサンをめぐる伝説が西欧諸国/日本の関係、ジェンダーなど様々な「意味」のあわいに成り立っていることに唸らされる。

「こんなの著者の単なる当てこすりじゃん」という声も聞こえてきそうだ。心配御無用。本書で取られている手法は「イコノロジー(図像解釈学)」という、れっきとした学問的方法論のうえに成り立ったものであることも申し添えておこう。

 イコノロジー的研究の第一人者であり、さらに本書著者・池川の師匠でもある美術史学者・若桑みどりは〈すぐれた作品は必ず解釈ができる〉(若桑みどり『絵画を読む イコノロジー入門』NHKブックス、1993年)と胸を張る。

 イコノロジーとは〈既知のデータから出発し、その作品を成立させているもろもろの因子、つまり歴史的・社会的・文化史的因子を総合的に再構成し、その作品のもつ本質的な意味〉(同書より)を探索する作業のことを指す。なんだかムズカシイ言い回しだが、要するに作品のバックグラウンドを参照しつつ、絵画や写真が伝える意味を「読む」作業も、研究者の立派な仕事だということは押さえておきたい。

 本書ではほかにも竹久夢二のレア作品「夢二式美人」のヌード絵、満州事変の時期に制作されたプロパガンダ映画に登場する乳房、はては高度経済成長期のパルコの手ブラポスターに至るまで、バラエティ豊かな素材が読み解かれている。作者の性別、時代背景などによって、それらに込められた「愛国」の意味合いもまた変わってくることの面白さが体得できればしめたもの。「ヌードマスター」を目指して頑張って通読してほしい。
(松岡瑛理)

最終更新:2017.12.19 10:23

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