人の『生』と『死』に関する法則を見いだそうと宗教に入信した林郁夫と、科学では説明できない“摂理”を見いだしたという矢作センセイのオカルトへの傾倒の動機は、非常に似通っているような印象を受ける。
だが、矢作センセイは著書『神(サムシング・グレート)と見えない世界』(共著者・村上和雄/祥伝社新書)でそのオウム真理教の理系エリートたちをこう批判している。
「彼らは科学の本質をまったく理解していませんでした」
「科学という作法でしか物事をとらえられない、ある意味、馬車馬みたいな価値観の人だと、いったんこれをぱかっと外されると、それに対する免疫がないから一気に『すごい、信じられない』と洗脳されてしまうわけです。理系エリートをたらし込むには、一番良い手段かもしれません」
そして、自分とオウムの違いをこう書いている。
「ただ、理系と言っても、超一流の人間はそういうところで迷いません。(中略)不思議な事象を前にすると、その人物が科学の本質をどのくらい理解しているかがよくわかります」
だが、はたしてそうだろうか。たしかに、今の状況は片や地下鉄サリン事件を引き起こした犯罪者、片や東大教授でありながらベストセラー著者と、天と地ほどの差がある。だが、医師として生と死に直面した結果、その不条理にたえられず、あまりに単純な図式のオカルティズムに逃げ込み、すっぽりはまり込んでしまったという点ではまったく同じなのではないか。
実際、矢作センセイの他の著作を読んでみたところ、もっとトンデモなオカルト発言が次々と明らかになってきたのである。(後編に続く)
(小石川シンイチ)
最終更新:2015.01.19 05:35