まっとうな批判に対して「言論ファッショ」などと言うトンチンカン
小川氏といえば昨年、『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)という本で、“森友・加計学園問題は朝日とNHKが共犯のうえで「創作」した”なる陰謀論的分析を開陳。あまつさえ、自民党から同書を5000部ほど購入してもらっていたのだが、その内容は〈今回は朝日新聞が明確に司令塔の役割を演じ、全てを手の内に入れながら、確信をもって誤報、虚報の山を築き続けてゆく〉などと根拠なく書き立てる荒唐無稽なシロモノで、あの腰砕けで知られる朝日新聞ですら提訴するレベルだった。
あと、小川サンは、自分への批判のせいで「言論ファッショ社会」が到来したみたいなことをおっしゃるが、少なくとも、事務局長を務めた「放送法遵守を求める視聴者の会」で政府に批判的なマスコミ報道に対する圧力運動を展開した小川氏には、そのように格好つける資格などあるまい。
小川氏だけの話でもない。昨今では、差別言説に対して抗議したり、それを批判する言論を投じただけで、「左翼の言論弾圧が始まった!」などとのたまう輩が散見される。この種の難癖が往々にして陰謀論とセットであることは、小川氏の例をみればおわかりだろう。
しかし、繰り返しになるが、今回の「新潮45の休刊の直接的原因は、杉田水脈氏や小川サンの論文のような、LGBTヘの差別を助長する悪辣なシロモノを掲載した新潮社の責任問題に他ならない。もちろん、検証もないまま休刊すれば全てが終わるのかという論点はあるが、ひとつの社会的な対応とは言えるだろう。
いずれにしても、杉田氏や小川氏の「言論」に対する大きな批判がなければ、起こり得なかったことだ。小川氏に「言論のプラットフォーム」のひとつを潰した自覚があるなら、まずは己を省み、悔やむことだ。それとも、小川氏は自分が書き落としたモノへの批判はすべて「言論弾圧」だとでも言うのだろうか。であれば、あなたはやはり評論家を名乗るべきではない。
(編集部)
最終更新:2018.10.01 12:34