バッシングに晒されても信念を曲げず貧困や環境問題を発信し続けるローラ
社会問題に目を向けるたびに必ず起きる、こうした足を引っ張ろうとする卑劣なバッシング。しかし、それでもローラは行動をやめることはなかった。以前から強い関心をもってきたプラスチックごみによる海洋汚染問題の発信をつづけ、〈少しずつみんなで使い捨てプラスチックをなくしていこう〉(10月28日のインスタグラム投稿)と呼びかけてきた。
バッシングに晒されてもけっして曲げない信念。そもそも、ローラの社会貢献に対する意識は、最近「海外セレブを意識」してというようなものではまったくない。もちろん「迷走」などではなく、むしろ強い意志に基づいたものだ。それも、バラエティ番組で「オッケー」とお茶の間を沸かせてブレイクするよりはるかに前からもちつづけている確固たるものなのである。
本サイトではたびたび紹介してきたが、ローラは「ViVi」(講談社)2016年1月号に掲載されたロングインタビューで、自身が長年抱いてきた夢について、こう語っている。
「事務所に入った時に社長さんに話した夢というか、最終的な目標があって――。お金がなくて勉強できない子供たちってまだ世界にたくさんいて、その気持ちは私もすごくよくわかる。自分が苦労してきた部分でもあって、私にとってはすごく現実的なことだから。そういう人たちの役に立ちたいの。ずっとその想いは変わってなくて、これからはもっと積極的にやっていきたい」
ローラはバングラデシュ人の父と、日本人とロシア人の親をもつ母親とのあいだに日本で生まれた。ローラは1歳でバングラデシュへ渡り、6歳で帰国するのだが、その後、両親は離婚。父は再婚するが、「女性自身」(光文社)の記事によれば、ローラと双子の弟、継母と父のあいだに生まれた双子、継母の両親という家族8人でアパートに暮らしていた時期もあった。ローラは働く父と継母に代わって、小さな双子のきょうだいにごはんを食べさせたり、オムツを変えたりとよく面倒を見ていたという。
そうした苦労をローラは自ら語らない。だが、ただひとつ、こんな話をしている。
「中学2年の時に、友達にすごく一生懸命説明したのに『ちょっと何を言ってるのか分からなかった』って言われたのがすごくショックで、そこからかなり頑張って中3の頃には普通に会話も出来てたと思う」(前述インタビュー、以下同)
高校時代はホームセンターでアルバイトし、渋谷でスカウトされモデルの世界に飛び込んで一躍“タメ口キャラ”でブレイク。だが、いまもローラには“もっと勉強をしたかった”という思いが強いのかもしれない。事実、ローラは地道に英語の勉強をつづけてハリウッドデビューを射止めたが、学ぶことが自分の可能性を広げるということを、彼女は身をもって知っているのだろう。