芸人が表現する自由を奪うのは、コメディの本質に背く行為だ
たとえ芸人が政治風刺のネタをやったとしても、メディア側がこのような保身的な姿勢をとれば、その勇気ある発言やネタも“存在しない”も同然となってしまう。この状況は、茂木氏が言うように〈本当に「終わっている」〉と断じていいだろう。
そして、これは「コメディ」というものの本質に関わる問題でもある。映画ライターの高橋ヨシキ氏は、モンティ・パイソンが「アーサー王伝説」をパロディ化し王室や教会を徹底的にバカにし尽くした映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を解説したラジオ番組のなかで、コメディの本質的な役割についてこう説明している。
「まあ、もともとコメディっていうのはそういうことをするジャンルなはずですね。つまり、権力をもっている方が強いに決まってるんだから、もってない側は何が出来るかっていったら、何も出来ないんだったらただ押さえつけられるだけになってしまうんですけれども、その代わりこっちはギャグにして笑い飛ばすことぐらいは残されているっていう。それが許されなくなるんだったら、ホントそれは恐怖社会ですよね」(『すっぴん!』16年7月8日/NHKラジオ)
茂木氏の意味ある提言はまともに議論されることもないまま、猛反発を受けて終わってしまったが、それはテレビに関わる人たちやお笑い芸人が、まさにイタイところをつかれたからだろう。社会風刺どころか、お笑い番組がほとんどなくなり、芸人が権力にしっぽをふる情報番組のコメンテーターとしてしか生き延びることのできないこの状況は、どこをどうみても〈オワコン〉としか言いようのないものなのだから。
(編集部)
最終更新:2017.12.04 03:28