我が国では「音楽に政治を持ち込むな」などというポップミュージックの歴史を何ら理解していない無知な言葉がはびこる昨今だが、こうした経緯から、ラップは生まれたときから、政治や社会状況への反発と密接な関係のある音楽だったと言える(とはいえ、言葉遊びをメインに据えた歌詞の楽曲や、ラブソング・パーティーソングも並行して多く歌われており、反体制的なコンシャスラップばかりではなかったということもまた認識しておく必要はある)。
そういったラップの側面は日本にヒップホップが根付くなかでもある程度は受け継がれた。メディアに煽動されて混乱する大衆を風刺したいとうせいこう「噂だけの世紀末」。午前0時以降のクラブ・ディスコ営業を禁止した当時の風営法を「ドアさえ閉めときゃバレないさ」と皮肉った近田春夫率いるPresident BPMによる「Hoo! Ei! Ho!」。チェルノブイリの事故を受けて反原発のメッセージを歌ったECD「ピコキュリー」。日本語ラップの黎明期から、ミュージシャンたちは政治や社会状況をラップのテーマとして積極的に取り入れ続けてきた。
ただ、日本にヒップホップが本格的に持ち込まれるようになった1980年代半ば以降といえば、日本はまさにバブル経済に突入しようとする浮かれた季節。しかも、黎明期にヒップホップを受容した層はインテリや富裕層であり(たとえば、いとうせいこうは早稲田大学卒の講談社の社員、近田春夫は幼稚舎から慶應という出自である)、ゲットーでの生きるか死ぬかの暮らしを歌った米国のヒップホップとはちがう位相をもっていた。
一例を挙げれば、ニューヨーク出身のグループ・エリックB&ラキムが1987年にリリースした「ペイド・イン・フル」では、犯罪行為をしないと生き抜くことすら困難な貧困で、いつ銃殺されてもおかしくない荒れた生活のなか、「9時5時の仕事を探しだし、真面目にやることができれば、これから先も生き続けることができるかもしれない」といった内容が歌われているが、日本のラッパーたちはそういった現実に生きておらず、当然のことながらそうした楽曲がつくりだされることもあまりなかった。
それが変化しだしたのは、日本の音楽シーンで本格的にラップミュージックが受け入れられだした90年代中盤のことだ。
といっても、その担い手となったライムスターにせよ、キングギドラにせよ、生育環境や学歴などは、上の世代とさほど変わらない。