こうして失敗に終わったオープン・マリッジだが、ここであぶり出される問題は、「浮気公認などありえない」というものではない。先程、浮気数の競争ならば女のほうが勝つと書いたが、これは女には“性の二重基準”が課せられた社会だから起こることである。性の二重基準とは、女は妻か娼婦かという2つの役割に分けるという、家父長制が編み出した男性にとって都合のいい、男性有利社会を支える考え方だ。たとえば、『昼顔』のなかで上戸彩が不倫によって過剰に罪悪感に苛まれるのは、夫以上に貞操観念に縛られた“家庭の妻”という役割を担っているからだし、吉瀬美智子が何人もの男性と簡単にセックスできるのは、たんに美人だからなだけでなく、男性にとって“家庭外の娼婦”的役割だからだ。
「性の自由」を謳いながらも失敗したオープン・マリッジが突きつけるもの。そして、現在の『昼顔』のブームが裏付けるもの。それは、この陳腐すぎる性のダブルスタンダードがまかり通ってしまう男社会の矛盾と、そのしぶとさだ。ぜひ『昼顔』の最終回には、性の二重基準を乗り越える上戸と吉瀬の自由な姿を見てみたいものだが……果たしてどうなるのだろうか。
(田岡 尼)
最終更新:2014.09.25 07:00