「取材しろ」は淳の卑劣な「批判封じ」、公の発言への論評に取材は不要だ
淳は本サイトに取材に来いなどと言っているが、ようするに「発言を記事にするなら取材しろ」と言うことで、自身の発言に対する批判を封じ込めようとしているだけなのだ。
あたらためて言っておくが、公の場での発言への批評に本人取材など必要ない。公の発言まで本人取材なく記事にしてはいけないなどというこんな論理がまかり通れば、政治家や芸能人が問題発言・失言しても、取材拒否やノーコメントを押し通せば記事にできなくなる。政治家も芸能人もその社会的影響力関係なく言いたい放題で、逆にその発言に対する一切の批判は許されないことになる。
近年、政治家も芸能人も、お抱え記者やお抱えメディアによる公式取材のみを絶対的に正しいもののように扱う風潮が強いが、それらは批判や検証が皆無の単なる広報・PRだ。淳の言っていることは、「本人への取材」というあたかも良心的な言葉を盾にした、批判封じでしかない。
しかも、繰り返すが、淳の今回の発言は『グッとラック!』という報道・情報番組内でのレギュラーコメンテーターとしての発言だ。報道に携わっている以上、単なる芸能人以上にその発言内容が論評や批判に晒されるのは当然である。そこでの発言を批判や論評の対象にされたくないというのであれば、一刻も早く『グッとラック!』のレギュラーなど降板するべきだ。
久々に地上波の情報番組のレギュラーの椅子を手にした淳だが、だったらまず言論にかかわる者としての自覚を持つべきだろう。
(編集部)
最終更新:2020.10.11 12:59