JRでタブーになった「リニア新幹線」慎重論…「新幹線の父」の意見も封印

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 島はリニアに対し時代が下るごとに否定的な発言を鮮明にしていく。1994年の新聞記事での発言にいたっては、さらに具体的だ。

《スピードをもっと上げるとどうなるか。止まるのも大変になるのね。前の列車と次の列車の間をうんと空けなければ、走れない。路線に入る列車の本数がとれない。止まらなければ、中間駅のない列車だ。これで何をどう運ぶというのか。物理実験の意味は大きいから研究は大いにやったらいい。でもね、列車のスピード競争はね、もういいかげんにして、わきを固めたらどうか。日本は狭いし、空路もあるんだから》(『朝日新聞』1994年7月21日付)

 もっとも、この発言には島がやや誤解しているふしがある。リニアは従来の鉄輪式の鉄道よりも、速度を上げるのも落とすのも短い時間で済むことが特徴だからだ。ともあれ、この発言の主眼が、いたずらにスピードアップに邁進する現状への疑念にあることは間違いない。ちょうどこの発言の少し前の1992年には、JR東海が飛行機に対抗するべく東海道新幹線に新型車両300系を投入、「のぞみ」の運行が始まっていた。また、リニア中央新幹線の実現に向けて、山梨実験線もこのころ着工されている(1997年に完成、走行実験を開始)。

■JR東海がPR誌から削った「新幹線の父」の発言

 1994年は東海道新幹線開業から30年の節目でもあった。このときJR東海のPR誌にも島秀雄のインタビューが掲載された。その収録の際に進行役を務め、記事の構成も手がけたノンフィクション作家の前間孝則は、雑誌掲載時に島の発言が数カ所、削られてしまったことを著書で明かしている。

 削られたなかには、《いま世界の鉄道会社やJR各社がスピード競争のようにして盛んに進めているが、「四百キロとか五百キロとかいった高速を狙うことは振動とか安全面からみて問題だから慎むべきだ」と否定的な見方で警鐘を鳴らしている》、リニア批判ともとれる発言もあった。それは、すでに90歳をすぎていた島にとって「私の遺言」という意味合いも込められた、きわめて重要な発言だった(前間孝則『技術者たちの敗戦』)。

 前間によれば、インタビューの原稿をまとめたのち、JR東海からゲラが送られてくるものと思って待っていたが、一切ないまま、1カ月以上経ったのちできあがった本が送られてきたという。

《リニアの実用化に向けた実験を進めているJR東海とすれば、耳の痛い発言だったからであろう。だから、意図的に削除し、そのことを指摘されてもめるとまずいので、あえてゲラを私に送らなかったものと推察した。この姑息なやり方に私は抗議し、原稿料の受け取りを拒否した。私の文章の箇所ならばともかく、遺言として口にした言葉だけに、島に対してあまりにも失礼な行為であると判断したからだ》(前間、前掲書)

 JR東海にとって東海道新幹線は、同社の営業収入の大半を稼ぐドル箱路線だ。それを実現した功労者に対し、同社の対応はたしかに失礼だったといえる。それ以上に、大先輩の意見に耳を傾けようとしないことに、リニアの実現になりふりかまわず突き進む企業の姿を見るようで危惧すら覚える。

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