18歳の女性を脅迫し踊り場で暴行「経験則」にもとづき無罪に
こうした判決から見えてくることは、いかに司法が性暴力事件に対して“男性に甘く、女性に厳しい”かということだろう。
その一例となる判決が、『逃げられない性犯罪被害者─無謀な最高裁判決』(杉田聡・編著/青弓社)で取り上げられている。それは、たまたま通りかかった当時18歳の女性が「ついてこないと殺すぞ」と男に脅迫され、ビルの踊り場で強かんされたという事件の判決だ。
この裁判では、まず地裁が女性の供述の信用性を認めて被告人に懲役4年の有罪、高裁も一審判決を支持して控訴を棄却したのだが、最高裁は自判し、“女性が助けを求めていないのが不自然”“「無理やり犯された」のに膣などに傷もついていない”などとし、一審判決を「経験則に照らして不合理であり、是認することができない」としたうえで逆転無罪が言い渡されたのだという。
ここでも被害者が恐怖で声をあげることさえできなくなる追い込まれた心理状態がまったく無視され、膣に傷がないことが理由のひとつにあげられている。ようするに、裁判所は脅され、さらなる暴力や死の恐怖を感じた被害者女性が加害者の言いなりになった可能性をまったく考慮していないのだ。
だいたい、裁判官の言う「経験則」とは一体何なのか。この判決が考え方の論拠とした2009年判決(痴漢事件に関する最高裁判決)の補足意見では、那須弘平裁判官がこのように記しているという。
〈我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方〉
しかし、ここでいう「経験則」とは男性中心の社会でつくりあげられた男性に優位な原則にすぎない。「我々」という言葉の正体は、裁判官と同じ性の「男性」のことでしかないのだ。