政権や財務省に吹き込まれた情報を鵜呑みにする古市憲寿の危険性
改憲発議と北朝鮮のミサイル発射をリンクさせているというだけでもどんな近未来を描いているか想像できると思うが、この小説「彼は本当は優しい」について発表当時、古市は「週刊新潮」(新潮社)2018年3月29日号の連載コラム「誰の味方でもありません」で、こんなことを書いている。
「一見すると絶対的な断絶線にも実はグレーゾーンが多いことを提示したかったからだ。/憲法改正に反対する人々は、改憲が実現すると日本が軍事大国になるかのようなことを言う。しかしもし51%の賛成と49%の反対で決まった改憲なら、政府は反対派の意見に耳を傾け続けるだろう。賛成と反対は白黒で分けられる問題ではないのだ。」
「生と死にもある種の曖昧さがあると思う。たとえば生きていても年に一度も会わない人もいれば、死んでからも毎日のように思い出す人もいる。そして誰かが死んでからも、一度は忘れていたエピソードを思い出し、新しい記憶にできるかも知れない。」
「改憲」も「死」も絶対じゃない、大したことないと、古市は数十年遅れの悪しき相対主義のようなことを言う。しかもすべてを等価に扱っているように見せて、実のところ全くそうではない。改憲しても「グレー」で「大したことない」なら、わざわざコストをかけて改憲しなくてもいいはずだが、古市は改憲しなくていいとは言わず改憲しても大丈夫と言う。
小説のなかでも、〈憲法改正に対する賛否は、子どもがよく交わす「鯛焼きは頭から食べる派かしっぽ派か」「チョコはきのこの山派かたけのこの里派か」という議論と何ら変わりがない〉と嘯きながら、なぜか改憲反対派のほうが巨額な広告費を投下しているという現実にはあり得ない事態になっていたり、微妙に護憲派をディスるような記述が散見される。
周知のように、古市は“メディアの寵児”となって以降、安倍首相や昭恵夫人、小泉進次郎議員など、政界関係者との交遊が目立つようになり、数々の政府の有識者会議の委員も務めてきた。
改憲小説を書くという行為が確信犯とは思えないが、無教養な古市にとって、どんどん政権周辺からもたされる情報の占める割合が大きくなり、あらゆる表現に影響を与えてしまっているということなのだろう。
そう考えると、「平成くん、さようなら」もまた、財務省のプロパガンダの一環になっている可能性は否めない。
国家の都合に合わない人間を気軽に死なせていい社会をつくるための財務省の情報操作にまんまとひっかかり、その地ならしとして、「死をポップに決定できる価値観」を広める役割を無意識に演じてしまっているのではないか。
もちろん小説執筆の動機はひとつではなく、「若者代表」「若手学者」というポジションでいられなくなることを見越した処世や、古市自身は祖母の死が小説執筆の契機と語っており安楽死や死そのものへの個人的な興味も実際あるのだろう。
しかし、古市の小説にプロパガンダ的性格がある以上、芥川賞選考の前に、古市は少なくとも、財務省の恣意的なデータに丸乗りした問題について、きちんと釈明する責任があったはずだ。
(酒井まど)
(酒井まど)
最終更新:2019.01.16 07:27