なんとも衝撃な一言である。芸能界に絶大なる影響力を持ち、牛耳る芸能プロがナナそのもの。自分は単なるタレントとしてコントロールされているわけではない。自分こそがザ・スターアカデミーであり、その影響力を行使できるのだと。そのやり口を熟知しているのだというのだ。
だからこそ、ナナはトオルに言い続ける。
「愛してくださるなら、覚悟をしてください」「野心を捨ててください。争いごとを避けて、無理をしない程度の仕事量にしてください。私や生む子供とつつましく向き合って、家族の傍にいてください。そうすればきっとあなたは幸福になる」
自分自身がスターアカデミーとさえ言い切るナナは、トオルがさらに芸能界に近づけば潰されること、いや、自分が潰すことになってしまうのを承知していたとも考えられる。そしてトオルに“覚悟”だけを要求した。
「あなたは文学の世界だけを大切にしてください」
トオルを、そして自分の夢見る幸せな生活を守るために、どうすればいいのかナナは理解していた。さらに、入籍を事務所に報告したいというトオルに対し、ナナは「私の仕事をあなたは何も知らないのだから、これから先も仕事には口を挟まないでほしい」と拒絶する。
──これまで大手芸能事務所による情報操作について語られることはあった。しかし、守られたはずの所属タレント側が、自分の恋人や夫に対する事務所の仕打ちをどう思っているのかといった心情が公になることは皆無だった。それが辻自身の作品で描かれていたことに驚く。
ともあれ、ナナもまた覚悟していたのだろう。スターアカデミーの意向に沿わない2人の結婚が明るみになるや、マスコミは一斉にトオルに矛先を向けていく。
〈私はここでも沈黙を守り、嵐が過ぎるのを静かに待った。それがナナとの約束、ナナが私に言った覚悟の正体なのである〉
結婚後、日本での生活はナナにとって過酷ものだった。連日の主演ドラマ撮影で睡眠時間が2、3時間。しかも常にマスコミの陰におびえながらの生活に、2人は疲弊しきっていた。仕事を辞めたいというナナにパリ移住を提案するトオル。パリで子育てをしたいと思っていたナナは興奮気味にそれに賛同した。
そして2人は芸能界を離れ逃げるようにパリへと旅立った。04年1月14日、2人の間に男子が生まれた。
……これが『刀』に描かれた、辻と中山のパリ生活にいたるまでのいきさつだ。
2人にはバーニングの陰が色濃く存在していたが、中山はそれを熟知していたからこそ、フランスでの生活を選び、そして芸能界から離れていった。離婚騒動の際、辻を“ろくに仕事をしないヒモ”などと揶揄したメディアもあったが、それは中山が望んだことでもあったのだ。
しかし、こうした困難、激流に立ち向かうほどの情熱をもって始めた2人の結婚生活は12年で終わりを告げた。──皮肉にも、パリでの結婚と子育てを迫った中山は東京にひとり戻り、辻は息子と2人でパリに残る決心をした。辻はいま、中山との結婚生活を振り返って、何を思うのだろうか。
(伊勢崎馨)
最終更新:2014.09.16 08:02