──いわば猪瀬は、長い間、妻を裏切ってきた夫。しかし本書には、そんなことを連想される記述は一切ない。本書では、一貫して深い愛情で結ばれた夫妻の姿しか描かれていないのだ。
しかもこれらの夫婦物語は“あの問題”に対する伏線でしかなかったのかもしれない。肝心の徳洲会事件に関して、本書ではラストのほうで、ほんのささやかに、しかも通り一遍の説明しかされていないからだ。
「徳田穀議員から借用証に署名するように求められたときは、使わないで早く返そうと決めた。借用証に署名しないで突き返したら顔に泥を塗ることになるし、味方を敵にまわしてしまうことになりかねない」(同)
そして、妻・ゆり子さんの出番である。
「五千万円の件は、ゆり子にひとまず貸金庫に保管するよう指示した。事務所のスタッフにもいっさい伝えなかった」
「ゆり子に頼んで五月の連休明けに、保管していた借入金を事務所に近い都心の銀行の支店から、僕の自宅がある郊外の銀行の貸金庫に移していた。(略)しかし五月の下旬にゆり子の病気が判明し緊急入院。(略)ゆり子は亡くなるが、僕は預金通帳がどこに仕舞ってあるのかすら知らない」(同)
そして、妻名義の銀行口座だったため手続きに日を要したことや、カネは選挙資金に使っていないこと、徳洲会への便宜供与もないなど、辞任前の釈明と同じことを、ただ繰り返し記しているに過ぎない。
「妻ゆり子に対しても、僕の身勝手な行為について詫びる機会を得ぬままわかれたことが痛恨の極みである」(同)
妻への愛を語り、美談を書き綴ることで“妻へ責任転嫁したわけではない”と暗に言い訳をし、悲劇の夫ぶりを強調して事件を自己正当化する──。本書の目的はそれしかないのではないかと見まがうばかりである。
猪瀬は先日、「週刊文春」(11月6日号)の田原総一朗との対談で、徳洲会事件について「自分の中にあった驕りが根本の原因だと思います」と語っていたが、本書を読むかぎり、やはり猪瀬直樹は猪瀬直樹。最後の最後まで妻を利用する不実さ、厚顔無恥ぶりは、さすがとしか言いようがない。
(伊勢崎馨)
最終更新:2015.01.19 04:35